青山南のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読書というより小説というよりひとつの人生だった。天使の若さの暴発を、そばにいて体験したのだ。
と書きつつ、第二部まではなにを読まされてるの?と退屈で仕方ない。だってここは2025年の日本で、舞台は1940〜50年代の遥か広大なアメリカ。若さゆえに金に女にここじゃないどこかにとピョンピョン飛び回るディーン像が想像でも立ち上がらず、ただひたすらに言動がころころ変わってついていけない。なんなら主人公パートしか読めない。
なんでこんなに分厚いの?と思って読み進めると、時折り登場する、人生への世界への鋭い洞察。そこに興味をもち後半に入ってくると、驚くことに前半の退屈さが繋がってくる。若さには前後なん -
Posted by ブクログ
仕事中のことである。どうしてだったか、読まない本を買っても仕方がないじゃなあかという話になった。私が本屋に行っていたという話をしたためだったろうか、本文中でも触れられている通り本は勝手に増えるものであるから私が本屋に行こうが行くまいが無関係なのだが、普段読書という習慣のない人は本屋と読書を直線的に結びつけたがるものだ。そんなことがあったからか、いつの間にかこの本が手元にあった。これはいい、と思いながら読むこと数分。執筆した記憶はないのに、考えていることをドンピシャに書いてあるではないか。読書に関するエッセイであるから、無論本に関するエピソードが、様々な角度からとにかく大量に載せられている。本を
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購入済み
今の私には何もかも最高な作品
全くのゼロからスペイン語学習を始めて2週目で出会いました。
私は高齢だし、中南米に興味があってスペイン語を始めたし、この最高のタイミングで出会えたこの本はどこを読んでも楽しくてしょうがなかったです。
これからも何度でも開いて、電子書籍で買ったので検索もして、調べ物にも使うつもりです。
青山南さんを初めて知り、他の著書や絵本も読んでみたいと考えてもいます。
星5つでは足りない本でした。 -
Posted by ブクログ
仕事を始めてしばらく本を読めていなかった。学生時代あれだけ読んでいたのに、すっかり社会の荒波に揉まれて本を手にすることはなかった。
忙しさ、というのは本当は言い訳なのかもしれない。しばらく本を読んでいないと、私はなぜか本に対して申し訳なくなった。読みたいじゃなくて、読まないとなあ、と考えてしまう癖があった。学生時代はその癖で本当に様々な本と巡り合うことができた。この癖は私にとって本への愛情表現なのだが、読まないとなあ、と思ってしまうのはなんだか、会社から帰ってきて自由な時間ができたとき本を手に取るのを阻んでいるような気もした。
そんなときこの本と出会った。出会い方は覚えていないけど、なんだか -
Posted by ブクログ
最高だったっ…!
冒頭の10ページほどでもう好きになってしまっていた。
要約の合間に描写がはさまれてるような感じなのに退屈さを感じないのは、文体がリズミカルなだけでなくて、語彙センスがずば抜けてるからなんだろう。
ディーンの父親は最後まで見つからず、サルはディーンを置き去りにした。おそらく、ここでディーン父は何かのメタファーであろう。
たしか1890年だかにフロンティアはなくなったとの宣言があったはずだが、ディーン父が産まれたのはもしかしたらその前後の年なのもしれない。であれば、ディーン父の不在はフロンティアの消滅を表してるのであり、かつてのアメリカのメタファーである。サルの旅が西へと向か -
Posted by ブクログ
超名作「路上」を青山南さん新訳で読む。
読みやすさは圧倒的にこっちがいい。旧訳は言葉の選択とかがどうしても古くて、ちょっと読みづらいねんなぁ。
この歳になって読むとディーンの行動が若いころほど、かっこよく思えない。なんのかんの言いながら、こいつは結局、落ち着きのないダメ人間でしかないねんなぁ。
アメリカ大陸を、ヒッチハイクやおんぼろ車にのって、思いのままに縦横無尽にかけめぐる旅、ゆく先々で酒とドラッグとセックスで大騒ぎし、時には目の前の情景に圧倒されて…、
そういう当時のビート族スタイルにあこがれる気持ちが、俺の中にあったことは間違いないのだが、今となっては「そんなこともあったけど、今は