ショウペンハウエルのレビュー一覧
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ショウペンハウエルは一流の文章家で鋭い皮肉や心を打つアフォリズムが至る所に散りばめられていて、気づいた時には文章に誘い込まれていた。
才能のある著者・良書の見極め方、文学との向き合い方の本質が書いてあり面白かった。古典こそ正義。
【メモ】
読書は他人の頭で考えること。自分の頭で考えることがベストプラクティスなので読書はとても有害なものだ。その土地を実際に旅したような、真の意味での基礎的な知識や問題を知ることができない。
著作家のタイプ
- 事柄そのもののために書く者
- 書くために書く者
後者は、金銭のために書く。真偽曖昧な思想や歪曲された不自然な思想、動揺時ならぬ思想を次々と丹念に -
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春日まほろさんの本棚より選書
とても良い本に巡り会えた。思索、著作と文体、読書について、の三篇からなる本書はどれをとっても「知」にたいする凄まじいまでのこだわりを感じた。
天才ゆえの思想なのだが、学者や著述家、出版者や評論家を次々に腐す言葉の数が圧倒的量にのぼり、読み始めは少し不快に感じた。人の悪口を聞いて気持ち良い事はない。言葉のプロフェッショナルによる罵詈雑言は凄い。
しかし読み進めると、ドイツ語を愛しているからこそ、失われていく文体を嘆き、文学を扱う人々を批難する理由には一応納得がいくし、「言葉が貧しくなれば思想も貧しくなる」もその通り。
以下は本文中から掬いとり噛み締めたい箇所 -
Posted by ブクログ
本書はドイツの哲学者ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』の「付録と補遺」から、読書と思考に関する三篇を収録したものです。
「思索」「読書について」はそれぞれおよそ20ページずつくらいしかなく、前提知識も必要ないため非常に読みやすいです。一方、「著作と文体」については100ページ程度あり、前述の二篇に比べると量が多いこと、また(ヘーゲルに代表されるような)ドイツ語の悪文批判が具体的に展開されるため、前提知識を持たないわたしにとっては飛ばし飛ばし読み進めることとなりました。
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない」
「ほ -
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160P
ショーペンハウエル
1788〜1860
ドイツの哲学者
ベルリン大学でフィヒテの講義をきいて失望。ヴァイマルでゲーテと交わる。1820年ベルリン大学講師となったが,ヘーゲルの名声の影響で聴講者がなかったため翌年辞任し,以来,在野の学者として過ごした。彼の哲学は,カントの認識論に出発し,プラトンおよびインドのヴェーダ哲学の影響を受け,観念論・汎神論・厭世観を総合した「生の哲学」を説いた。その思想は19世紀末の厭世思想,特にニーチェに大きな影響をおよぼしている。主著『意志と表象としての世界』
読書について (光文社古典新訳文庫)
by ショーペンハウアー、鈴木 芳子
しかし書くことで -
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本書は、「思索」、「著作と文体」、「読書について」の3つの小篇で構成されており、これらはショーペンハウアーの主著「意志と表象としての世界」の『付録と補遺』に収められている作品である。
読み始めて数ページで、「読書は思索の代用品に過ぎない」、「読書は言ってみれば自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである」といった痛烈なフレーズが登場するので、本書を手に取るような「読書家」ほどばつが悪い思いをするかもしれない。しかし、そうした内容であるにもかかわらず、歴史の風雪に耐えて、鋭く人々の心を捉えてきた本書には、読書家の蒙を啓く確かな力がある。
特に「思索」では、自分の頭で考えることの重要性が幾度となく -
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私は、残された人生における限られた時間になるべく多くの本を読もうと思ってそれを実践してきたのだが、どうやらそれは間違いであった。どうもそうではないかと惧れていたのですが、やはり間違いであった。
ショウペンハウエルが言うように、読書とは他人にものを考えてもらうことであり、ほとんど丸一日を読書に費やす勤勉な人間は、次第に自分でものを考える力を失っていくからだ。読書は必要なのだが、それは自分で思索するためでなくてはならない。多読することが目的になってしまうと読んだものを反芻し、熟慮するまでに至らないことになる。また世の中には悪書が氾濫し、読者の金と時間と注意力を奪いとる。
TVやSNSに浸かっ -
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博覧強記の愛書家は、この人はこう言った、あの人はこういう意見だ、それに対して他の人がこう反論した、などと報告する。議論の余地ある問題に権威ある説を引用して、躍起になって性急に決着をつけようとする人々は、自分の理解力や洞察の代わりに、他人のものを動員できるとなると、心底よろこぶ。博覧強記の愛書家は、なにもかも二番煎じで、複製品をまた複製したかのように、どんよりと色あせている▼読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうことである。紙上に書かれた思想は、砂上に残った歩行者の足跡に過ぎない。歩行者のたどった道は見えるが、歩行者がその途上で何を見たかを知るには自分の目を用いなければなら
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『思索』『著作と文体』『読書について』の三編からなる本。タイトルの『読書について』と『思索』が各々約20 頁程度。『著作と文体』が約100頁。この『著作と文体』にショーペンハウエルの感情が爆発してると言いますか…出版社や匿名批判への恨みや、ドイツ語が衰退していく事についての危機感など、とても辛辣な言葉で語っており、時折笑ってしまうような部分もありました。それにしても、この本が150年以上前に書かれたとは驚きです。現在の日本の事ともいえるような事も多々ありました。やはり今の日本の教育で必要なのは外国語ではなく、母国語である日本語をしっかりと学び、日本語を守っていくことが大事だなとも感じました。
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Posted by ブクログ
著者が現代に生きてたら怒り狂ってるだろうな
金稼ぐための文章は全てクソっていうのは世の中を斬りすぎな感じはするがほぼ同意
最近のネットとりわけSNSにはそういった文章が溢れ過ぎ
またGPTの普及に伴い今後さらに増えるんだろうな
本著を読んで気付かされたがこれらの文章って接種しても全く栄養になってないしただのストレスにしかなってない
インプットの量を減らして質を求めた方がいいかも
読書は馬で運動場を走り回るみたいものって話はよくわかった
確かに自分の血肉になっている思想などは自分の中で考えて結論を出した物ばかりだ
結局自分で考えるが最強
また読書は考える力を失わせるってことも言及していたが思 -
Posted by ブクログ
何点かふと我に返り考えさせられることばもあった。私も無駄なプロセスは必要だと思う。
■無知は富と結ぶつくことによって初めて人間を堕落させる。貧しい人は貧困と辛苦によって躾けられる。
■読書とは自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうことである。
■大量に,またほとんど一日中読書する人は自分で考える能力を次第に失っていく。私たちが自分の思考への従事から離れて読書に移るとき,安堵感を得られるのはそのためである。読書中の私たちの頭の中は,他人の思考の遊び場であるに過ぎない。
■たくさん読書すればするほど,それだけ読んだ内容が精神に跡をとどめることが少なくなる。実に多くの学者がこの例に当ては