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書籍、雑誌、新聞、ネット……。現代社会はまさに情報が氾濫している。ショウペンハウエルが憂いた、良書を見つけるのが極めて難しい時代である。「読書する人は、自分で考える能力をしだいに失ってゆく」「非読書術」まで説いた、ショウペンハウエルの真意はどこにあるのか。稀代の読書家であり、現代の碩学が、ショウペンハウエルの人生と考え方からその真意を解説し、自らが身につけてきた「知的読書法」を紹介する。本書は、考える力を養うための、書物との付き合い方である。若人よ、恐れるな。本は頭脳となり、生きる指針となる。
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Posted by ブクログ
何点かふと我に返り考えさせられることばもあった。私も無駄なプロセスは必要だと思う。
■無知は富と結ぶつくことによって初めて人間を堕落させる。貧しい人は貧困と辛苦によって躾けられる。
■読書とは自分で考える代わりに他の誰かにものを考えてもらうことである。
■大量に,またほとんど一日中読書する人は自分で考える能力を次第に失っていく。私たちが自分の思考への従事から離れて読書に移るとき,安堵感を得られるのはそのためである。読書中の私たちの頭の中は,他人の思考の遊び場であるに過ぎない。
■たくさん読書すればするほど,それだけ読んだ内容が精神に跡をとどめることが少なくなる。実に多くの学者がこの例に当てはまる。彼らは読書して馬鹿になってしまったのである。
■反芻することによってのみ,人は読んだものを身につけることができる。
■読んだ内容について後から再び思索することなく絶えず読書を続けると根を下ろすことがなく,たいていは失われてしまう。摂取したもののうち,殆ど五十分の一も吸収されない。残りは蒸発や呼吸などによって排出されてしまう。
■紙の上に書かれた思考とは,決して砂の上の足跡以上のものではない。
■作家の作品を読むことによって,その作家の特性まで身につけられるわけではない。けれども私たちが同様の特性を既に素質として,つまり可能性として所持している場合には,読書することによって内部のその特性を呼び起こし,意識へと登らせることができる。
■悪書は単に無益であるばかりでなく,実際有害でもある。著者・出版業者批評家は強固に結託している。
■私たち読者の側に関して言えば,非読書術が極めて重要である。
■良書を読むための条件は,悪書を読まないことである。人生は短く,時間と労力には限りがあるのだから。悪書は知性にとって毒である。
■書物を買うのは良いことだ。ただし,それを読むための時間も一緒に買えるならば。だが,大抵は書物を購入することで,その内容まで我物にしたと勘違いする。
■誰しも自分の関心に合うもの,即ち自分の思想体系や目的に合致するものしか留めておけない。
■「反復は習得の母」と言われる。とにかく重要な書物はいずれも,間を置かずに二度読むべきである。二度目にはテーマを文脈に沿ってよりよく把握できるし,結末を知ることによって初めて冒頭部分を正しく理解できる。
■文学史上の少数のうまくいった出産は,陳列室に探す必要がない。彼らは不死の者として,永遠にはつらつとした青春の姿で悠然と歩いている。
Posted by ブクログ
前半は著者ショウペンハウエルの解説。
私は著者のことを知らなかったので概要を知ることができて参考になる。
読書とは、私たちの代わりに誰かが考えてくれることであり、その人の心の動きを反復しているだけ。
読むことばかりに慣れていると、極端な場合は自分で考える力を全く失ってしまうのだ。
本を読んでいる時、考えるという作業の大部分が免除される。
反芻することによってのみ、人は読んだものを身につけることができる。
多読、雑読。していれば、そのうちにだんだんと本を選べるようになる。
役に立つかどうか分からない本は読まない。というのは点滴で栄養を摂ることに通じる。それでは胃や腸そして歯は発達しないだろう。
読んだら自分で考える。そうしないと自分の中に根付かない。
良書を読む条件は、悪書を読まないことである。人生は短く、時間と労力には限りがあるのだから。
古典を読む。しかも原書を読むこと。
一方で、著書はベストセラーをなるべく読もうと心がけている。ベストセラーは、少なくともその時代の何かを反映していると思うからだ。
本を読んでどんどん忘れても良いのである。忘れるようなものはいらないと諦めて構わない。
自分の読んだものが身に付いたかどうか確かめる方法がある。それは書くことだ。
再読
自分で考え抜いた知識は価値が高い。また、我々が徹底的に考えることができるのは、自分が知っていることだけである。知るためには学ぶべき。
当たり前のことだが、ハッと気付かされた。
書物から読み取った他人の思想は、他人の食べ残し、他人の脱ぎ捨てた古着にすぎない。とある。だが、しかし、書物から学ばなければならない我々は。と考えてしまう。
その点、ゲーテの一句が参考になる。
汝の父祖の遺せしものを、おのれのものとすべく、自ら獲得せよ。
つまり、思索するものは自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てるにすぎない。
読書は自分の頭ではなく、他人の頭で考えることである。
読書で生涯をすごし、さまざまな本から知恵をくみとった人は、旅行案内書をいく冊も読んで、ある土地に精通した人のようなものである。これと対照的なのが生涯を思索に費やした人で、いわば自分でその土地に旅した人の立場にある。
Posted by ブクログ
新訳とついているが、訳した本ではない。ややこしいが、この本は『読書について』の要約で、一つの言葉について、渡部さんが(これはこうゆうことだ、これはそう思う)などの解説や意見を書いている。
それでもこの本はが価値があると思うのは、ショペンハウエルの生涯や、基本的な考え方が書かれており、初心者や、ショペンハウエルの感覚がわからない人に掴みやすい。
も一つ、渡部さんの意見として書かれていることに(これは、そうとも限らない)や具体例が、哲学を触れるにあたって盲目的に囚われないストッパーになっている。
もちろん原著の方が読み応えがあるが、こういった本も改めて噛み砕くのにいいと思う。
Posted by ブクログ
渡部昇一によるショーペンハウエル『読書について』の解説とエッセイ?
え、新訳版だと思って借りたのに。普通に岩波版(読みにくいんだよな…)も借りることになりそうw
とはいえ、「保守派・教養至上主義の老人の頭の中を覗く本」として読むと、これはこれでけっこう面白かった。
「読書とは、自分で考える代わりに他のだれかにものを考えてもらうことである」に代表されるショーペンハウエルの言葉にとどまらず、芭蕉の「不易流行」や、カントの話も勉強になった。
渡部氏の「吸収しない繊維質が腸を作るように、わけのわからない本を読むことで考える力が育まれる」「何度か読むことで自分自身の変化もわかる」「書くことで、読んだものが身についたか確認できる」とかも確かにそうだと思う。
しかしまあ、英語学者の偉い先生(Wikipediaテキトー情報)らしいが、どうでもいい話も多いし、スーパーのレジ業務などを「頭を使わない仕事」と言い切る、「論文書けるやつえらい」感、「シナ」連呼とか、非常に感じが悪い。マジで爺さん何言ってんのw
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