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「安全への逃避」をはじめとするベトナム戦争の写真報道でピュリツァー賞にかがやき、一躍世界に名を知られ、やがて34歳の若さで戦場に散った“日本のキャパ”沢田教一。情熱と野望に満ちたその人生の軌跡を、ベトナム、アメリカ、ロンドン、香港に訪ね取材し、浮かび上がらせたノンフィクション。ベトナム戦争のある一面を知ることができる貴重な記録でもある。
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Posted by ブクログ
読んだ本 ライカでグッドバイ 清水富貴子 20250330 パルコの古本市で見つけて手に取りました。ベトナムの戦場カメラマン沢田教一をノンフィクションで追ったもの。昔も読んだと思うけど、改めて。 カメラが好きで、一時はアラーキー、森山泰三、ブレッソンに土門拳なんてのがアイドルで、一ノ瀬泰三や沢...続きを読む田教一なんかも好きで色々読んだり観たり。中でも一ノ瀬泰三を描いた「地雷を踏んだらさようなら」なんか邦画ベスト5に入りますね。 この「ライカでグッドバイ」は、戦場カメラマンとしてはエリートって感じの沢田教一を掘り下げている訳だけど、やっぱり危険に身をさらす人間てのはどこか意固地なとこや名誉欲に駆られてるってとこが備わってます。それが鼻につくってことではなく、魅力になるところが行動力を伴ってるってことなんでしょう。 淡々と紡がれる沢田教一の行動とベトナムやカンボジアの情勢。死に向かって生を刻む姿が切なくも感じます。
34歳で凶弾に倒れたカメラマン・沢田教一。関係者への取材により振り返ったノンフィクション。 危険と背中合わせで際どいショットを狙いに行く戦場カメラマンという職業を描く。 作品が評価されていくに従い、さらに前線に向かいたくなるその様子は、男のロマンでなく逆に弱さ、繊細さのようなものを感じてしまった。
ピュリツァー賞の沢田教一の生涯を描いた作品。 強烈だった。 こうありたいとはならないが、圧倒される生き方。
ベトナム戦争を撮った「安全への逃避(Flee to Safety)」でピュリツァー賞を受賞し、34歳でカンボジアに散ったカメラマン・沢田教一の一生を、関係者への取材により振り返ったノンフィクション。1981年に出版され、1985年文庫化、2013年にちくま文庫で復刊された。著者の青木冨貴子は本作品で...続きを読むデビューし、その後ニューヨークでニューズウィーク日本版の編集長を務めたジャーナリスト。夫は映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作を書いたコラムニストのピート・ハミル。 沢田は、1936年に青森市に生まれ、東北のアメリカと呼ばれた三沢基地のカメラ店から、UPI通信社東京支局写真部を経て、ベトナム戦地へ「三段跳び」の人生を送り、1970年にカンボジアで取材中に殺害された。その間、「安全への逃避」で、1965年にヨーロッパで最も権威あるハーグ世界報道写真展のグランプリ、1966年にピュリツァー賞を受賞。また、「泥まみれの死」、「敵を連れて」で、1966年のハーグ世界報道写真展の第1位、第2位を獲得した。 現在は、戦場を取材するジャーナリストについて、(拘束されたり殺害されたりすると、特に日本では)その行動の是非について侃々諤々の議論が巻き起こるが、ジャーナリスト側の主張は概ね「戦場であろうと、誰かがそれを取材して、そこで起こっている真実を世界の人々に伝えなくてはならない。それが民主主義の基本である」というもので、私も基本的にはそれに賛同している。しかし、民間による戦争報道が初めて一般化した半世紀前のベトナム戦争当時にもそうした理念はあったのか、沢田はなぜベトナムを撮り続けたのか、ということが、私が本書を手に取った最大のきっかけだった。 そして、「「展覧会に出すための写真を撮りたい。」沢田教一にベトナム行きを決意させた理由は明快だった。沢田はベトナム戦争で、第二のロバート・キャパになりたいと思っていた一青年でしかなかった。そのためには“決定的瞬間”に身を置くことを自分のルールにした。そして激戦に次ぐ激戦のさ中へ飛び込んでいった」こと、更に、ピュリツァー賞受賞でこの世界の頂点を極めた後も、何かに取憑かれたようにベトナム戦争、カンボジア内戦を撮り続けたことを知った。後者についての理由は、沢田は語っていないし、著者もはっきり記してはいないが、想像するに、世界記録を出したり金メダルを取ったアスリートが、その自分を超えるために体力の限界まで競技を続けるような、或いは、植村直己氏が五大陸最高峰制覇後も、次々と新たな冒険を行ったようなものだったのではあるまいか。即ち、戦場で写真を撮ることにより自分を自分たらしめていた。 そう考えると、本書は、ある道を究め(ようとし)た若者・人間の記録のひとつとして読み得るものなのであろう。 また、著者の徹底した取材により、ベトナム戦争の一面を知るための貴重な資料ともなっている。 (2016年1月了)
ベトナム戦争の写真で名前は知っていた。後、不肖氏の著書でも。日本人屈指の戦場カメラマンの生涯を記録、取材した本。もとは30年近く前の初版。それが最近再文庫化された模様。あの有名な写真の家族にその後再会しているとは知らなかった。そしてベトナムからカンボジアへ向かい、そこで命を絶たれたことも。 その...続きを読む後も何名ものカメラマン、ジャーナリストが戦地に散っている。しかし新たな挑戦に挑む者も続いている。恐怖しか思いつかない場に、表現できない魔の魅力があるとのこと。恐怖が先にたつ自分には不明の世界だが、撮像のインパクトは強烈である。それは見続けたい。
学生時代はこの領域の本、映画はよく読み観たもの。開高健、近藤紘一、一ノ瀬泰造、映画は『地獄の黙示録』『ディア・ハンター』『キリング・フィールド』(『ランボー』もか?!)、大学3年の時はオリバー・ストーンの『プラトーン』が封切られゼミの教授とゼミ仲間と一緒に鑑賞しにいった。それらを通し当時の冷戦構造...続きを読むを端的に刺激的に知ることが出来た(理解できたかどうかは別として)。 本書は復刊版を本屋で見つけて読んでみたが、初版は1981年。1985年に文庫化されるなど当時も目に触れる機会はあったと思うが、タイトルからスル―していたのかもしれない。学生の頃は”ライカ”に、なんの価値も見出していなかったし(そもそも高嶺の花だ)。 本書は沢田教一というカメラマンの半生を追いながら、著者の徹底的取材によって改めて戦場の生々しい様子を追体験できる内容にもなっていて非常に読みごたえがあった。 が、本書に求めるは学生の頃に触れた諸作品のような当時の臨場感ではなく、なぜ青森の一青年がベトナムを志し、なぜ命を落とすまで現場でシャッターを切り続けたかを知りたかったから。その点も著者の丁寧な取材によって学生時代の沢田の置かれた環境から解き明かし、多くの証言を交えて、沢田の長くはなかった一生を見事に浮彫りにしている。 写真集『津軽』をものした小島一郎が沢田と同郷であり、高校生の沢田は小島が撮影に向かう姿を目にしていたという。 「小島一郎のこの厳しい眼が、沢田教一の眼をつくっていった」 というのは素敵な表現だ。さて、その視線が見つめる先は?! 「展覧会に出すための写真を撮りたい。」 沢田がベトナム入りを目指した理由は極めて明快だった。当時のジャーナリズムの在り方も克明に描かれている。「ベトナム戦争は一方でアメリカのジャーナリズムを育てた」と著者は記し、沢田以外にも戦場のレポート、写真で世界に名を馳せた記者・戦場カメラマンについて多く触れている。サワダの良きライバルだったエドワード・アダムスにも取材し、彼が挙げるベトナム戦争における最もすぐれたカメラマン3人として、ラリー・バロウズ(「ライフ」)、アンリ・ユエ(AP)、沢田教一 を紹介し、しかし「その3人ともが戦場で命を落としている」と書く。 沢田の言う「展覧会に出すための写真」を撮れたカメラマンでさえ、その1枚で満足せず、次の1枚、また次の1枚と貪欲にのめり込んでいく様が痛々しい。沢田を知る関係者の証言が、沢田ら戦場に散ったカメラマンたちの気持ちを代弁している。 「戦争っていうのは、本当にひきつけられるんですよ」(元毎日新聞徳岡孝夫) 「ベトナム戦争を取材していた者にとって、戦場ほど面白いものは他にないんだ。今ここにいてボート・ピープルを撮るといっても、死にそうな母親や子供たちを撮るばかり。毎日毎日同じ写真なのさ。でも、ベトナムではいつも全く違う写真が撮れた。次に何がおこるかわからなかったからね」(元AP通信カメラマン、ヒュー・バン・ネス) かのロバート・キャパも盟友三木淳に、 「一晩考えたが、俺の血がベトナムに従軍するのを止められないんだよ。悪く思うてくれるなよ」 と言い残し、ハイフォン南方タイ・ビン地区で地雷に触れ40歳の人生を閉じている。 一度、戦場へ身を投じた報道カメラマンの血は、次の戦場へと自らを駆り立ててやまない。メディアは、そうした彼らの習性を利用した、とまでは言わないが、持ちつ持たれつつ互いに「ジャーナリズムを育てた」のだろう。 折しも今日(2017/4/21)の日経新聞のコラム【春秋】は、近頃廃刊を決めたメキシコ北部の町シウダー・フアレスの地元紙のことを紹介している。廃刊の理由は、 「人生には始まりと終わりがあり払うべき値段がある。もしその値段が記者の命なら、同僚たちにこれ以上その代償を払わせるわけにはいかない」 コラムは「なんとも凄絶な文章をかかげ」と書く。その背景は「麻薬戦争」だそうだ。 麻薬組織の利権争いが激化、「下っ端のギャングや警察、軍までも入り乱れて激しい戦いがくり返され、その中で多くのジャーナリストが犠牲になってきた」からだという。 現場の様子を伝え世に問う。それが民主主義社会における報道、ジャーナリズムの使命だ。伝えることで彼らは世の中を変えることが出来ると信じ、命を賭して真実(スクープ)を捉えようとする。 がしかし、果たして結果はどうなんだろう…。 以下は再文庫化(2013年)にあたっての著者の「あとがき」からの一文。 「あらためて思うのは、米国がベトナムでの敗戦から何も学ばなかったのではないかといことだ。湾岸戦争、9.11テロ、アフガニスタン紛争、イラク戦争……。シリアはもちろん、中東での果てしない憎悪と殺戮の連鎖は止まるところを知らない。」 現場からの命がけのレポートや渾身の1枚は、沢田が目指した「展覧会」を飾るだけで終わったのだろうか。
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ライカでグッドバイ ――カメラマン沢田教一が撃たれた日
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