冨田恭彦のレビュー一覧
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ネタバレ「省察」を丁寧に解説してくれており、デカルトの論旨をトレースすることができ解像度がぐっと上がった気がします。自然科学領域にも業績のあるデカルトに対し、第一哲学としての形而上学の面にフォーカスしてるのも、自分の興味とマッチしていて楽しく読み進めることができました。
「コギト・エルゴ・スム」がデカルト哲学の到達点とばかり思っていたけど、明晰明証的な「私」=「心」を始点として、徹底的に疑うことで一旦は存在を否定した神の存在、物質の存在を明らかにしていくところまで証明しているなんて知らなかった。気づけたのは、本書が「省察」を大局的に扱ってくれているおかげです。
P175:
人間が間違いを犯すのは、「選択の能力」=「意志」によるものである。完全なる善なる神から与えられた「認識の能力」=「知性」は有限なものに対し、「意志」は際限がなく、あることを肯定することも否定することも自由(ゆえに神の似姿としての人間が有する能力)。「知性」で測り知れないものに対して、「意志」で判断をしてしまうから誤謬が生まれるのだ。正しく「知性」の中で判断を下すうちは、間違いを犯すことはない。
P191:
物体の存在証明
自分の中にある種の「受動的能力」がある。それは感覚にって捉えられる物の観念を受け入れる能力であり、生み出される観念は、それを生み出す能動的な能力が必要となるが、「知性」の働きを前提としないため(しばしば自分の意に反してそういった観念を得る)、自分の心の中からは発現していない。そうなると、こういった観念は私とは異なる実体のうちになければならない。欺く神ではない神は、それら観念を物体に由来すると信じる大きな傾向を人間に与えており、それら観念を私の中に送り込みむ物体が存在するとしなければならない道理がある。
デカルトの哲学は、部分部分で以後の主観的主義や分析哲学まで大きな影響力を与えており、まさに近代の大家という位置づけは否定できないという著者の意見。
神の存在が前提となっているため人の理性にフォーカスして認識が対象をなすといったカントの超越論的感覚でさらに考察は研ぎ澄まされるのだろうけど、土台はここにあるのかと感動。
すべての根源たる第一哲学を証明する論理に、それを前提としてしか存在しえない自然科学を拠り所にしちゃうとか、主観的な主張を盛り込んじゃうとか論旨が破綻してるじゃん、でもこの徹底的な姿勢は尊敬っていう著者のスタンスが何かかわいい。
まだにデカルト二冊目だけど、この本が入口といては最適なんじゃないかなっていうぐらい良い負荷で読み進められました。 -
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柏木達彦シリーズ文庫版の第2弾ですが,プラトンに関する講義ではないです。前作から通底しているのは,あるがままの事実を我々は見ることはできないということ。結局のところ,観察の理論負荷性に代表されるように,事実を知ることはものの見方に束縛されているということなんですね。つまり,絶対的事実など求めても仕方がない,事実と思っているものは「解釈済みの事柄」なのだ,と。また,科学だけでなく文献学(古典学)もまた観察の理論負荷性があってこそ成立しているということを知りました。プラトンの著書の中に出てくる「アトランティス」は大陸のことではなく○○のことだ!という新説が紹介される第3話は特に面白かった。アトランティスの正体も興味はありますが,肝心なのはそれではなくて,データをどのように解釈するかということ。事実を知るということは,整合的な解釈を行うこと…。
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ローティ本人の論文に挫折した私も、識者の解説で迂回してでも、ローティを理解しようと考えたため、本書を手にとった。蓋を開けてみれば、極めて分かりやすい説明で、ローティ理解は格段に進んだと言える。絶対的真理を掲げる人は怪しげだと見ていた私に、ローティの主張は恵みの雨であり、我々に関わりなく定まったものとして真理を探してそれに従うのではなく、我々を豊かにしてくれるような知見を形作り、さらにはそれも更新を続けて不断の発展を図る、というローティに心から賛同した。次はローティ本人の手に成る論文に挑戦してより良い理解を目指したい。とはいえ、アメリカと日本では思想風土は明らかに相違しているわけで、あまり熱狂的になってローティを妄信することのないようにしたい。そのためには、巷の話でもそうだが、極力正確に論旨を理解することだ。極力誤解のないように理解できれば、自分なりの視座を獲得できる気がする。冷静になって正確に読むことである。
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リチャード・ローティの多面的な思想を、ローティと密接な個人的交流のあった著者が平易明快に解説。ローティの思想の前提となる哲学史的なことについても丁寧に触れられており、これを読むだけで近現代哲学の簡単なおさらいをすることもできる。
広範な哲学的話題に言及するローティの思想をたどることは、著者の噛み砕いた説明をもってしてもなかなか難解であったが、絶対的真理は人間の考えとは別に定まっていて、人間はそれを鏡のように正確に捉えるよう努めるべきという「自然の鏡」的人間観を否定し、人間の「創造的」行為を重視するローティの基本的考え方には非常に共感した。 -
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教授と生徒の対話にのせて、色はどこにあるのか?という問いから始まり、わたしたちの知識の由来の問いへと広がっていく。その広がりを認識論的転回と言語論的転回という、二つの哲学史上の革命をキーにして解説。
そもそも哲学の問題は、今自分たちがしていることや見聞きしていることをどうやって一貫性をもって説明するか、という問題が前提になっているということはおさえておきたい。
この「変化」する物事と「一貫性」をもって語ることとのあいだにある相入れなさをどうやって解消するのかということが哲学の最大の問題。
この問題のなかに集約された要素の中のどこに問題の原因を見て、その解決を図るのか。
その答えが潮流によって「認識」だったり「言語」だったりという言葉で表される。 -
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『科学哲学者柏木達彦の秋物語―事実・対象・言葉をめぐる四つの話、の巻』(ナカニシヤ出版)の加筆改題版です。観察の理論負荷性と相対主義の問題や指示理論、言語行為論などのトピックを扱った、小説仕立ての哲学入門になっています。
第1話は、咲村紫苑という物理学専攻の女子学生が、柏木のもとで現代の指示理論について解説を受ける話です。フレーゲとラッセルの指示理論、サールのクラスター説、クリプキらの指示の因果説などを一通り説明した後、指示の因果説においても記述内容が機能しなければ指示ができないとするサールの立場が柏木によって紹介されています。
第2話では、柏木の同僚でフランス文学を研究している霧島直哉が、歴史的文献研究につきまとう哲学的問題を柏木にたずねます。歴史的文献を読む際に現代の知識を手がかりとせざるをえないのであれば、ありのままの歴史的事実をとらえることができないのではないかという問題を、霧島は柏木にぶつけます。これに対して柏木は、歴史について研究をおこなう者が、過去の事実を解明することをめざしている当事者の立場に立っていることに注意をうながし、そのような立場からは、歴史のさまざまな見方が並存しているという相対主義的な立場をとることはできないという考えを提示します。
第3話は、アトランティス大陸の物語と天文学とのつながりに注目するハーラルト・ライヒェという研究者の学説が紹介されます。そして柏木は最後に、科学史研究における文献を扱う際に、われわれの認識や解釈が果たしている役割の重要性を指摘して、話を締めくくっています。
第4話は比較的短い章になっており、第1話に登場した紫苑と第3話に登場した高見沢千春の二人が、柏木から「観念論」にまつわる話を聞くことになります。われわれの信念や知識から独立した実在を想定する考えから脱するときに見えてくる思想的風景が示されています。 -
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タイトルにひかれて買ってみた。ニーチェやハイデガーは最近関心のあるところだし、ローティも面白い。
著者の本は、以前に「哲学の最前線 ハーバードから愛をこめて」を読んだことがあって、わかりやすくて楽しかった記憶があり、この本も比較的わかりやすいかな?
ニーチェはエマソンの影響を受けているというのは、初耳。エマソンは、これまでまったく興味感心が向いていなかったのでけど、ちょっと読む価値ありと思った。
さて、ニーチェ、ハイデガー、ローティとつながり、なんか知的に理解しようというより、創造性のほうが大切なのだというのは、かなりなるほどの課題設定だと思う。
で、その辺をもうちょっと深めたいと思うのだが、本が進んでも、これまでの西洋哲学が思考重視であったみたいな話しが続く。。。
いや、その話しは、いろいろな人がすでにやっているので、「詩としての哲学」それ自体を深めてほしいと思うのだが、そこがよくわからないままに終わってしまった。
著者は、ローティが専門だったんだね。知らなかった。著者が編集した「紫の言葉たち」を読む必要があるということかな? -
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リチャード・ローティの哲学を、わかりやすい語り口で解説している本です。
ローティほど幅広い分野で活躍している哲学者は少なく、その思想の全貌を捉えることは容易ではありません。本書では、哲学プロパーの話題が中心となっており、政治思想についてはあまり述べられていません。著者はこれまでにも、「科学哲学者柏木達彦」シリーズなど、現代哲学の中心問題をわかりやすく解説する本を刊行しており、本書でも比較的ローティの思想になじみのない読者にも理解できるような工夫がなされています。
前半は、20世紀の言語哲学における最大の事件というべき言語論的展開と、それについてのローティの見方、さらに『哲学と自然の鏡』におけるローティの中心的な主張などが解説されています。後半は、ローティが従来の分析哲学と対局的な位置にあるとみなされていたハイデガーの思想をどのように読んだのかという問題や、彼のロマン主義への取り組みなどが扱われています。ただ、ローティの入門書でこれらのテーマに立ち入る必要があったのか、少し疑問に感じました。
また、ローティがプラグマティズムの立場から政治哲学の分野においてどのような貢献をおこなったのかということについてはほとんど触れられていないのも、少し残念に思いました。ただしこれに関しては、渡辺幹雄の『リチャード・ローティ―ポストモダンの魔術師』(講談社学術文庫)があり、本書の内容を補足するものとして読むことができるように思います。