ショウペンハウエルのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
読書とは他人にものを考えてもらうということ。多読するな!ー最近意識的に多読をしていたが読書の内容が頭に残らないことが悩みだったのだが、この文句が心に響き読んでみた。
全体的にかなり辛辣で笑えたが、繰り返しも多くとっつきにくい例を出すので難しい印象だったが、それでも著者の主張はしっかり伝わった。
今後気をつけようと思ったことは、
読書した後、自分の頭で考えること。思索すること。
多読するだけでは無駄。
文章を書くときは、伝えたいことを必ず持っておくこと。
伝えたいことは一つずつ伝えること。
文体を飾り立てず読者の視点で伝えようとすること。
できるだけ古典を読むこと。 -
Posted by ブクログ
なんか作者の人モテなそうってのが第一印象。流行りのものが大嫌いで、昔のヴィジュアル系とかイギリスのメタルを絶賛してる高学歴陰キャのイメージ。
でも文書自体はとても読みやすくて、難しい言葉を使おうとしない所が良かった。同じ内容が何回も繰り返されて少しくどい所もあったけど、その分言いたい事は伝わってきて良かった。
「名を名乗らざる卑劣漢」が罰を与えられた時の事を、「知恵の霊鳥、夜専門のふくろうは、その殊勲者を迎えて喜びのあまり、真昼に歓喜の叫びをあげるに違いない」と表現したのがめちゃくちゃシュール。
ペンと思想の関係 意思と化石
匿名 批評家 作者
文体 思想の性質
複雑な複合文章 ドイツ -
Posted by ブクログ
ショウペンハウエルによって書かれた「思索」「思索と文体」「読書について」の3篇である。以下に、本書のまとめと自分の考えを述べる。
読書は、自分の思索を他人に預けることであり、本を読んでもその考えに至った経験や過程を得られるわけではない。得られるのは、結論のみである。そのため、読書をしても内容を吸収できない。ただ、思索するトピックを得るために本を読むのは良い。
知性あるものは、自分自身で体系的に物事を組み立てることができる人で、例え、その内容が間違っていても高尚な人物には違いない。
良書を読むには、トレンドや時流に乗った本等の悪書を読まないことが必要である。その点で、古典はどの時代の -
Posted by ブクログ
読んでる最中、厳しい〜でも分かるかも〜ってずっと思ってた。本に書いてあるのに読書すると思索が止まるから読むなって冒頭から書いてあって笑った。
書評の匿名性や言語の文法的な変化など現代にも通じる事が多いと思う。
ただ、言語は時代と共に変化していくものだからずっと同じ文法や単語を使っていくのは難しいと思う。
ずっと残っている古典は素晴らしいものだから、最新の悪書を読むなら古典を読め、っていのも言いたいことは分かるけど、読書という行為やその本を読むという行為の先に何を求めるかにもよって変わってくるよなーと思った。
ただ、本を読むだけでなく、そこから思索に転じることもやってかなきゃなと思った。これから -
Posted by ブクログ
ショウペンハウエルによる「思索」「著作」「読書」に関する短編集。
ショウペンハウエルは19世紀に活躍したドイツの哲学者で、その厭世的な思想はニーチェ、ワーグナーなどに広く影響を与えた。
しかし本著ではそのような思想はあまりみられなくて、単純に「人間はどのように考えて生きるべきか」が一貫したテーマに据えられている。
古典としては非常に読みやすい部類かと思う。明快なメッセージが述べられているし、表現も平易。途中あるドイツの古語と現代語の対比が冗長なので、これは読み飛ばした。
強くてシンプルなメッセージがその特徴。皮肉に満ちた表現も多い。
その主張を簡単にまとめると、「読書は思索の代用でしかな -
Posted by ブクログ
【ショーペンハウアーの主張】
3段階のロジックで捉えた。
第一。多読は有害である。いくら栄養があるといえども、食物をとりすぎれば胃を害し、全身をそこなう。精神的食物も同様に、とりすぎれば、過剰による精神の窒息を招きかねない。身の丈にあった量を反芻することではじめて、書物はわれわれを養う。
第二。ただし、量の多寡の以前に、そもそも読書をするに値する人物が限られている点に注意をうながしたい。読書は、著作家の才能と共鳴する形で、読み手が持つ天賦の才能を呼び覚ますものである。才がない場合は、表層的な手法を学び、軽薄な模倣者になるにすぎない。
第三。才ある人物が、限りある時間と力を消費して -
Posted by ブクログ
前半は著者ショウペンハウエルの解説。
私は著者のことを知らなかったので概要を知ることができて参考になる。
読書とは、私たちの代わりに誰かが考えてくれることであり、その人の心の動きを反復しているだけ。
読むことばかりに慣れていると、極端な場合は自分で考える力を全く失ってしまうのだ。
本を読んでいる時、考えるという作業の大部分が免除される。
反芻することによってのみ、人は読んだものを身につけることができる。
多読、雑読。していれば、そのうちにだんだんと本を選べるようになる。
役に立つかどうか分からない本は読まない。というのは点滴で栄養を摂ることに通じる。それでは胃や腸そして歯は発達しないだろ -
Posted by ブクログ
ネタバレ4
読書については本来2巻本の一部であり、これはさらにその断片を切り取り、致知で著名な渡部昇一が、訳と自身の異論を含む解説をつけた形式。以前の本を読む本でもあったが、解説・解釈があっているかは確認すべきだが、それなりに納得はできる解釈。原著の内容よりも訳者のエピソードが面白い。読書後に自分で考える・書く・伝える・自分の意見を述べるといったアウトプットをしないと意味がない。渡部は本に、妻は自宅に金をかけ教養と快適な暮らしを生前から享受。子供に金を使う話や自身の哲学にお金を使う話は非常に感銘を受けた。
父の自殺、母との相性が悪い、母や妹の小説の方が売れた、この辺りは彼の哲学を読む上での前提。
「 -
Posted by ブクログ
新訳とついているが、訳した本ではない。ややこしいが、この本は『読書について』の要約で、一つの言葉について、渡部さんが(これはこうゆうことだ、これはそう思う)などの解説や意見を書いている。
それでもこの本はが価値があると思うのは、ショペンハウエルの生涯や、基本的な考え方が書かれており、初心者や、ショペンハウエルの感覚がわからない人に掴みやすい。
も一つ、渡部さんの意見として書かれていることに(これは、そうとも限らない)や具体例が、哲学を触れるにあたって盲目的に囚われないストッパーになっている。
もちろん原著の方が読み応えがあるが、こういった本も改めて噛み砕くのにいいと思う。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ3編からなる作品。哲学者ショウペンハウエルが真の本とそれ以外の悪書を一貫して対比させて描いている。悪書についてその原因を突き詰め、出回っていることを示している。良書には思索があり端的な言葉で明白に書かれている。悪書に時間と金を取られないよう何度も読者に注意を払っている。
また、ドイツ語という古典に起源を持つ言語の危機にも触れている。表現の厚さが失われているという点は日本語と似ており、曖昧な表現で済ませてしまうことが増えてきた。
著者が持っている危機感とは言語の重要性という意味もあるが、思想についてである。言語は人の思想を表現するものであるため言語が乏しくなることにより思想も乏しくなると考えてい