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いじめ、うわさ、夏休みのお泊まり旅行…お決まりの日常から逃れるために、それぞれの少女たちが試みた、ささやかな反乱。生きることになれていない不器用なまでの切実さを直木賞作家が描く傑作青春小説集
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Posted by ブクログ
すごいな、これ。1994年頃に描いた作品とは思えないくらい現代で。 や、現代の学校模様のほうがテクノロジーの進化でより、卑劣か。 4つの短編小説なんだけど、どこかで身に覚えのある感じ。 当事者だったり傍観者だったり、どこかに自分という存在がこの話にいて、 それがまたゾッとした。よくないことだ。 とく...続きを読むにいじめを描いた「放課後のフランケンシュタイン」は厭な話だった。 中二病感あって、ずいぶんと昔に学校というものを卒業したわたしでも感慨深かったです。
あなたが学校時代に一番夢中になったことはなんだったでしょうか? この質問の答えはまさしく千差万別でしょう。もちろん、大きくは勉強、クラブ活動、そして恋愛、大きくはこの三つのどれかに分けられる気もします。もちろん生徒会活動に注力した人もいれば、学外の活動に全力投球していたという人もいるかもしれません...続きを読むからあまり極端にそう言い切るのも危険な気はします。 いずれにしても一生に一度の青春時代、そのど真ん中にあった学校生活は誰の心の中にも強く刻まれていることだと思います。 では、こんなことに夢中になったと公言する生徒がいたとしたらあなたはどう思うでしょうか? 『私が最初に夢中になったことは、クラブ活動でも男の先生に憧れることでもなく、カンダをいじめることだった』。 さてここに、『いじめ』をする側視点で描かれた物語など、四つの短編が収録された作品があります。すべてがすべて、学校を舞台にしたこの作品。そんな作品の主人公たちが”ささやかな反乱”を試みるこの作品。そしてそれは、角田光代さんが30年前に描かれた学校どっぷりに描く物語です。 『ハルオのお通夜の日は、雪の降りそうな寒い日だった』と、『お焼香を済ませて』『友則と二人、暗くて寒い道を駅に向かって無言のままひたすら歩いた』時のことを思い出すのは主人公の唐沢。『私たちの小学校時代の同級生で、私とも友則ともそれほど仲がよかったわけではなかった』というハルオに、『ちょうど一か月ほど前、大雪が降って学校が二時間目で終わった日、友則と行ったゲームセンターで』会った唐沢。『ハルオはいつもここに来てんの?何これ、ゲーム全部百円じゃん。やっぱ新しいから高いのかな』と話しかけた友則。『それから私たちは三人でゲームをし』ました。『私と友則のお金がなくなってしまうと』『全部出してくれた』ハルオの好意が『とてもうれしかったのか友則は妙にはしゃぎ始め、駐車場に出て雪合戦をして遊』びます。『あんまり楽しくて』『自分が二年前に中学生になったことを忘れていた』という唐沢は、『ハルオが温かい缶コーヒーを買ってきてくれ』たことで『そのときようやく私たちはもう小学生じゃなかったんだと思い出し』ます。そんな時、『おれがいけないんだ、おれがいけないんだ、と急に友則が言い出し』ます。『あのときおれが帰ろうって言い出したんだもん。ハルオは帰りたくないみたいで、お好み焼き食べにいかない?って言ったのに、おれが帰るって言ったんだもん。もしあのとき、一緒にお好み焼き食ってたら、あいつ死ななかったかもしれないじゃん…』と続ける友則に『そうだったっけ?ハルオ、お好み焼きなんて言ったっけ?』と訊く唐沢。『言ってたよ。別におれ用事なんてなかったのに、本当何も考えずに、帰るって言っちゃったんだよ』と『声を震わせる』友則に、『友則が悪いわけじゃないと思うけど…悩んでるとか、全然そんなふうには見えなかったじゃない』と言う唐沢ですが、友則はそれには何も答えません。『楽しかったな、あのとき』とつぶやく唐沢『の言葉に耳を傾けず泣き続けていた』友則でしたが、『急に立ち止まり、「ちょっと待って」』と言うと背を向けます。『何事かと思わずのぞきこんだ』唐沢に『「見るな」と普通の声で言う』友則。『細い細い水のしたたる音が、すぐ近くで聞こえ』、『足元のコンクリートが黒く染まってい』きます。『そうっと近づいて友則の顔を盗み見ると』『今までうそ泣きでもしていたかのようなさっぱりした顔つきで、じっと自分の股間を見てい』る友則は、『用が済むと再び』唐沢と『肩を並べ、思い出したように小さくすすり泣き』を始めます。『振り返ると黒い水溜りが柔らかい湯気をたてていた』という中、『子供のように』唐沢の『手を握り、駅の明りが見えてもしばらく鼻をすすってい』ます。『手も洗っていないのに、と思いつつ、その手を振りほどくことはしなかった』という唐沢は、『友則はやっぱり男の子なんだなと、こんなとき改めて思』います。『女の子にはできない気軽さでオープンエアートイレットができるからではなくて、もし女の子だったら、もし女の子が何か悲しいことがあってそれでもなおかつもよおしてしまったら、きっと泣きながら用をたす。しゃがみこんでパンツを下ろしても悲しいことは消えないし、こんなにも悲しいのにしゃがみこんでいる自分が悲しくて泣き続けると思う』唐沢は、『友則がうらやましいような気がし』ます。『さっき自分の性器に添えていたこの掌は、あのときの雪の冷たさや、差し出された缶コーヒーの温かさを覚えているんだろうか』と思う唐沢。そんな唐沢の日常が描かれていきます…という最初の短編〈パーマネント・ピクニック〉。シリアスな物語展開の中にまさかの友則の行為を鮮やかに描くどこか印象深い好編でした。 “いじめ、うわさ、夏休みのお泊まり旅行…お決まりの日常から逃れるために、それぞれの少女たちが試みた、ささやかな反乱。生きることになれていない不器用なまでの切実さを直木賞作家が描く傑作青春小説集”と内容紹介にうたわれるこの作品。元々は1995年10月に単行本、その後1999年5月に文庫本として刊行されていた作品が、2018年2月に表紙を一新、装いも新たに登場した作品になります。活動期間の長い作家さんの中には素晴らしい作品にも関わらず装丁が古めかしく見えるばかりに手を伸ばしにくくなった過去の作品があります。それをこのように一新した新装刊の作品はそのことによって古臭さを脱し、まるで新刊のように見えるものも多々あります。村山由佳さん「天使の卵」、「BAD KIDS」、近藤史恵さん「ホテル・ピーベリー」、そして氷室冴子さん「海がきこえる」などなど、表紙に惹かれて手にしたら実はかなり昔の作品だったということで驚いた作品が多々あります。そんな中で手にしたこの角田光代さんの作品も、見た目は今の時代に違和感なく、新装刊の成功例の一つではないかと感じます。 さて、そんなこの作品には「学校の青空」という書名から想像される通り、小学校、中学校、そして高等学校を舞台にした四つの短編が収録されています。〈夏の出口〉のみこの作品のための書き下ろし、他は1994年から1995年の雑誌「文藝」に掲載されたものです。短編間に関連はないものの、学校を描くという点で雰囲気感の統一が感じられます。では、学校の描写を抜き出してみましょう。 『向かいの校舎の教室はすべて闇に沈み、一階の職員室だけがクリーム色のカーテンを光らせていた』。 これは、〈パーマネント・ピクニック〉に描かれた中学校の情景です。子どもたちばかりの学校の中で唯一大人がその場を圧倒的に支配する職員室は学校の中でも特別な存在です。大人になった今から見ると、激務に追われる先生たちが居残っているのかな?とも思いますが、子どもたちの目からはどう見えるのでしょうか? 『音楽室の扉やその前に並んでいるバッハやモーツァルトのデッサンが、その暗闇から次第にふわりと浮かび上がってくる』。 ある意味でこれは、学校の象徴的な光景だと思います。今と違ってクラシック音楽には全く興味が持てなかった当時の私には、なんの思いもわかなかった光景ですが、今見ると立ち止まってしまいそうです。同じ光景を見ても歳によっても見えてくるものの意味は変わってくると思いました。 『授業中に歩く廊下はひんやりとしていて、あちこちの教室から物音が漏れている。チョークが黒板を引っ搔く音。先生が教科書を朗読する声。筆箱をひっくりかえしたような音』。 これは、音に着目した面白い表現です。確かに学校は音にあふれているとも思います。もちろん、生徒としてその場にいればなんの意識も感慨も湧かないと思いますが、年を経てこういう形で目にするとそれだけで懐かし思いが込み上げます。誰もが通る道だからこそ、共感できる描写だと思いました。 では、四つの短編それぞれを見ていきたいと思います。冒頭の短編は、ダイジェストでご紹介しましたので残りの三編です。 ・〈放課後のフランケンシュタイン〉: 『体育の時間はマラソンだったので腹痛がすると授業を抜け出して二号館の屋上』で横たわるのはマリ。そんな場所からクラスメイトを見るマリは、カンダの姿を探す中に『あのにおいまで漂ってくる気がして』『大きく息を吐』きます。『彼女特有の、腐った果実みたいな正体不明のにおい』を思い出し『いらいらと爪を噛』むマリは、『女子だけの中学に上がって、一通りクラスの顔がわかるようになってから』『カンダをいじめること』に夢中になります。『その姿が視界に入れば』『彼女に何かせずにはいられなくなり、散々にいじめ尽くす』マリ。『わざわざ軍手をはめて上履きも革靴も捨てたし、ペンケースをトイレに捨てて拾ってこさせたし…トイレの水につけたポッキーをむりやり食べさせた』というマリ。そんなある日、『カンダは私に殴られる前に学校からいなくな』ります。『父親の仕事の都合で急に九州に行くことにな』ったというカンダは…。 ・〈学校ごっこ〉: 『こんなことじゃ、今日通しができないよ…もっと真面目にやって…ほらぐずぐずしない』と『みどり先生の甲高い声がマイクを通して校庭じゅうに広が』ります。『全クラス校庭に集められて、合同ダンスをしている』という中に『気持ちがあせってどんどん動きがずれてくる』というのは田中希実子。『マイクをもったみどり先生はじっと私を見ている。目やにをいっぱいためたびしょぬれの捨て猫を見るような表情をしている』と 希実子が『先生を見つめると目をそらし』『ほかの生徒に注意を』します。『今年の春私たちの小学校にやってきて』『私たちのクラスの副担任になった』という みどり先生は出産で休みが続く担任の前田先生の後任として担任を務めることになりました。そんな みどり先生が、自分のことを『本格的に脳味噌が少し足りないのだと思っている』、『頭の不自由な子だと思いこんでいる』と感じ取る希実子は…。 ・〈夏の出口〉: 『あの学校じゃ何が不満なの?』と訊く母親に『もしあそこに行かなかったら私どうなるのかな』とつぶやくのは なお。『だって昨日まであなた、行けるところだったらどこだっていい、推薦でどっか行きたいなあって言ってたじゃないの』と訊く母親に答えることができず、黙ってうつむく なおに『どうしたっていいのよ、あなたの人生なんだしね、と母親はため息混じりに言』います。『梅雨に入る前に』開かれた『進路のための三者面談』で、『行けるところならどこでもいいから推薦でどこか行きたいと』主張した母親と なお。そんな二人に『ある短大を奨め、ここの何科だったら大丈夫でしょうというようなことを』話し出した先生。そんな時、『突然、そこに行かなきゃだめでしょうかと、そんなことを口走っていた』なおを『あきれたような顔で微笑み、そりゃあ少しは不満かもしれないけど…』と話し出した先生に、『うつむいて爪をいじ』る なおは…。 上記でダイジェストとしてご紹介した短編含めた四つの短編はいずれも学校が舞台となっていることがわかります。四つの短編は、中学校、中学校、小学校、そして高等学校とその舞台は異なりますが、そこで描かれているのは、誰もがピンと来るような光景です。上記した通り、懐かしい学校の描写たっぷりに描かれていく物語は『学校』と書名につく作品ならではです。そんな中で私に一番インパクトを与えたのはなんと言っても二編目の〈放課後のフランケンシュタイン〉です。 『だれか一人がいちじるしくいじめられている場合、クラスは三つくらいに分かれる』。 悲しいことではありますが、学校が舞台となる物語に『いじめ』は避けては通れません。私が今まで読んできた作品にも瀬尾まいこさん「温室デイズ」、小林由香さん「罪人が祈るとき」、そして川上未映子さん「ヘヴン」など、全編を通して『いじめ』に向き合っていく作品は多々あります。そんな中でこの角田光代さんの作品は明らかに異質です。 『私が最初に夢中になったことは、クラブ活動でも男の先生に憧れることでもなく、カンダをいじめることだった』。 お分かりいただけるでしょうか?この作品では、主人公である『私』=マリが『いじめ』に夢中になっているという想定なのです。『いじめ』を描く作品では『いじめ』を受けている当事者、もしくはそれをなんとかすべく立ち上がる友だち、視点はそういった人物に置かれる場合が多いと思います。しかし、この作品は違うのです。 『わざわざ軍手をはめて上履きも革靴も捨てたし、ペンケースをトイレに捨てて拾ってこさせたし、カンダのブルマーを黒板に貼りつけたこともあったし、トイレの水につけたポッキーをむりやり食べさせたし…』 そんな風に『あとは何をやったんだか、もう覚えていないくらい意地悪をした』と『いじめ』の首謀者として、標的にするカンダのことを『いじめ』ぬいていきます。 『カンダは何をされても決して泣かなくて、ただ顔を赤くして、私の胸のあたりにおどおどした視線を向ける。目はおどおどしているのにこっちを向いた顔がどこかふてぶてしい』。 そんな風に思うマリですが、物語は、突然、『父親の仕事の都合で急に九州に行くことになり、夏休みの間に転校していった』とカンダがいなくなる急展開を見せます。『いじめ』の標的がいなくなった先に、『いじめ』の首謀者は次にどんな行動に出るのか…。物語はどこまでもマリ視点で描いていく分、読者にはキョーレツに嫌な感情が湧き上がってきます。読者は主人公となる人物に感情移入せざるを得ません。この短編では、読者自身も『いじめ』の首謀者であるような感覚に陥るため、まさかそんな短編が含まれているとは知らず読む身にはこれはキツイです。そんな短編含め、四つの短編には生徒たちに視点を移した学校を舞台にした物語が描かれていきます。そんな物語には時代を特定するような表現がほぼ登場しません。また、新装刊ということもあって、これが30年前の作品だと聞かなければ今の時代に新しく刊行されたと言われても違和感がないと思います。新装刊をきっかけに手にしたこの作品。そこには、誰もが通った学校のあんなことこんなことに遠い目になる、そんな物語が描かれていました。 『卒業式の日取りも決まってるし、入学先も決まってるし、だれかがすごい力でどんどん背中を押していって、でも押されてる私は、ちょっとタンマって思ってるの』。 そんな思いの中にはかなく過ぎ去っていく学校時代。この作品には小学校、中学校、そして高等学校を舞台にした四つの短編が収録されていました。新装刊と時代表現のない文章によって古さを感じさせないこの作品。『いじめ』る側視点で描かれる『いじめ』の場面に胸が苦しくなるこの作品。 “お決まりの日常から逃れるため、それぞれの少女達が試みたささやかな反乱”という内容紹介の一文に、なるほどねと納得する角田光代さんの上手さを感じる作品でした。
夏っぽい本が読みたくて、 仕事帰りにいつも立ち寄る書店をうろうろしていたら。 本作が特集コーナーに面陳列されていて。 青いプールと制服を着た女の方たちがインパクト大。 思わず手に取りました。 思春期のモラトリアムとか、 不安定さ、死にたくなるような衝動、 破壊的な衝動でとめられないいじめと暴力、...続きを読む 割り当てられた役割を演じること、 性への興味、 怒涛のように迫ってくる短編集でした。 爽やかな表紙から想像していたものとは、 全く違いました。 あとがきにもあるように、 完全なフィクションで、 大人になった私にとって完全な他者か? と問われると… 通勤中に読んでたら、 少しだけザワザワして 降りる駅ギリギリまで、 読み進める手を止められませんでした。苦笑
河出文庫を2冊買うとブックカバーがもらえるフェアの対象になっていて購入した。 小学校、中学校、高校。この小説で著者が描くのは、いずれもたくさんの”一瞬”を生き続ける女子たちによるスクールデイズだ。 【パーマネント・ピクニック】 仲が良かったハルヲの死をきっかけに、自分たちも後追い自殺をすることにし...続きを読むた男女2人の中学生。 やりたいこともなくて、今の私たちって用も無いのに学生鞄をぶら下げてフラフラ出かけているだけだ。でもちゃんと元の場所に連れ戻されるように学生証を持って。その姿を2人は認知症のおばあちゃんと重ね合わせる。 「受験しますか、しませんか?」っていう問いと、「生きますか、死にますか?」っていう問いは、実は大差ないのかもしれない。 【放課後のフランケンシュタイン】 カンダ、という女の子を徹底的にいじめ抜くマリ。 カンダが学校に来なくなると、次はカナコというクラスメイトをいじめのターゲットにする。マリが抱えているぐるぐると渦巻く潜在的な怒りには、読者である私たちもたじろいでしまうほどだった。 そんな折に、学校周辺で変質者が出たという噂が立ち上る。 【学校ごっこ】 小学校生活を、与えられたキャラクターで演じるように過ごす田中希実子。「頭の弱い子」というレッテルをはられ、次第に本当にそのとおりに自分がつくりかえられていく。 でも、思えば私もそうだったのかもしれない。リーダーシップのある大人びたクラスの中心的存在という役割を与えられていた。そして私はその期待に応えるべく振舞っていたような気がする。私はまだマシな役割だったのが幸運だが、希実子はどれほど窮屈だっただろう。 小学校て、つくづく恐ろしい場所だと心底思う。 【夏の出口】 高校3年生の夏休み。推薦をもらえるところで適当に進学する予定だったナオだが、急にその進路に嫌気がさす。 でもだからと言ってやりたいことがあるわけでもない、目指す将来があるわけでもない。ただ何もやりたくない。 卒業式の日取りや、入学先、そういった形式的なあらゆる物事ばかりがどんどん決まっていって、目に見えないものすごい力で背中を押されていくのを感じている。 私たちは小学生の時の恋のように、ただそこに立ち止まって、ただ「好きだ」と思って生きていきたいだけなのに。 少女たちのその素朴で切実な願いを、大事にしてあげられたらどれだけ良いだろうと思った。 ゆっくりでいいんだ、ゆっくりに大人になればいい。考える時間は、本当はきっとまだたくさんあるのだから。
私もなんとなく普通の未来がこわくてレールからはみ出したタイプなのでそういうことはよくわかります。 説明できないけど、そういうことなんだと思います。
1995年くらいの作品 小学生、中学生、高校生の少女達の感情 その時でなく 歳を重ねてから腑に落ちる 考えていなそうで 案外いろんなこと考えていたあの頃 解説西田藍に興味がわいた 「小さな世界の衝撃」とする解説に驚いてしまった 私が感じたことを見事に文章にしている アイドルやりながらエッセイとか...続きを読む書いてるらしい 可愛い なんか悔しい 「パーマネントピクニック」 思春期の危うい死生観 死を望むことに明確な理由がない だから醒める時も一瞬 「学校ごっこ」 小学生、そうだった様な気がする 私達は 学校で自分の役割を理解して 演じていたのかもしれない 「夏の出口」 高三女子達の一夏の冒険にならざる冒険
逃げ出したい気持ち、このままでいいのかという焦り、もっと奇抜な人生を送りたいという進路の悩みを鮮明に描いている。その不安定な感情に懐かしさやもどかしさを覚える。
読み進めるうちに蓋をしていた小学生から高校生時代の感情を覗いている感じ。理由なく何でもできる気でいたり、何者にもなれない気でいたり..。「放課後のフランケンシュタイン」が好みかな。私の電熱器のコンセントはいつ抜かれたんだっけなぁ。いいや、蓋しとこ。
短編集。思ったよりも暗くて重い話が多かった。学校ごっこ、子どもの無邪気で可愛いところと不気味なところがよく描かれていると思うけど、なんだか怖い。最後の夏の出口は好きだった。タイトル忘れてしまったけど、いじめの話はなんとも後味がわるい。あの主人公の家庭環境とか、ああなった背景が描かれていないから余計に...続きを読む。
学生時代の心の歪み、憧れ、虚無感を結末のない形でまとめた短編集。今、どこにいるのか?迷い迷って足掻く姿がよく表されていて良い短編集だった。
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