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キューバの老漁夫サンチャゴは、長い不漁にもめげず、小舟に乗り、たった一人で出漁する。残りわずかな餌に想像を絶する巨大なカジキマグロがかかった。4日にわたる死闘ののち老人は勝ったが、帰途サメに襲われ、舟にくくりつけた獲物はみるみる食いちぎられてゆく……。徹底した外面描写を用い、大魚を相手に雄々しく闘う老人の姿を通して自然の厳粛さと人間の勇気を謳う名作。
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Posted by ブクログ
473 アーネスト・ヘミングウェイ 1899年、シカゴ近郊オークパークで生まれる。高校で執筆活動に勤しみ、学内新聞に多くの記事を書き、学内文芸誌には3本の短編小説が掲載された。卒業後に職を得た新聞社を退職し、傷病兵運搬車の運転手として赴いたイタリア戦線で被弾し、肉体だけでなく精神にも深い傷を負っ...続きを読むて、生の向こうに常に死を意識するようになる。新聞記者として文章鍛錬を受けたため、文体は基本的には単文で短く簡潔なのを特徴とする。希土戦争、スペインでの闘牛見物、アフリカでのサファリ体験、スペイン内戦、第二次世界大戦、彼が好んで出かけたところには絶えず激烈な死があった。長編小説、『日はまた昇る』、『武器よさらば』、『誰がために鐘は鳴る』といった傑作も、背後に不穏な死の気配が漂っている。彼の才能は、長編より短編小説でこそ発揮されたと評価する向きがある。とくにアフリカとスペイン内戦を舞台にした1930年代に発表した中・短編小説は、死を扱う短編作家として円熟の域にまで達しており、読み応えがある。1954年度のノーベル文学賞の受賞対象になった『老人と海』では死は遠ざけられ、人間の究極的な生き方そのものに焦点が当てられ、ヘミングウェイの作品群のなかでは異色の作品といえる。1961年7月2日、ケチャムの自宅で猟銃による非業の最期を遂げた。 老人と海(新潮文庫) by ヘミングウェイ、高見浩 老人の頭のなかで、海は一貫して〝ラ・マール〟だった。スペイン語で海を女性扱いしてそう呼ぶのが、海を愛する者の 慣わしだった。そうして海を愛する者も、ときに海を 悪しざまに言うことがあるが、女性に見立てることには変わりない。若い漁師たち、釣り綱の浮き代わりにブイを使ったり、サメの肝臓で 儲けて買ったエンジン付きの舟で漁に出たりする連中のなかには、海を〝エル・マール〟と男性形で呼ぶ者もいる。そういう連中は海を競争相手か、単なる仕事場か、甚だしい場合は敵のように見なす。だが、老人はいつも海を女性ととらえていた。大きな恵みを与えてくれたり、出し惜しみしたりする存在ととらえていた。ときに海が荒れたり邪険に振舞ったりしても、それは海の 本然 というものなのだ。海も月の影響を受けるんだろう、人間の女と同じように。老人はそう思っていた。 大量のプランクトンは魚が寄ってくる証拠だから、老人も嬉しかった。日が高く昇って水中に 妖しい光が 射しているのは好天がつづく証拠だし、陸地にかかる雲の形もそれを裏づけている。だが、鳥はもうほとんど姿を消していた。いま海面で目に入るのは、日に 灼けて黄ばんだ海藻ホンダワラと紫色の電気クラゲ、カツオノエボシくらいのものだ。海藻はあちこちに集まって浮いており、クラゲは 虹 色 に輝くゼラチン状の浮袋の 体 をなして浮かんでいる。クラゲは横に倒れたと思うと、また立ち直る。泡のように楽しげに浮かんでいるが、背後には一ヤードもある紫色の有毒の糸を引いている。 海亀の中では、アオウミガメとタイマイが老人は気に入っていた。身ごなしが優雅で、俊敏で、相当の値打ちがあるからだ。図体がでかくて愚鈍なアカウミガメは、愛すべきうすのろと見ていた。黄色い甲羅に守られて、変わった流儀の交尾をするやつだが、目を閉じて満足そうにクラゲをパクついているところなど、なんとも 愛嬌 がある。 海亀獲りの舟には何年も乗ったが、亀を神秘的な生き物だと思ったことはない。むしろ可哀そうな連中だと思っていた。体長が小舟ほどもあり、重さが一トンもあるようなオサガメでもそうだ。漁師たちの大半が亀に冷たいのは、亀の心臓というやつ、殺されて切り刻まれても、まだ数時間も脈打っているからだ。だが、おれの心臓だってそんなものだし、手足だって連中とそう変わらんぞ、と老人は思っている。かねてから海亀の白い卵を食べているのは、精をつけるためだ。掛け値なしに大物の魚に出会う九月と十月に備えて、五月は毎日のように白い卵を食べている。 結果、暗い深海にもぐったまま、どんな 罠 も仕掛けも策も及ばぬ遠くを目指すことにしたのだろう。それでこっちも、どんな人間も追いつけないところまで追いかけることにした。世界中のだれの手も届かないところまで追うことにした。そのあげく、いまこうして、正午からずっと、あいつとつながっている。おれもあいつも、孤立無援だ。 漁師になったのは間違いだったか、と一瞬弱気になって、いやなに、漁師に生まれついたればこそのおれだろうがと、思い直す。明るくなったらマグロを食うのを忘れんようにしよう。 もう二日間も 試合 の結果を知らずにいるんだな、と老人は思った。が、なに、心配は要らんさ。おれだってディマジオに笑われんようにしなきゃ。なにしろあの男は、 踵 の 骨 棘 の痛みにもめげずに、打っても守っても 完璧 にやってのけるんだから。そういや、骨棘ってのは何だ? ウン・エスプエラ・デ・ウエソってやつ。足の踵の骨の一部が 蹴爪 のように突起してしまうらしい。おれたちには縁がないが、踵の中に 軍鶏 の蹴爪ができたみたいに痛むんだろうか? おれには到底耐えられそうにない。軍鶏なんぞは片目を失っても、両目を失っても、闘いつづけるが、ああいう 真似 もおれにはできん。人間ってやつは、 所詮、したたかな鳥や獣の敵ではない。それでもおれはせめて、いまあの暗い海中にいるやつのようでありたいが。 自分から 諦めちまうなど愚かなこった、と老人は思った。それは罪というもんだ。いや、罪なんてことは考えまい。それでなくとも厄介なことがどっさりある。そもそも、罪とはどういうものか、からきしわからんし。 そう、わかっちゃいない。罪なんてものがあるのかどうかも、わからん。たぶん、あの魚を殺したのは罪だったのだ。たとえ自分が生きるため、大勢の人間を食わせるためにやったとしても、罪だったんだろうよ。となると、何をやっても罪だということになる。もうやめよう、罪のことを考えるのは。いまさら手遅れだし、この世には罪のことを考えるのを 生業 にしている連中もいる。そういう連中に任せよう。おまえはそもそもが、漁師になるために生まれたんだ、魚が魚になるために生まれたようにな。聖ペテロだって、あのディマジオの親父さんだって、漁師だったんだ。 「知らなかったわ、サメにはあんなに立派な美しい尻尾があったなんて」 「おれもだよ」つれの男が言った。 道の先の小屋では、老人がまた眠り込んでいた。うつ伏せになったままの老人を、少年がそばにすわって見守っていた。老人はライオンの夢を見ていた。 で、もう一つの秘密というのはこうです。シンボリズムなどはありません。海は海、老人は老人。少年は少年で、魚は魚。サメはサメ以外の何物でもない。世間で言うシンボリズムなどはゴミです。肝心なのは、自分がものを知り尽くした先に何が見えてくるか。作家は過分なほどに対象を熟知しているべきなのです。 もし、一つのキャラクターがリアリティをもって描かれているのでなければ、それはシンボルたりえない、もしある作品がストーリーを語っているのでなければ、それは神話たりえない──中略──だからきみ(*ヘミングウェイ) はわれわれに一つのキャラクターと一つのストーリーを与えている。そして読者は、キャラクターとストーリーの中で、それらが自分に示唆するシンボリックな、あるいは神話的な特質を読みとればいいのだ。(「ヘミングウェイ キューバの日々」宮下嶺夫訳) ジョー・ディマジオ(一九一四─一九九九)。本書の主人公である老人の、心の支えとも励みともなっているディマジオ。彼は当時のヤンキースの代名詞と呼ぶにふさわしい、文字通りのスーパー・スターだった。老人の言葉にもあるとおり、シチリアからの貧しい移民である漁師を父として生まれた。右投げ右打ちの外野手で、ヤンキースには、一九三六年から一九四二年、及び、一九四六年から一九五一年の二期にわたって在籍。無類のスラッガーで、一九四一年には、大リーグで現在に至るも破られていない、五六試合連続安打の大記録を達成している。生涯に首位打者二回、本塁打王二回、MVP三回の栄誉に輝いた。私生活では、一九五四年一月に、「お熱いのがお好き」で知られる映画女優マリリン・モンローと結婚し、翌二月に新婚旅行を兼ねて日本を訪れてもいる。この結婚は破局に終わるのだが、ディマジオは終生モンローを愛しつづけたと言われる。事実、彼はその後生涯、独身を貫いたのだった。 マノーリンは二十二歳なのか、十歳以下なのか? この作品を虚心に読めば、マノーリンの言動、心理状態、親子関係、老人との会話等から、まず二十二歳の青年とは思えない。ヘミングウェイはやはり、問題のheを息子のほうのシスラーのつもりで書いたのだろうと見る。その際もヘミングウェイは、マノーリンを、正確に、十歳以下の少年、と意識していたわけではなく、だいたい十歳前後から十三、四歳ぐらいのつもりだったのではないだろうか。一九五八年公開の映画「老人と海」は、ヘミングウェイがその脚本を十分吟味した末、最終的にゴー・サインを出した作品だが、マノーリンを演じたフェリペ・パソスは当時十一歳の少年だった。けれども、ヘミングウェイはその子役が気に入らなかったという説をもって、マノーリンは少年ではないという説の有力な傍証とする見方もある。この映画の脚本を書いたのは、長年ヘミングウェイと家族ぐるみの付き合いをし、ヘミングウェイを 畏敬 していた脚本家ピーター・ヴィアテルだが、彼はその回想録で、ヘミングウェイはその子役が〝オタマジャクシとアニタ・ルースを掛け合わせたようで気に入らん〟と言っていたと明記している。アニタ・ルースとは、当時人気のあった女流小説家兼映画脚本家である。つまり、ヘミングウェイは子役の 年齢 が気に入らなかったのではなく、その 顔立ち が気に食わなかったのだと見ていいと思う(たしかに、映画に登場するマノーリンは、いまに残るアニタ・ルースの顔写真にちょっと似ている気がする)。この作品にちりばめられたさまざまな要素を勘案して、訳者自身はマノーリンを十三、四歳くらいの少年と見立てて訳したことを記しておく。十四歳くらいと見れば、老人がマノーリンに向かって、〝おれがおまえくらいの歳には、ひらの水夫をやってたんだ〟と…
すごくシンプルなストーリーなんだけどそれだけに自然の恩恵や脅威、そしてその脅威に翻弄されつつも抗う人間の逞しさがストレートに伝わってくる。
海に漕ぎ出す描写に勇気づけられ、カジキマグロを釣り上げるシーンで手に汗握り、サメに襲われるところでは思わず涙……。 読むたびに「すごい……」と思わせる名作です。
老人の魂を感じる作品です。結果、何を得るのかと、これはなんだったのだろうと、思う人もいるかもしれない。でも、人生ってそんなもんだろうと私は思います。本気で戦って、結果はどうでもいいじゃない。満足するほど戦えたら後悔ないんじゃない。
誰もが知っている小説を読んでみたいと思い、手に取った。 始まりは、老人と少年との会話だった。昔立派な漁師だったであろう老人は、今は何日も魚を捕まえることができていない。そんな老人に対して、心配する少年。老人は、少年に対して見栄を張り、少年はそんな老人に涙する。ここでは老人の惨めさ、無力さ、孤独が際立...続きを読むつ。 そして、老人は1人で海に出る。大きな魚を捕まえたが、捕獲には至らない。これから4日間も魚と戦い続ける。その4日間の描写は、老人の疲弊と、それでも自分を鼓舞し続けようとする葛藤が、細かく描かれていた。 生々しい傷、体力が無くなる様子、思い出す過去の栄光。必死な老人に、様々な思いが巡り続ける。 そして、ついに大きな魚と仕留め、捕獲する。捕獲するまでの、希望と喜びが伝わった。 しかし、帰港の最中、サメが大きな魚が全て食べてしまう。老人の悲しみ。同時に、これが自然の厳しさだと結論づける気持ち。 孤独や疲弊を含め、全てを捧げて戦う老人の勇猛さ、その勇猛さを裏切るような残酷な結末。それらが、見どころだったと思う。
いつものベッドのうえ。 読書灯を落として目を 瞑れば、 潮の匂いが波の飛沫が 生々しく吹きつける。 黒々とした海洋の畝り。 生のまま齧りつく魚の その紅黒い血肉。 若い頃のように動かぬ 老体に鞭を打ち、 意識を失いかけながら 大魚が引く綱をたぐる。 ひととき船上の老いた 漁師となり、 ...続きを読む 戦後間もないハバナの 海を疾駆してきました。 けっきょく獲物は失い ましたが、 荒ぶる自然にけっして 屈しなかった。 徒労感が心地よいです。
海の生臭さと、気まぐれさを一人の老人を通して描いた傑作。ページをめくる度に、懐かしい海の匂いや太陽の照り付きを思い出す。 人間は老いる、時に運命は残酷で、受け入れ難い。 それでも生きて行く。長い人生の中で、作中に出てくるような老人に好意的な少年がもし傍らに、居てくれたら幸せなんだろうな。 自身が40...続きを読む歳になる年に、この1冊に出会ったのは大きい。色々、考えてしまう。
老人の3日間にわたる漁の模様を余すことなく描くことで、生きる底力がひしひしと伝わってきた。 ここまでやりきれる老人だったからこそ少年があそこまで懐くのも理解できる。 こんなかっこいい老人になりたい
裏表紙のあらすじでネタバレされた上で読みましたが、かなり引き込まれました。 主人公の老人サンチャゴは、1人で海に出ます。 物語の大半を占める3日間の漁について、ほとんどが外面描写と老人の独白で占められています。 本作のキーアイテムは、綱でしょうか。 綱は、老人と大魚を結びつけるものであり、緊張感...続きを読むの象徴でもあります。 漁師の道具でありながら、老人が一方的に使うものではありません。 老人と大魚とがお互いに引き合うものです。 綱のために老人は負傷し、大魚は海の中で体力を削られていきます。 本作が描こうとしたのは、こうした自然の中の命の奪い合いでしょう。 老人は大魚を殺そうとし、大魚は老人を殺そうとしている、と老人は捉えています。 それ以外にも、老人が食らうシイラ、大魚の肉を食らうサメ、サメを殺す老人といった形で、主客を変えて何度も命の奪い合いが描かれます。 また、後半で老人はめまいを覚えるなど、自らの肉体も老人の意のままになるものではありません。 海、風、雲、太陽、星々の運行も、作品世界を美しいく飾りながら、近く嵐となることが予感されています。 この作品世界における自然は、人間もまた参加者の一人にしてしまう残酷な命の奪い合いの舞台、あるいは人間にはどうしようもない運命のようなものです。 老人が祈りを後回しにしたように、倫理は問題とされません。 少年が老人の船に乗れないように、社会も描かれません。 老人の心理描写も、訳者解説にあるように、ひとつの行動にはひとつの心理しかないと断定しうる、単純明快なものです。 こうした非西洋的な主題や描写が新鮮でした。
老漁師が何日にもわたって一人、巨大な獲物と闘う。言ってしまえばそれだけの話なのだが、作者は過不足無くストーリーを展開させている。 老いと疲労・漁師としての矜持・海への愛と感謝・獲物への敬意等といった主人公サンチャゴの人物像と、恵みと困難を齎す大いなる存在としての海の描写――この両方が、これ以上無い...続きを読むというくらい余計な修飾をそぎ落とした文章によって存分に感じられる。巻末の訳者の解説もおもしろい。
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