ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
音楽にとりつかれた祖父と、素数にとりつかれた父、とびぬけて大きなからだをもつぼくとの慎ましい三人暮らし。ある真夏の夜、ひとりぼっちで目覚めたぼくは、とん、たたん、とん、という不思議な音を聞く。麦ふみクーツェの、足音だった。――音楽家をめざす少年の身にふりかかる人生のでたらめな悲喜劇。悲しみのなか鳴り響く、圧倒的祝福の音楽。坪田譲治文学賞受賞の傑作長篇。(解説・栗田有起)
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
いしいしんじさんの著書を初めて読んだので、読み初めは進みにくく感じましたが、大事なことが散りばめられていると思い、もう一度繰り返してゆっくりと読みました。 本当に良いお話でした。「大きい小さいは距離の問題」、忘れない言葉になると思います。 打楽器にこんなに寄り添った物語があるなんて、奏者は読むと嬉し...続きを読むくなるのでは。
読むのに時間がかかりましたが、読み終わってしまうのが惜しいような、長編大作でした。 ファンタジーが好きなので私にはとても面白かったです。どんな本とも似ていなくて、独特でしたし、登場人物が、際立っていました。
一気に読み切ってしまいました。同じリズムで流れていても、音楽は先へ先へと進んでゆきます。変わらないことを抱えながら(あるいは信じながら)、自分に出来ることを黙々と続けることが大切なんだなぁ、と改めて気づきました。 僕たちはみんな「クーツェ」なんですね。
この著者の童話の世界観と言葉のリズムが好きである。 いいこと?わるいこと? とクーツェはうたった みんなおなじさ、麦ふみだもの。 録音された音楽も、ごくたまに生演奏をうわまわる。ただし音楽家であるためには耳なりがするほど生演奏にふれること。どんなひどい演奏であっても、生の楽器演奏には、音楽家のた...続きを読むめの栄養がわずかながらそなわっているからだ。 独立した特殊な事件など、この世には何も起きていないような気がしてくる。クーツェの言ったように、大きい小さいは距離の問題。 それらの嘘によって、街のみんなには楽園の風景が見えた。おおきな代償を支払いはしたけれど、みんなの手に、なにひとつ残らなかったわけでもない。ぼくはやっぱり、今もそうおもいたい。 へんてこはあつまらなくっちゃ生きていけないってそう思ってな。へんてこはひとりじゃめだつ。めだつから、ぼんやりふつうにいると、ひとよりひどいめにあう。 この世のところどころにしがみつくへんてこなひとたち。彼らはそれぞれの技をみがく。自分のへんてこさに誇りをもとうと。まじめに、まるでばかにみえても。 熟練のティンパニ奏者のように、ぼくは待つことを学ばなけりゃならない。それはなかなかに難しい。ばかといわれてもへんてこ呼ばわりされてもけっしてばちを捨てず、ステージのいちばんうしろでじっと立っていること。そのときをききのがさぬよう、ちゃんと耳をかたむけて。 音楽のよろこびの大きな部分を合奏のたのしみが占めている。
今思うと笑っちゃうけど、幼稚園児の頃だと思うけど、よく押し入れに閉じこもった。真っ暗な中で何してたんだろ?よく思い出せないけど、何だか想像上の自分の世界を作って、そのなかで、誰かに話かけたりしていたような、ぼんやりとした記憶がある。親でもない、兄弟でもない、現実の友だちでもない“その誰か”と、心のな...続きを読むかで話続けていたような・・・ この物語の主人公の「ぼく」は、その生まれもった体格などから、小学校で同級生や先生から何となく「へんてこなもの」として遠ざけられる。それは、最初の方は、ほとんど独り言だけってことからもわかる。 そんなとき、ぼくは屋根裏で「へんてこなひと」に出会えるようになる。とん、たたん、とん、という足ふみの音とともに屋根裏に現れる“クーツェ”にぼくは、いろいろと話かけるようになる。でもクーツェの答えは謎かけのようなものばかりで、ぼくもわかったような、わからないような、という毎日を過ごす。 そうするうちに、主人公を取り巻く、おじいちゃんや父さんや、町のたくさんの大人たちのいろんな“事件”に巻き込まれていき、おじさんや先生や女の子という、他人からは見たら「へんてこ」と見えるかもしれない人たちに出会い、彼らに対して自分を不器用ながら、自分の言葉で伝えようとすることで、「へんてこ」は実は「へんてこ」じゃなく、ある意味輝きをもったものだってことが少しずつわかり始め、それが彼らやまわりの多くの人の共感となって広がり、ぼくは、すごい「仕事」をなしとげることができるまでになる。 最後に、ぼくは、おじいちゃんが生まれた土地を訪れる。ぼくはもう、自分の体格や生い立ちで卑屈になったり自分の殻に閉じこもったりはしない。自分のルーツを確かめるかのように、ぼくはクーツェがしていたように、自分で足をあげて大地を踏みしめる。その時、ぼくはクーツェに会いに行く必要はなくなっていた。 (2010/2/28)
体が大きく、ねこの鳴き真似の得意な「ねこ」と音楽の話。日本の作家さんなのに、翻訳のような感じのする文体。現実にファンタジーが紛れ込んでいるが、全てが優しく、違和感なく流れていく感じ。 どこがどうおもしろいとは表現しがたいが、音や香りが目に見えるようで、ほっこりした気分になった。
まず、とても面白いし童話なんだけどそこらの童話とは内容のスケールが桁違いに広い 結局クーツェは「あ〜」って感じなんだけど、もちろん登場人物は個性的で魅力的で、いろいろな人間が居る様にいろいろな人生があるんだよって言われてる気もした。 ねこには才能があったといえば簡単だけど、周りの雑音に左右されずに...続きを読む個性を追求する芯がなかったらみんなと同じで、本当は強い人間なんだけど一見弱い感じなのが不思議だった。 楽しい作品で童話チックで細かくというか隅々までねこの故郷や挑戦するために訪れた大都会も描かれててすごくキレイで、特に故郷はねこが羨ましいほど美しい!
いしいしんじによって紡ぎ出される物語は力強く、物語に接する楽しさを体感させられます。物語のリズムを身体に叩き付けられるんですね。 とん たたん とん と。読むことが本当に楽しくて、楽しいが故にガツガツ読むのでなく、文章の流れに漂うように身を任せて触れていたく思わされました。
音楽に取りつかれた祖父と素数に取りつかれた父と、ねこの鳴きまねが上手い「ぼく」が3人で慎ましく暮らすというあらすじから、ほのぼのした童話を連想した。でもそうではなかった。悲劇が次々に降りかかり、それでも希望をつかもうとする話だった。この世に起きる悲劇も喜劇も些細な出来事も、実はどこかでつながっている...続きを読む。へんてこな存在は目立つから、真っ先に火の粉が降りかかる。だから一人でも生きて行けるように、技を磨かなければならない。抽象的で哲学的な、生きることに少し疲れた人を優しく受け入れてくれるような本だった。
漢字の開き(ひらがな)が多いので 読み切るのに少し時間がかかりました。 前半にあるのは穏やかで停滞した世界。 後半に訪れるのは残酷で優しい世界。 後半に物語がどんどん加速するので、 途中で断念してしまった人も、 ゆっくり休み休みで良いので 読み進めて欲しいなぁと思う作品でした。 終盤に主人公の...続きを読むバックグラウンドが 靄が晴れるように一気に明らかになっていき、 それはそれなりに鬱蒼になる内容だけれども、 根底には思いやる気持ちが流れているので深く沈み込むことなく、 読後には柔らかな余韻に包まれます。 所々散らばる一見意味不明なパーツたちが組み合わせっていく様も読みどころです。 人生には救いのないことがままありますが、 この作品に悲劇は数あれど、本当の悪は描かれていません。 それが現実との境界線であり、いびつで愛おしい童話たる秘訣なのかもしれません。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
麦ふみクーツェ(新潮文庫)
新刊情報をお知らせします。
いしいしんじ
フォロー機能について
「新潮文庫」の最新刊一覧へ
「小説」無料一覧へ
「小説」ランキングの一覧へ
悪声
ある一日
息のかたち
海と山のピアノ(新潮文庫)
げんじものがたり
作家と楽しむ古典 平家物語 能・狂言 説経節 義経千本桜
且坐喫茶
白の鳥と黒の鳥
「いしいしんじ」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲麦ふみクーツェ(新潮文庫) ページトップヘ