阿久悠のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ父が息子に伝えたかったであろう「父の言葉」を著書より、1000近いことばの中から篩いにかけ178の言葉を選別した、とご子息が一文を寄せられている。
人生とか仕事とかをキーワードに、琴線に触れるフレーズが心に響く!!
以下、本文より
たかが言葉されど言葉。
いやいや言葉は覚悟の諸刃の剣なんだよ。
『清らかな厭世』
得がたい友というのは、仲良くするということではない。
憎悪も含めて、認める相手のことをいう。 『球心臓』
人生にとってのマイナス要素なんて存在しない。
マイナス要素だと思えることも、かならず、教訓になりうるものだ。『人生は第二志望で成功する』
生きていくことは、
毎日誰かにテストされるってことだ。 『凛とした女の子におなりなさい』 -
Posted by ブクログ
その昔、塾に通っていたころ、皆さんは詞とメロディどちらで曲を選択するか?ということを講師に問われたことがあった。私はそれまで歌詞に注目したことなど皆無だったので、とても新鮮な質問だなと思った記憶がある。
私は1983年生まれだが、私よりもう少し上の世代から、現在に至る若手層はどちらかといえば曲のよさで音楽を選ぶ世代であるように感じる。
歌詞がいくら良くてもメロディが伴わなければ聴かれることはなかったはずだ。
その理由の一つは、音楽が家族みんなで楽しむものから極めて個人的な経験へと変化したからではないだろうか。1979年に一号機が誕生したウォークマンの登場もその変化に一役買っているはずだ。
つまり、口ずさむものから耳に直接注入するものへの変化が大きいと感じるのだ。
現代人が歌を口ずさむのはカラオケで熱唱するときぐらいで、歌詞を意識するのは極端に言えば、カラオケで歌うときくらいではないだろうか。
順番としては、メロディが優れていたときに意識し、買って聞いてみたら歌詞が良かった。そんな順序だったような気がする。
1997年の刊行からちょうど20年が経つ。1997年といえば、小室ファミリーの活躍が目立っていた。歌姫といえば、安室ちゃんであり、華原朋美であった。
本作は、阿久悠が100曲を一気に書き下ろすという非常に精力的な試みである。現代では、専業作詞家が100曲書き下ろしてもなかなか新書になったりはしないだろう。
著者は歌謡曲が自分にとってのメディアであったという意味のことを記している。TVやラジオよりも歌謡曲に時代が、そして男女の生態が刻まれていたと。
シンガーソングライターという形式が主流となって久しいが、詞から生まれる音楽にはより国民性などが反映されやすい気がする。
専業作詞家の役割が重視される時代がまた来るかもしれない。また、そういう時代が来れば音楽がさらに面白くなるのだと思う。 -
Posted by ブクログ
昭和の大作詞家による日記論。社会をどのような方法で見ていたかが垣間見れる。
・自分のアンテナに引っかかったことや思いついたアイデアは、すべてメモに残す。
・世界情勢、国内の事件、スポーツの結果、記憶に残る言葉、自分の考えと行動を同格に書く。
・ネタは5つを選んで順位を付け、1ページの日記に書く。選ぶ作業をすることで、その日のニュースが頭の中に入る。その日の自分の視点を確認できる。
・一番の関心事は、今現在の日本人。人間や世の中を観察することで、時代の風が見えてくる。
・どのような時代に生まれ、どのような時代を生き、存在してきたかを確認した方がいい。
・重要なのは、ニュースをどのような状態で聞いたか。それを積み重ねることによって、意味が出てくる。 -
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ネタバレ作詞家阿久悠さん(1937~2007 享年70)の「日記力」、2003.6発行です。確かに著者がご指摘のように、日記を書けば(読めば)、何を大切にして生きているか、どんな情報、どんな出来事に反応しているかがわかりますね。著者は「何が美しい」「何が恥ずかしい」の基準を持ってれば立派に生きられると仰ってますが、全くそうだと思います。私としては、立派云々ではなく、普通に暮らすために(とても難しいけど)自分を律したいと思っていますw。
私は小学校低学年の頃から日記帳に日記を書いています。最近20年位は手帳一冊に何でもかんでも書いています。挨拶した人、主要な出来事、読んだ本、収穫した野菜、野球・相撲・将棋の結果、特記事項。「ジョニイへの伝言」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「雨の慕情」「熱き心に」など数えきれない歌の作詞をした阿久悠氏「日記力」日記を書く生活のすすめ、2003.6発行。基本は1頁。すべてはメモから始まる。ありとあらゆることを。この日一番だったなと思うことをトップに書いてゆく。短歌が一行増え吸ったタバコの本数が消えたそうです -
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ネタバレ舞台は敗戦直後の日本。
戦死した長男の遺骨を、両親の故郷にある墓に納めるため、淡路島から九州に渡る恩田一家の物語。
戦後の混乱によって大幅に計画が狂わされるなか、恩田一家は家族の絆を見出していく。
題名に「飢餓」とありますが、葉っぱ一枚や薩摩芋一欠で一日を凌ぐといった、いわゆる餓死系の描写はほとんどありません。
もちろん、戦時戦後の貧しい食事場面は出てきますが、それよりも戦後復興を彷彿とさせる豪華な食事場面(ほとんど闇市の商品ですが)に見所が集中しています。まあこの小説自体が、戦争に負けた日本に於ける新しい価値観の萌芽を主題としているようですので。
私がこの小説を読んで一番感じたことは、「本当の飢餓とは、程度はどうあれ何らかの欲求を持ちながらも、具体的に何を欲すべきか分からない状態である」ということです。
例えば「猛烈に寿司が食べたい」というのは、「猛烈にお腹が空いている」状態だとしてもただの「飢え」なんです。自分が具体的に何を欲しているのか分かっているから、寿司屋へ行くなり、寿司の写真を眺めたり、刺身と米を用意して自分で握るなり、握れないなら代わりに海鮮丼をつくるなり、対処法はいくらでもあります。
でも、「美味しいものがたべたい」という場合、その人は「これだ!」と思うものが見つかるまで、たとえ適当に何かをかきこんで空腹を満たしたとしても、欲求は満たされないんです。欲求を満たすためには、存在するのかも分からないものを、漠然と思い描きながら探し回るしかない。これが「飢餓」なんです。「何となく美味しいものが食べたい」でも、「猛烈に美味しいものが食べたい」でも、「飢餓」であることは同じです。どちらも「猛烈にお腹が空いて寿司が食べたい」人よりは、欲求が満たされにくい。
んで、この小説に出てくる圭太という少年は、この「美味しいものが食べたい」という状態なんですね。彼自身はひもじい思いをしているわけではないんですけれど、美味しいものが食べたいのに、食べたいものが思いつかない、と書かれている場面があるんです。物心がついた頃には戦争が始まっていたから、戦時中の食事しか知らないんですよね。だから私は、圭太とその両親が食べているものは一緒でも、「飢え」の度合いは随分違うんじゃないのかなあ、と思ったわけです。
欲求があるのはわかるのに、具体的にその内容が分からないというのは、現代でも珍しいことじゃないですよね。「自分さがし」なんかもその一種じゃないでしょうかね、最近聞かないけど。
あとも一つ気になったのが、圭太が饅頭を食べるのを拒んだり、圭太の父親が闇の酒を飲むのを渋ったりと、戦時中に無かった食物の飲み食いを渋る場面が多かったこと。
「食の禁忌」というのもよく話題になりますけど、これもその一種なんですかね。甘い饅頭や美味い酒を飲食することが、贅沢をいましめてきた日本への裏切り、今までの日本人を捨てて得体の知れない新しい日本人に変わってしまう、みたいに。イヴの林檎と同じですね。 -
Posted by ブクログ
相手に届くということは、同感でなくてもいい。反発であっても構わない。何か、相手の興味を引く物でなければ、商品とは言えないのである
一つの物語を詞にするにも、長編形式で全部を語るのか、その中の象徴的な1シーンだけを書くのか。どちらかに決めなければいけない。どちらがより効果的なを考えるわけだ
「ざんげの値打ちもない」は長編で、「また逢う日まで」は情景である
一人称か三人称かというのも、テクニックの一つである。三人称というのは、初めから、物を見る目が三人称になっていなければできない
カムバックソングに不可欠な要素は、爆発力だと思う。シミル歌よりタタク歌の方が適している
白い蝶のサンバ ポップアート
蝶、白い イメージが人によって取り方が変わるのがいい
カムバックソング
捨てるもものと残すものを考える、全部捨ててしまうと今までのファンが逃げる
ざんげの値打ちもない シナリオのト書きを歌詞にする
ピンポンパン体操
長くて子どもが覚えられない歌→レコードを買いに走る
いろんなコマーシャルソングを入れる おもちゃをいっぱい与える
四行詞
77、75、75、75
起承転結、3段論法、3すくみ
四行をどう活用しているのか研究してみると面白い
五行詞・六行詞
四行詞にサビを加えたもの 大きなクライマックスを盛り込むことができる
三人称で書いていたものに突然サビ部分で、一人称の主人公の叫びを入れるとかできる
二十四小節形式・三十二小節形式
二十四小節:ABA、AAB、ABC Aメロ Bメロ Cメロ
二十四小節:AABA、AABC、ABAC
時代の飢餓感を見極め、捉えること
時代の満たされない部分を補ってやるものが歌
テーマ
「人間とは何か」を描く。人間に何を対面させるのか。社会なのか、自然なのか、運命なのか、歴史なのか、業なのか、悦楽なのか
詞というのはなるべく早く原稿用紙から脱出させてやるべき。それにはため息つく前に、いろいろと動くこと
歌とは時代の中で変装している心を探す作業
コンセプトが新しくて、そのままじゃまだ通じにくいから安心材料として演歌の小道具を入れる ex. 北の宿から
逆にコンセプトが古すぎるので、定型を重視しつつも、いわゆる演歌では使わない小道具だとか、使わないフレーズをどれだけ入れるかという勝負もある
イメージを共有するための装置としての情緒の定番