黒井千次のレビュー一覧
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ネタバレ働く職場(日本全国、時に欧米など)から退場し、地域社会に登場、年齢と共に生きる場所、行動範囲、使う言語・言葉を大きく変えて生きていますw。本を持ち歩く癖は学生時代から変わっていません。これまでの人生の節目は、大学の選択、結婚、定年です。黒井千次さん(1932年生まれで、五木寛之さんと同年生まれ)の「生きるということ」(2013.4)を再読しました。社会は狭く、家庭は広いという言葉に納得している現在です(^-^) また、ラジオは地味だけど心優しい暮らしの同伴者という言葉にも同感です!
今思うと、50代半ば頃が折り返し点だった気がします。国家・社会・家族への視点から、自分自身をみつめる視点にw。黒井千次「生きるということ」、2013.4発行、再読。上質かつキレのあるエッセイと思います。読んでて楽しく、そして心が落ち着きます。 -
Posted by ブクログ
老いのかたちは白骨死体、手厚く箪笥の中や床下に入れられたり庭に埋められたり、離れたくないと身近に置いて、死んだことにはしたくないと死亡通知を出さず代わりに老齢年金いただかれちゃったりして・・・。
彼奴らにとってはした金でも私たちには大事な虎の子を、社会保険庁(現・日本年金機構)のウジ虫どもが寄ってたかって使い倒して出るか出ないかわからないようにしてしまった、いってみれば国家的詐欺とでもいうしかないような代物にしてしまったわけですが、そういうとんでもない現実が待っている未来の≪老い≫という、いずれ私たちにも到来する重要なテーマは、今からでも決して早すぎはしない、否、ひょっとして最大の問題性をかかえたものかもしれません。
ところで、わが赤瀬川源平が、はつらつと颯爽と高らかに「老人力」と喝破したのが1998年ですから、もう今から12年も前になりますが、黒井千次もすでに4年前に講談社新書で『老いるということ』を表してはいますが、それは過去の作品から抽象した旧態依然たる、それぞれの自然体の必然的な老境・老後、みたいなものでしごく落胆したものでした。
もしかして、赤瀬川源平の目の覚めるような革命的な提言に怖れをなした保守反動の側からの応酬かもしれないと、思わず勘ぐりたくなったりしたものですが。
はたして、かつて彼の『エゴン・シーレ魂の裸像』(1999年)で大感激させてもらった目に狂いはなかったのか、もう一度確かめようとして本書を読んだわけですが、なんということでしょう、残念ながら好々爺然として渋茶を飲みながら、相変わらず日常茶飯事の小津安二郎ふうの感慨をつぶやくにとどまっています。
こんなはずじゃなかったのに、あの鋭い感受性からまったく新しい老境のスタイルが提案されると固く信じていたのに、嗚呼、老いたりし黒井千次!
でも、これもまさに彼でしか到達できえない唯一無二の境地なのですから、そんなににべもなく邪険にするのもどうかと思います。たしかに味わい深いにはちがいありませんので、もう茶々を入れるのはよしましょう。どうか、じっくりとご賞味あれ。 -
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人間って、年老いると、こんなに「老い」のことばかり思い続けるものなのか?
私は、私に関することはとてもよく考えます。
でも、「中年女性」だったり、「オバサン」だったりする自分の属性について考えることはまず、ありません。
だから、この本、エッセイ56本すべて「老い」をテーマに貫いていることに、驚きを覚えました。
その驚きは、感動ではなくて、「ああ、やっかいだな」というため息が混じる種類の感情で、「あきれる」に近いのでしょうか。
もちろん、「老い」をテーマにした本なのだから、最初から最後まで、老いのことばかりで間違いはありません。
でも、黒井千次さんですよ。
一人の老人以前に、一人の大御所作家なのですから、もう少し別の視点があってもいいのではないか。
そう思いつつ、読みすすみました。
某出版社のパーティーに、孫と同じ幼稚園に子供を通わせる女性作家が子供連れでやって来ていました。
彼女が、子供達に紹介してくれたときのことです。
「ほら、Mクンのオジイチャンよ」
普段は年齢を意識することのない、作家対作家の付き合いの中で、いきなり「オジイチャン」と紹介されたことにたじろぎます。
オレは、オジイチャンだったのだ、と急に老いたような感慨に包まれた。
老いを意識することについて、黒井さんはこんなふうに分析します。
老いは自分の内側から訪れるというより、むしろ他人によって運ばれてくる。多くの人が語ったり書いたりしているが、乗物の中で若い人から初めて座席を譲られたときの衝撃は容易に忘れがたいものがある。
好意を素直に受け入れられるようになるまでには、老いの自覚といった手続きが必要であるらしい。
老いてみてはじめてわかる、こんなリアルな悩みもあります。
いろいろ考えるうち、こんな応用問題が浮かんでくる。こちらが優先席に座っているところにもしもっと年寄りの客が乗ってきたならば、さっと席を譲ることができるだろうか、と。
当然そうする筈だと頷く一方で、こういう年寄りは混み合う時間の電車に乗らなければよいのに、と不平を噛みしめるのではあるまいか。
そうだとしたら、優先席に座る若者とこちらとの間にさして違いはないように思われてくる。老いてゆく自分とそれを眺める自分との間には、この種の面倒でややこしい関係がひそんでいる。
最初に、なぜこんなに「老い」を考え続けるのかわからないと書きましたが、なんとなくわかってきました。
黒井さんは、「自分の老い」を生きながら、その「老いていく自分」を通して「現代の老い」を観察者として観察しているのですね。
それは、たしかに、黒井さんにしかできないことかもしれません。 -
Posted by ブクログ
後藤明生。今だと完全にクズ扱いされる男性像だけど、この当時はまるで問題視されない「モテ自慢」の域だったのかと驚愕。そんなに昔ではないのに。
黒井千次。多人数視点の現代的な構成だが、いかにも小説的な登場人物の行動の突飛さにやや違和感を覚えるのはやはり時間の為せる技か。
阿部昭。私小説風だけど障害者の兄弟など現代にも通じるテーマを扱っていて、本書の中では一番印象的。
坂上弘。阿部昭にも通じる家族の葛藤を扱うが、近親相姦的な描写が生理的に無理。
古井由吉。現代的な視点でみると一番の問題作ではないか?男性作家による「女性」という主題の扱いがとにかく難しくなったと痛感する。