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十三・十四・十五歳。きらめく季節は静かに訪れ、ふいに終わる。シューマン、バッハ、サティ、三つのピアノ曲のやさしい調べにのせて、多感な少年少女の二度と戻らない「あのころ」を描く珠玉の短編集。
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Posted by ブクログ
最近、本棚から森絵都さんの本ばかり取ってしまいます。そういう時は大体疲れて心が疲弊してるときなのですが、森絵都さんの作品は表現が甘美で繊細で、そんな心を一気に癒してくれます。 どの作品も全て中学生が主人公、一人称で書いてあり、楽しさ苦さ切なさがぎゅうぎゅうに詰まった思春期の心をじっくり体験することが...続きを読むできます。あの頃みんなが体感する、濃すぎるくらい濃厚な人生を音楽とともに味わえる、贅沢な作品でした。
アーモンド入りチョコレートにとてもタギル。不思議なサティさんは足跡を残して居なくなった。人に影響を受けるのは素晴らしいと思う、読んでいてなんだか温かい気持ちになりました、余計な要素を入れないで4人の交流だけを見ていられた。森絵都さんのは漢字も他と変わりなく使っていて短編だけではなくて、どうして読みや...続きを読むすいのかな、児童書が難しい表現をしない訳ないし、自分の中に自然に入ってくるし、読み終わって満足感ともっと読みたい思います。路傍の石賞だけでなく本当に受賞されてる
ピアノの音がする やさしい調べが心に染み込み 懐かしい日々が甦る そんなお話たち 読んでいくうちにぞわぞわしたり、ハラハラもするけれど最後には夕焼けの中にいて、みんなの後ろ姿が赤く染まる風景が見えてくる 解説の角田さんのように 私ももっと早く読みたかった 中学生の頃に
全体的にどのお話も、切ないような懐かしいような、もう取り戻せない時間の中にあるようなお話ばかり。 この瞬間も大事にしなければと感じた。
タイトルを見たとき、なぜかアーモンド臭と間違え青酸カリでも出てくる推理モノと勘違いしていたが とんでもない。とても爽やかな短編集だった。 三話からなる短編集だが、どれも思春期の複雑な心の模様を描きつつも、さっぱりとした読後感だ。 一話目の「子どもは眠る」はいとこの男の子同士の物語。専制君主的な章くん...続きを読むを主人公の目線で語っていく。一人称だからこそ見えてなかった真実がじわじわと描かれ、少し切ない。
今年も再会の夏が来た。 ぼく、智明、ナス、じゃがまる、そして章(あきら)くんの5人は、関東のあちこちから章くんの別荘を目指して出発する。 「子供は眠る」 中三の秋。ぼくは不眠症に悩まされていた。一ヶ月の不眠。そんな状態で球技大会なんて、参加できるわけがない、逃げよう。そうして旧校舎へ逃げ込んだぼく...続きを読むは、元音楽室でピアノを弾いている藤谷りえ子に出逢った。 「彼女のアリア」 ピアノ教室に突如現れたサティのおじさん。 絹子先生、サティのおじさん、そして君絵。手をつなぎ、足をぶつけ合ってワルツを踊った木曜日の夜。 「アーモンド入りチョコレートのワルツ」 普段は身を潜めている、私の中にある情動や衝動といった類のものを呼び起こしてくれるそんな一冊です。 森絵都さんは「カラフル」や他を数年前に読んで間が空いていましたが、数行読んで、ああ森絵都さんだ、これぞ森絵都ワールドだと心を鷲掴みにされました。 男の子達の夏のひと時をほのぼの描いているのかと思いきや、突如不穏な空気が立ち込める「子供は眠る」、こうして、いつかあの日を振り返るような淡い思い出になるのかと思ったら、な「彼女のアリア」、読み始め数行でもうじわじわと泣けてくる「アーモンド入り〜」。 そのどれもが、思春期の子ども達のふわふわさやのんびりとした頼りなさの中に、際どさや一歩違えば大きく先が変わってしまう危うさを孕んでいて、でも最後にはちゃんと、締めてくれる安心感がありました。 大事件が起こるわけでは決してないけれど、誰もの人生の中に、当事者の他には誰にも知られず、でも大きく心が動いたこんなひと時がきっとあった、こういうことを経て皆大人になったのだと思わせてくれるようなお話ばかりでした。 音楽に関連したお話でしたので、該当曲を聴きながら読むとまたすごく良かったです。
あなたは、『あのころ』、何を思い、何を考え、そして何を目指して生きていたでしょうか? 人によって人生のどの時代が深く心に刻まれているかは異なります。それは、その人その人がどの時代に何と遭遇したかによっても異なるでしょう。思いもよらない天災に遭い苦難の日々を送られた方、病気を患い闘病の日々を送られた...続きを読む方、そして何らかの環境の変化により生活が大きく揺らいだ方、全く予想も出来なかった事ごとにより人生が大きく揺らぐことになった場合、そのインパクトはその人の中に深く刻まれるのは当然だと思います。 一方で、万人にとって共通に刻まれる時代というものもあるように思います。それが、青春時代です。中でも子どもから大人への階段の中に大きな変化が伴う時代、身体的にも精神的にも確実に変化していくのが分かる中学時代は変化が大きいが故に人生の中でも特別な時代だと思います。 そんな時代には、日常の中の一コマが思った以上に大きな位置付けをもって捉えられることがあります。例えば、『ぼくらの夏』という言葉の先にどんなイメージを思い浮かべるでしょうか?大人なあなたが、『ぼくらの夏』が来た!というような言い方をしたとしたら、あなたの周囲から人がいなくなるだけです。あなたは、その一言をもって変な人というレッテルを貼られて終わり、それだけのことです。しかし、一人の中学生が『ぼくらの夏』が来た!と目を輝かせながら語ったとしたらどうでしょうか?大人なあなたはそこに青春の煌めきの中に生きる一人の少年の姿を見ることになるでしょう。一方で、そんな一言を語る少年はその言葉に一つのイメージを持っていることもわかります。大人と子どもの狭間を生きる中学生たち、そんな彼らが『ぼくらの夏』という言葉の先に見るものは、変化が大きい時代を生きる彼らだからこそ感じる人生が煌めく瞬間、そんな瞬間をそこに見るのかもしれません。 さて、ここにそんな中学生たちが特別な想いを抱く瞬間に光を当てる物語があります。そこに登場する中学生たちは、『ぼくらの夏』に、『彼女と過ごしたまぶしい日々』に、そして『わたしたちは何度もワルツを踊った』という瞬間に、『あのころ』を感じて生きています。クラシック音楽がそれぞれに流れるそんな瞬間を生きた中学生たちが描かれるこの作品。クラシック音楽に想い出の日々を重ね合わせるのを見るこの作品。そしてそれは、クラシック音楽と共に中学生たちの心に刻まれた”永遠の一瞬”を見る物語です。 『ぼく。智明。ナス。じゃがまる。そして、章くん。ぼくら五人のいとこは、今年もまた関東のあちこちから、章くんの別荘をめざして出発する』という『再会の夏が来た』のを感じるのは主人公の『ぼく』こと『恭(きょう)』。『章くんの父さんの別荘』での宿泊は『五年前、章くんの呼びかけ』で集まって以来、毎夏続いています。長岡からさらにバスに二時間ほど揺られるという目的地への途中で『ぼくと同じ中学二年生』の智明と合流した恭は、『今年もまた、あの夏が始まる!』と感じます。『しゃれた外観』の別荘に着くと小学四年のじゃがまると、中学一年のナスの兄弟が既に到着していました。『ひさびさにいとこ同士が再会する瞬間には、だれもがちょっとよそゆきの顔をしている』という時間も『いつまでも続か』ず『夕食のテーブルを囲むころになると、ぼくらはもうすっかり一年前のぼくらにもどってい』ました。そんな子供たちの他には『ぼくらが集う二週間のあいだは、毎年、泊まりこみで面倒をみてくれる』という管理人の小野寺さんが3食を用意してくれます。そんな中、『シャワー浴びてこいよ。ひとり二十分以内だぞ』と『てきぱきと指示を出す』章は、『十時になったらリビングに集合だ』と呼びかけます。それを聞いて『まさか、アレじゃないよね』と恭は智明と『顔を見合わせ』ました。『章くんならやるかもよ』、『やるかもなあ』と『ひそひそと語りあう』二人。そして、『集合の十時』、『ソファに行儀よく腰かけたぼくらの前で』、章は『ステレオの電源を入れ』、『一枚のアルバムをうやうやしく掲げて見せ』ました。『章くん一家の趣味は、クラシック鑑賞』、『選ぶのは必ずピアノ曲』というその場。そして、『ぼくら四人は毎年、毎晩、そんな章くんの趣味におつきあいすることになっていた』という時間が始まります。『いつも途中でみんな眠りこけてしまう』というその時間も、翌朝ベッドにいることから、『小野寺さんが部屋まで運んでくれるんだろう』と思っている恭の前で始まった今年の『恐怖のクラシック・アワー』は、シューマンの「子供の情景」でした。そして、スタートした合宿生活。そんな四日目のこと、恭は『章くん、中学生のくせにクラシックが好きなんて、なんかへんだと思わない?』と智明に語りかけます。『どうしてぼくはいつも章くんの言うとおりにしなきゃいけないんだろう?』という『素朴な疑問』の先に出たこの一言。『あとから考えてみると、これは非常に危険な発言』というそんな一言が『今年の夏を、去年までとはまったくべつのものに変えてしま』う一夏の物語が始まりました。 表題作を含め、作品間に全く関連のない三つの短編から構成されたこの作品。単行本は1996年に刊行されており森絵都さんの作品の中でも最初期に属する作品の一つです。「宇宙のみなしご」と「つきのふね」という思春期の中学生の姿を色濃く写し取った傑作二つに挟まれるように刊行されたこの短編集は、同時期の森さんの作風そのままに、主人公はいずれも中学生が務めます。男子、男子、女子という三人がそれぞれにそれぞれの中学時代を生きたあの日々が描かれる三つの短編には、それぞれクラシック音楽が登場するのが共通点となっています。まずは、その内容を物語に登場するクラシック音楽とともにご紹介しましょう。 ・〈子供は眠る〉/ シューマン「子供の情景」より: 『今年も、再会の夏が来た』と、いとこ同士で章の『お父さんの別荘』へと赴いた五人は、すぐに『一年前のぼくらのまんま』の関係に戻ります。一方で、四人に細かく指示を出す章は毎夜十時からシューマンのピアノ曲「子供の情景」をみんなに聴かせます。章以外には『恐怖のクラシック・アワー』というその時間。そんな中、主人公の恭は、『どうしてぼくはいつも章くんの言うとおりにしなきゃいけないんだろう?』という疑問を胸に抱きます。 ・〈彼女のアリア〉/ J.S.バッハ「ゴルドベルグ変奏曲」より: 『卒業式の朝』、『机の中に、一通の手紙』を見つけた主人公の『ぼく』は『ごめんね』と綴られた文字に藤谷りえ子との想い出が頭を駆けめぐります。『中三の秋』、『球技大会』をサボって旧校舎へと逃げた『ぼく』は、『元音楽室』で一人『鍵盤を弾』く一人の少女と出会いました。当時不眠に悩んでいた『ぼくのテーマ曲』だったという「ゴルドベルグ変奏曲」を弾く藤谷も『不眠症』だと話したことから二人の関係が始まりました。 ・〈アーモンド入りチョコレートのワルツ〉/ サティ「童話音楽の献立表」より: 『母の背中に隠れるようにして』『その門を』くぐったのは『小学校に入学したばかり』の奈緒。そして、『週に一度のペースで』絹子先生によるピアノのレッスンが始まりました。小学校高学年になった頃、『サティの音楽はきれいだわ』等、サティの話ばかりする絹子先生。一緒に通う君恵という友人もできた奈緒は中学生になります。ある日、『ステファンよ、フランスから来たの』と絹子が紹介するサティに似た見知らぬ外国人が奈緒の前に現れます。 三つの短編に登場するクラシック音楽は、有名なものばかりですが、さらにわかりやすく紹介がなされていきます。例えば二編目の〈彼女のアリア〉で登場するJ.S.バッハの「ゴルドベルグ変奏曲」です。『昔むかし』、『知り合いに、ひどい不眠症に苦しむ伯爵がいた』というバッハが伯爵からの依頼を受けて完成したという曲の由来がまず語られます。そんな由来だけ聞くと、曲を知らない人には『スローな子守歌のようなもの』が想像されると思いますが、実際には『優しく眠りに導いていくようなメロディーでは、けっしてない』というその曲。『三十の変奏曲は、その多くがめまぐるしいほどのハイテンポだ』というその曲を『音符と音符が複雑にからみあい、もつれあって生まれるフレーズが、つむじ風のように耳をすりぬけていく。追いかけようにも、追いつかない。わざと聴き手をはぐらかし、逃げまわるような音律がこれでもか、これでもかと織りなされていく』と森さんは表現されます。私はこの曲を知っていましたが、曲名の由来は知りませんでしたし、そんなに思い入れをもって聴いたこともありませんでした。しかし、森さんの表現はそんな私に、すぐにでも聴いてみたい!という思いを抱かせてくれます。せっかくなのでと思い、読書をしながら聴いてみたのですが、う〜ん、これがしっくりきません。他の二曲も同様に試してみましたが、作品により入っていけるというより、読書に集中すると音楽が邪魔、その逆も然りというのが結論でした。物語には確かにこれらの曲が紹介されていますが、少なくとも作品の雰囲気感を表したものではないと思いました。あくまで、物語の主人公たちが、物語の中で聴いた曲であり、曲の印象が物語の印象には繋がらないというのが私の感想です。クラシック音楽が物語に登場する作品と言えば恩田陸さん「蜜蜂と遠雷」が有名です。あの作品の場合、作品内で主人公たちが弾くピアノを読者は頭の中でイメージし、頭の中で奏でます。同じ曲をそこで聴いてみても必ずしもイメージが重ならない演奏の場合があり、やはり読書をしながら音楽を聴くことは難しいと思いました。一方で私は、本を読みながらクラシック音楽をよく聴きます。「蜜蜂と遠雷」やこの作品のように、音楽を取り上げた作品の場合には、そんなBGMを聴きながらの読書は逆に成立しない、そんな風に感じました。一方で、読書に集中する限りにおいて、「蜜蜂と遠雷」同様にピアノ曲に限定された選曲によって、作品のイメージが上手くまとまる効果はとても感じました。 そんなこの作品の何よりもの魅力は、”多感な少年少女の二度と戻らない「あのころ」を描く珠玉の短編集”という内容紹介の言葉が上手く表しています。”多感な少年少女”という言葉に、このレビューを読んでくださっているあなたがどのような感情を抱くか、それは、経験というよりは、年齢が全てなのだと思います。この作品の主人公たちは中学生です。しかし、共通点はそんな主人公たちでさえ、物語の中で自分たちが歩んできた『あのころ』を振り返るところから始まります。一編目の主人公の恭は、別荘でいとこ同士で過ごす『ぼくらの夏』を楽しみに今年も夏を迎えるという場面からスタートします。そこに恭が抱くのは『ぼくらだけの世界にひたれるこの大事な夏を、ぼくは絶対になくしたくなかった』という特別な想いです。二編目の主人公の『ぼく』は、『卒業式の朝』に差出人不詳の『ごめんね』という一言が記された手紙を見つけて藤谷りえ子と『過ごしたまぶしい日々』を思い起こします。『典型的な受験生だったぼくの毎日は、藤谷との出会いによって、少し変わった。モノトーンの日々が、にわかに色づいた』という『火曜日の放課後』のひとときがそこにはありました。そして、三編目の主人公の奈緒は、『数年前、わたしはまだ子供で、絵空事みたいに幸せだった。そこにはいつもワルツが流れていた』という日々を思い起こします。『絹子先生、サティのおじさん。そして君絵』という三人と『手をつなぎ、足をぶつけあって、わたしたちは何度もワルツを踊った。みんなでぐるぐるまわりづつけた』という『あのころ』。そんな主人公たちの過去を彩る物語がその後にそれぞれ描かれていきますが、そこに読者が見るのはゆったりとしたノスタルジーに浸れるような美しい想い出でないところがこの作品の特徴です。それは、同時期に刊行された「宇宙のみなしご」や「つきのふね」と同じような感覚です。なんだかゴツゴツした青春を送る主人公たち。いわゆる優等生ではなく、どこか引っ掛かりを感じさせる主人公たちがそれぞれの時代を朴訥に生きていく様に、異物感を感じる方は間違いなくいると思います。しかし、そんな日々が奇跡のように『あのころ』という言葉で表現される世界の中に閉じ込められていきます。森絵都さんには「永遠の出口」という作品もありますが、その書名を借りるなら、そこに”永遠の一瞬”が閉じ込められるという表現になるでしょうか?十代、特に中学時代の成長のスピードは驚くべきものがあります。それは、身体的な変化ももちろんですが、内面にある意識・感情の変化は大人には想像できないスピードで生じていきます。まさしく”多感”な時代なのだと思います。変化は成長でもありはしますが、そんな日々の大きな変化を経験すればするほどに、ほんの少し前の時間がとても懐かしくも感じる、大きな変化をするからこそ、時の流れが速く感じるのだとも思います。物語に描き出される”永遠の一瞬”を振り返る主人公たち。そして、そんな彼らの姿を見る時、読者はそこに自らが記憶の深いところに大切に留めている読者自身の”永遠の一瞬”の存在を感じることになるのだと思います。この作品を読む読者の方で、自分にもこの作品のようなことがあった、と感じる方は少ないと思います。それは、それぞれの”永遠の一瞬”は、読者の数だけあり、主人公たちと重なるものではないと思うからです。そう、この作品はそんな読者が自らに刻まれた”永遠の一瞬”の存在を感じる起点を与えてくれる物語。そんな宝の存在を噛み締める物語なのだと思います。だからこそ、この作品は、”多感な少年少女”という時代を過ぎれば過ぎるほどに感じるものが大きくなる物語です。遠い時代を思い起こし、自身にもそんな時代があったことを噛み締める時、あなたの”永遠の一瞬”が確かに輝き出すのだと思います。 『ぼくらの夏が今年で終わる。完全に終わる。そしてもう二度と、始まらない』。 『彼女と過ごしたまぶしい日々が、ぼくの頭の中を走馬灯のように駆けめぐる』。 『ふしぎな大人たちとのワルツ・タイムは、わたしをどこかべつの世界へ、べつの次元へと導いてくれた』。 三つの短編の主人公たちが、それぞれの中学時代をそれぞれに駆け抜けていくその先に、そんな時代をふと振り返る瞬間を見るこの作品。そんな物語には、二度と戻ることのできないまぶしい日々の記憶が鮮やかに刻まれていました。中学時代は、身体的にも、精神的にも物凄い速さで過ぎ去っていきます。そんな時間の流れ方は大人な私たちの時間とは比較にならないものなのだと思います。そんな過ぎ去った日々を懐かしむ主人公たち。そして、そんな主人公たちの感情を遠い目をして見やる大人な私たち。この作品は、主人公の中学生たちの存在を通して、私たちそれぞれにも、『あのころ』があったことを思い出させてくれました。読者を一瞬にして、そんな『あのころ』へ引き戻してくれるこの作品。キラキラと輝いていたあの時代が、誰にでも、そう、このレビューを読んでくださっているあなたにも確かにあったことを教えてくれるこの作品。 森絵都さんの素晴らしい筆致にただただ魅了される傑作だと思いました。
バッハの音楽が物語になっていると知り、手にした本。森絵都さんのことは名前しか知らなかった。本当に何気なく手にした本だったので、期待は良くも悪くもなかったのだけれど、読んでとても良かった!中学生くらいの、あの感じを思い出す。懐かしいだけではなく、あの頃の苦しさも楽しさも、二度と味わえない、あの感じ。3...続きを読むつとも良かったが、彼女のアリアが私は1番心に残った。不眠症、虚言癖。淡い恋心。ともすると、ただの淡い初恋物語になってしまうと思うけど、そうはいかない。そんな簡単で単純ではないのが、あの頃のあの感じ、なのだ。彼の苦しさも彼女の苦しさも分かる。だけど、分かったつもりになっていることが、つまらぬ大人になってしまった証なんだろうな。なんとも言えぬ読後感を味わえた。
〈再登録〉ジューマン・バッハ・サティのピアノ曲をモチーフ、子供時代の出会いと別れを描いた三篇を収録。 子供の純真さだけではなく、嫉妬や迷いなどの葛藤もきちんと描いているのが印象的でした。
中学生の頃、国語の問題で登場した小説で、当時とても好きだなと思いタイトルをメモしていました。大人になった今、偶然そのメモを発見し、手に取りました。とても穏やかな文章でスッと頭に入っていくお話でした。音楽が好きなので心地よかったです。お気に入りの1冊になりました。
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