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Posted by ブクログ
夏休みに宿題の読書感想文を四苦八苦して書いたのに、先生から「お前のは感想文じゃない、あらすじだ」と言われた経験はないだろうか。感想というのは、読めば自動的に湧いてくるわけではない。
読書と思索の関係もこれと似ている。わわわれは知識を頭に入れただけで、何かを考えたような気になってしまう。でも、「知る」ことと「考える」ことはまったく別物だ。この区別がついている人はじつは少ない。受け売りの知識にすぎないものを自分が考えたことのように語っている人間のいかに多いことか。「読書は思索の妨げになる」というのは、つまりそういうことなのだ。
本書はこうした読書についての鋭い洞察が詰まった一冊である。「良書は二度読め」も同じである。これを実践している人はどれくらいいるだろうか。かく言う私もつい最近やっと始めたのだが、なんでもっと早くやらなかったのかと後悔している。
面白い本に出会ったときは、読み終わったらすぐに最初から読み直す。時間が経ってから読み返すのでは意味がない。そう言えばこんなことが書いてあったっけ。そのくらいの認識で終わる。続けて2回読むから意味がある。もちろん、3周4周できるならそれに越したことはないが、忙しくても最低2回は読んだ方がいい。
ドイツ語の諺で「Einmal ist keinmal」というのがある。einmalは1回、keinmalは一度もない、0回という意味。つまり、1回なんてなかったのと同じ、回数に入らないということである。2周目の読書はまさにこの感覚なのだ。1回だけでは読んでないと言っても過言ではない。
Posted by ブクログ
アフォリズムすごく胸に刺さる。著作と文体は読むのに時間がかかったが、思索と読書についてはすらすら読める。面白かった。とても200年前に書かれたとは思えない内容。岩波の表紙の表現が素晴らしい。「読書をめぐる鋭利な寸言、痛烈なアフォリズムの数々は、出版物の洪水にあえぐ現代の我われにとって驚くほど新鮮である。」古典に対し「新鮮」である、という表現を使うところに岩波編集者のオシャレさが伺える。46〜47ページの匿名批評に対する箴言は現代のインターネットの無秩序を見事に表している。びっくりした。70ページの精神の貧しさに対する箴言、120ページの比喩を用いることの賞賛、128ページの多読する学者に対する批判、137ぺーじの本を買い漁る読者に対する忠告。金言がある。1番好きなのは30ページの「最近の発言でありさえすれば、常により正しく、後から書かれたものならば、いかなるものでも前に書かれたものを改善しており、いかなる変更も必ず進歩であると信ずることほど大きな誤りはない」素晴らしい!科学研究にも通ずるものがある。
Posted by ブクログ
ショウペンハウエルは一流の文章家で鋭い皮肉や心を打つアフォリズムが至る所に散りばめられていて、気づいた時には文章に誘い込まれていた。
才能のある著者・良書の見極め方、文学との向き合い方の本質が書いてあり面白かった。古典こそ正義。
【メモ】
読書は他人の頭で考えること。自分の頭で考えることがベストプラクティスなので読書はとても有害なものだ。その土地を実際に旅したような、真の意味での基礎的な知識や問題を知ることができない。
著作家のタイプ
- 事柄そのもののために書く者
- 書くために書く者
後者は、金銭のために書く。真偽曖昧な思想や歪曲された不自然な思想、動揺時ならぬ思想を次々と丹念に繰り広げて行く。
著者の3つのタイプ
- 考えずに書く(1番多い)
- 書きながら考える
- 執筆に取り掛かる前に思索を終えている(非常に少ない)
執筆すべきテーマの素材を自分の頭脳から取り出す者だけが、読むに値する著作家である。
ある本が有名な理由の区別
- 素材のため
- 形式のため
素材:珍しい事、実験を試みた結果、史料の探索や特殊な研究に努力と時間を費やした上でまとめた歴史的事件などは重要な意味を持つ
形式:第一に知性、判断力、活潑な機知。第二にその人の知識も要素として重視される。
「愚か者も自分の家の中では、他人の家における賢者より物知りなり。」
一般読者は愚かにも新刊を読みたがり、良書を手にしたがらないのである。
匿名評論家(誰出茂内氏、Mr.Nobody)
- 悪党、無頼漢という名で挑め
- 名を名乗らざる卑劣漢
- 「我々は」ではなく「不肖この私めは」「臆病狡猾なこの私は」「卑ひき素浪人の私は」などの形式で発言するべし
- 匿名は悪習
単純素朴さ
- もっとも高貴なもの
- 言葉の芸術でも、建築術で装飾品を飾りすぎるのを警戒するように努める
- 不要な一切の美辞麗句、無用な敷衍、表現過剰を警戒する
- 純潔無垢な文体や話法に努める
- しかし、明瞭さを、まして文法までを簡潔さの犠牲にしてはならない。わずか数語を省くために、思想の表現を弱めたり、あるいは文意までも曖昧にするのは、愚かなことで非難されるべきである。
比喩の業は天才たることの証
- 絶妙な比喩を案出することは、事物に共通の類似した特性を把握することだからである。
- 哲学において、まったく相反した事物の中に共通の類似点を把握するのは、鋭い洞察力の業である。
怒りを欠く者は知性を欠く
- 知性は必ずある種の「鋭さ」を生む。
- 鋭き感覚は生活においても、芸術、文学においても、ひそかな非難と侮蔑を呼び起こすいくたの事柄に日々必ず出会う。
無知は富と結びついて初めて人間の品性をおとす。
読書は、他人にものを考えてもらうことである。
- ほとんど丸一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失っていく。
- 絶えず読むだけで、読んだことを後でさらに考えてみなければ、精神の中に根を下ろすこともなく、多くは失われてしまう。
- 生まれながらの才を欠いていれば、我々は読書から生気に乏しい冷い手法だけを学んで、軽薄な模倣者になるにすぎない。
悪書
- 読者の金と時間と注意力を奪い取る
- 金銭目当てに、あるいは官職欲しさに書かれている
- 精神の毒薬であり、精神に破壊をもたらす
良書
- 比類なく卓越した精神の持ち主、すなわちあらゆる時代、あらゆる民族の生んだ天才作品だけを熟読すべきである。
- このような作品だけが、真に我々を育て、我々を啓発する。
- 良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。
凡庸な者
- 新刊書でありさえすれば飛びつき、偉大なる精神から生まれた古典は、書架に死蔵しておく。
- 著作家たちは流行思想という狭い垣の中に安住し、時代はいよいよ深く自らの作り出す泥土に埋もれていく。
文学
- 真の文学
- 永遠に維持する文学
- とどまる文学
- 偽の文学
- 二、三年経てばその名声はどこへ去ったのかとなる
- 流れる文学
「反復は研究の母なり。」
二つの歴史
「政治史」
- 意思の歴史
- 我々に不安を与えるばかりか、恐怖心までも引き起こす。
- 大量の不安、困窮、詐欺、残忍な殺人に満ちている。
「文学および芸術の歴史」
- 知性の歴史
- 孤独の智者のように喜ばしい空気、晴朗な空気に満ちている
最初は誰も彼もが争って文学史を読みたがる。
本当のことは何一つ知らなくても、何かについておしゃべりできれば良いというのが、彼らの願いである。
Posted by ブクログ
春日まほろさんの本棚より選書
とても良い本に巡り会えた。思索、著作と文体、読書について、の三篇からなる本書はどれをとっても「知」にたいする凄まじいまでのこだわりを感じた。
天才ゆえの思想なのだが、学者や著述家、出版者や評論家を次々に腐す言葉の数が圧倒的量にのぼり、読み始めは少し不快に感じた。人の悪口を聞いて気持ち良い事はない。言葉のプロフェッショナルによる罵詈雑言は凄い。
しかし読み進めると、ドイツ語を愛しているからこそ、失われていく文体を嘆き、文学を扱う人々を批難する理由には一応納得がいくし、「言葉が貧しくなれば思想も貧しくなる」もその通り。
以下は本文中から掬いとり噛み締めたい箇所
一 さて理論的な問題にのぞんでも、これと同じように然るべき時を待たなければならず、もっともすぐれた頭脳の持ち主でも必ずしも常に思索できるとは限らない。したがってそのような人も普通の時間は読書にあてるのが得策である。、、、かりにも読書のために、現実の世界に対する注視を避けるようなことがあってはならない。というのは真に物事をながめるならば読書の場合とは比較にならぬほど、思索する多くの機会に恵まれ、自分で考えようという気分になるからである。(P16)
一 比喩あるいは直喩は未知の状態を既知の状態に還元するかぎり、大きな価値をもっている。、、、すなわち、ある一つの状態が現れているケースをただ一つしか知らないかぎり、それについての私の知識は、普遍的な意味を持たない知識にすぎない。どう見ても、せいぜい直感的にすぎない知識である。しかし二つの異なったケースに現れている同一の状態を把握するかぎり、私はその状態一般について一つの概念を持ち、したがってより深い知、より完全な知を所有する。(P119)
「あ、これは具体と抽象の往復を言っているな」私など凡庸な人間には思索のためのフックが必要なので、シャーペンハウエルがすすめる良書(古典)のみでは心もとない。知の探求以外の娯楽溢れる現代、限られた時間で数多の書籍から何を選ぶのか、そもそも何のために読むのか。
少し変化できた自分に酔いしれながら筆を置く。
追記 再読大事
Posted by ブクログ
本書はドイツの哲学者ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』の「付録と補遺」から、読書と思考に関する三篇を収録したものです。
「思索」「読書について」はそれぞれおよそ20ページずつくらいしかなく、前提知識も必要ないため非常に読みやすいです。一方、「著作と文体」については100ページ程度あり、前述の二篇に比べると量が多いこと、また(ヘーゲルに代表されるような)ドイツ語の悪文批判が具体的に展開されるため、前提知識を持たないわたしにとっては飛ばし飛ばし読み進めることとなりました。
「読書は、他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた過程を反復的にたどるにすぎない」
「ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く」
本書のうちもっとも有名な一節の一つ。
世界を広げるためにも色々な本を読みたいなぁと思っているわたしにとってはグサリとくる一言です。
「いかに多量にかき集めても、自分で考えぬいた知識でなければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考えぬいた知識であればその価値ははるかに高い」
「熟慮を重ねることによってのみ、読まれたものは、真に読者のものとなる」
これは自戒をこめてですが、熟慮を重ねたうえでどこまで読めているかが甚だ疑問であるどころか、読書によって得た他人の知識ですら自分の中にどれほど残っているのだろうと思わされます。
さて、ショーペンハウアーは、悪書は金と時間のみを浪費させるもので、良書を読むべきであると述べています。
読書なんて全く価値がない、すべきではない、とショーペンハウアーは言いたいわけではないんですね。
100年単位の時のふるいにかけられても今なお読み継がれるこの良書、ぜひ一度お手にとっとみてください。
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