あらすじ
音楽にとりつかれた祖父と、素数にとりつかれた父、とびぬけて大きなからだをもつぼくとの慎ましい三人暮らし。ある真夏の夜、ひとりぼっちで目覚めたぼくは、とん、たたん、とん、という不思議な音を聞く。麦ふみクーツェの、足音だった。――音楽家をめざす少年の身にふりかかる人生のでたらめな悲喜劇。悲しみのなか鳴り響く、圧倒的祝福の音楽。坪田譲治文学賞受賞の傑作長篇。(解説・栗田有起)
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Posted by ブクログ
いしいしんじさんの著書を初めて読んだので、読み初めは進みにくく感じましたが、大事なことが散りばめられていると思い、もう一度繰り返してゆっくりと読みました。
本当に良いお話でした。「大きい小さいは距離の問題」、忘れない言葉になると思います。
打楽器にこんなに寄り添った物語があるなんて、奏者は読むと嬉しくなるのでは。
Posted by ブクログ
読むのに時間がかかりましたが、読み終わってしまうのが惜しいような、長編大作でした。
ファンタジーが好きなので私にはとても面白かったです。どんな本とも似ていなくて、独特でしたし、登場人物が、際立っていました。
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一気に読み切ってしまいました。同じリズムで流れていても、音楽は先へ先へと進んでゆきます。変わらないことを抱えながら(あるいは信じながら)、自分に出来ることを黙々と続けることが大切なんだなぁ、と改めて気づきました。
僕たちはみんな「クーツェ」なんですね。
Posted by ブクログ
いしいしんじさん読むの4つ目。「トリツカレ男」「プラネタリウムのふたご」「ぶらんこ乗り」。
どれも世界観と文章がとても好きなんだけど、これ読んで確信した。ストーリーが自由に進んでいくようで、実はものすごーーーく緻密に構成されてるんだよ。印象的な途中のエピソードや何気ない小道具が後からバチバチバチって嵌っていって物語の中で意味を持ってくる。それが凄いの。鳥肌。
いやオムレツのエピソードに不意打ちされて涙がぶわってなりましたよ…あんなのむりだろ…うう…
クライマックスで、すべてがつながってひとつの音楽を奏でる、暗闇の中での観客たちがそれぞれの音を鳴らす、ホッチキスやはさみやおもちゃの合奏。生きている人たちのたてる雑多な音が音楽になる。
このシーンを読んだ後ふと本から顔あげると、窓の外から聞こえてくる電車の音とか、家族の足音とか、空を行くヘリコプターの音とか、そういう世界の音がなにもかも愛おしくなるような気がした。
そしてねこのおかあさんの話のあとの一文。これがこのどこまでもやさしい物語におけるもうひとつの核心でもある気がする。
「たったひとつの『ひどい音』、一瞬の音とそのこだまが、あらゆる吹奏楽の音色、それまで過ごした生活すべての彩りを、真っ暗に塗り替えてしまうってことが、この世ではまちがいなく起こり得るのだ」
そうなんだよな、残酷な悲しい出来事は起こり得る。どこにでもやみねずみは潜んでいる。
だけどそれに飲み込まれないために音楽を奏でる。合奏をする。シャドウボクシングをする。
いしいしんじさん、いままで読んだのも全部好きだったんだけどこれはホントとくに衝撃というかもう…やられた…ってひっくり返りました。ため息。
Posted by ブクログ
この著者の童話の世界観と言葉のリズムが好きである。
いいこと?わるいこと?
とクーツェはうたった
みんなおなじさ、麦ふみだもの。
録音された音楽も、ごくたまに生演奏をうわまわる。ただし音楽家であるためには耳なりがするほど生演奏にふれること。どんなひどい演奏であっても、生の楽器演奏には、音楽家のための栄養がわずかながらそなわっているからだ。
独立した特殊な事件など、この世には何も起きていないような気がしてくる。クーツェの言ったように、大きい小さいは距離の問題。
それらの嘘によって、街のみんなには楽園の風景が見えた。おおきな代償を支払いはしたけれど、みんなの手に、なにひとつ残らなかったわけでもない。ぼくはやっぱり、今もそうおもいたい。
へんてこはあつまらなくっちゃ生きていけないってそう思ってな。へんてこはひとりじゃめだつ。めだつから、ぼんやりふつうにいると、ひとよりひどいめにあう。
この世のところどころにしがみつくへんてこなひとたち。彼らはそれぞれの技をみがく。自分のへんてこさに誇りをもとうと。まじめに、まるでばかにみえても。
熟練のティンパニ奏者のように、ぼくは待つことを学ばなけりゃならない。それはなかなかに難しい。ばかといわれてもへんてこ呼ばわりされてもけっしてばちを捨てず、ステージのいちばんうしろでじっと立っていること。そのときをききのがさぬよう、ちゃんと耳をかたむけて。
音楽のよろこびの大きな部分を合奏のたのしみが占めている。
Posted by ブクログ
今思うと笑っちゃうけど、幼稚園児の頃だと思うけど、よく押し入れに閉じこもった。真っ暗な中で何してたんだろ?よく思い出せないけど、何だか想像上の自分の世界を作って、そのなかで、誰かに話かけたりしていたような、ぼんやりとした記憶がある。親でもない、兄弟でもない、現実の友だちでもない“その誰か”と、心のなかで話続けていたような・・・
この物語の主人公の「ぼく」は、その生まれもった体格などから、小学校で同級生や先生から何となく「へんてこなもの」として遠ざけられる。それは、最初の方は、ほとんど独り言だけってことからもわかる。
そんなとき、ぼくは屋根裏で「へんてこなひと」に出会えるようになる。とん、たたん、とん、という足ふみの音とともに屋根裏に現れる“クーツェ”にぼくは、いろいろと話かけるようになる。でもクーツェの答えは謎かけのようなものばかりで、ぼくもわかったような、わからないような、という毎日を過ごす。
そうするうちに、主人公を取り巻く、おじいちゃんや父さんや、町のたくさんの大人たちのいろんな“事件”に巻き込まれていき、おじさんや先生や女の子という、他人からは見たら「へんてこ」と見えるかもしれない人たちに出会い、彼らに対して自分を不器用ながら、自分の言葉で伝えようとすることで、「へんてこ」は実は「へんてこ」じゃなく、ある意味輝きをもったものだってことが少しずつわかり始め、それが彼らやまわりの多くの人の共感となって広がり、ぼくは、すごい「仕事」をなしとげることができるまでになる。
最後に、ぼくは、おじいちゃんが生まれた土地を訪れる。ぼくはもう、自分の体格や生い立ちで卑屈になったり自分の殻に閉じこもったりはしない。自分のルーツを確かめるかのように、ぼくはクーツェがしていたように、自分で足をあげて大地を踏みしめる。その時、ぼくはクーツェに会いに行く必要はなくなっていた。
(2010/2/28)
Posted by ブクログ
体が大きく、ねこの鳴き真似の得意な「ねこ」と音楽の話。日本の作家さんなのに、翻訳のような感じのする文体。現実にファンタジーが紛れ込んでいるが、全てが優しく、違和感なく流れていく感じ。
どこがどうおもしろいとは表現しがたいが、音や香りが目に見えるようで、ほっこりした気分になった。
Posted by ブクログ
まず、とても面白いし童話なんだけどそこらの童話とは内容のスケールが桁違いに広い
結局クーツェは「あ〜」って感じなんだけど、もちろん登場人物は個性的で魅力的で、いろいろな人間が居る様にいろいろな人生があるんだよって言われてる気もした。
ねこには才能があったといえば簡単だけど、周りの雑音に左右されずに個性を追求する芯がなかったらみんなと同じで、本当は強い人間なんだけど一見弱い感じなのが不思議だった。
楽しい作品で童話チックで細かくというか隅々までねこの故郷や挑戦するために訪れた大都会も描かれててすごくキレイで、特に故郷はねこが羨ましいほど美しい!
Posted by ブクログ
いしいしんじによって紡ぎ出される物語は力強く、物語に接する楽しさを体感させられます。物語のリズムを身体に叩き付けられるんですね。
とん たたん とん と。読むことが本当に楽しくて、楽しいが故にガツガツ読むのでなく、文章の流れに漂うように身を任せて触れていたく思わされました。
Posted by ブクログ
麦ふみクーツェ
主人公のねこはティンパニー奏者のおじいちゃんと数学教師のお父さんと暮らしていました。おじいちゃんは町の吹奏楽団の指導に没頭し、お父さんは素数に取り付かれてだんだんと奇行を繰り返すようになります。
鼠が大量に降ってきたことから町の調子がおかしくなっていき、一段落したところで現れたセールスマンによってとても大変なことになってしまいます。そんな町の物語と、音楽学校に留学していたねこの周りの物語が平行して語られていきます。
とても感心したのが、ゴシップのスクラップを趣味とするねこのクリップする物語の小さな謎解きや、その登場人物のお話が各所にちりばめられている構成で、とても楽しむことができました。
なめらかに体が動かない用務員さん、盲目のチェリスト、盲目のボクサーであるちょうちょうおじさん、そしてやせっぽちでとても長身なねこと、普通の人と比べると風変わりな登場人物の少しもの悲しい物語や人生訓がとてもやさしく心を打ちます。
連想したのは、村上春樹氏を思わせるちょっと奇妙な登場人物と不思議な物語の中に、寓話やふと心を打つ言葉がちりばめられていることと、ジョン・アーヴィングの小説のようにとてもたくさんの人があっけなく死んでいくことです。連想は連想として、作家の想像力というのはかくも豊かであるということを堪能できるとてもすてきな物語を皆さんの楽しんでみてください。
竹蔵
Posted by ブクログ
音楽に取りつかれた祖父と素数に取りつかれた父と、ねこの鳴きまねが上手い「ぼく」が3人で慎ましく暮らすというあらすじから、ほのぼのした童話を連想した。でもそうではなかった。悲劇が次々に降りかかり、それでも希望をつかもうとする話だった。この世に起きる悲劇も喜劇も些細な出来事も、実はどこかでつながっている。へんてこな存在は目立つから、真っ先に火の粉が降りかかる。だから一人でも生きて行けるように、技を磨かなければならない。抽象的で哲学的な、生きることに少し疲れた人を優しく受け入れてくれるような本だった。
Posted by ブクログ
漢字の開き(ひらがな)が多いので
読み切るのに少し時間がかかりました。
前半にあるのは穏やかで停滞した世界。
後半に訪れるのは残酷で優しい世界。
後半に物語がどんどん加速するので、
途中で断念してしまった人も、
ゆっくり休み休みで良いので
読み進めて欲しいなぁと思う作品でした。
終盤に主人公のバックグラウンドが
靄が晴れるように一気に明らかになっていき、
それはそれなりに鬱蒼になる内容だけれども、
根底には思いやる気持ちが流れているので深く沈み込むことなく、
読後には柔らかな余韻に包まれます。
所々散らばる一見意味不明なパーツたちが組み合わせっていく様も読みどころです。
人生には救いのないことがままありますが、
この作品に悲劇は数あれど、本当の悪は描かれていません。
それが現実との境界線であり、いびつで愛おしい童話たる秘訣なのかもしれません。
Posted by ブクログ
思ったよりスケールの大きな物語。
人の死や「やみねずみ」、悪意、硬直化した心など、目を背けたいものもしっかり描かれている。
「ねこ」と呼ばれる大柄な少年と、数学者の父、自称ティンパニ奏者の祖父。
物語の後半はねこがそんな家族のもとを離れ、成長していく。
そこから物語のテンポがよくなってきて、だんだん読むのが楽しくなっていった。
そこで「クーツェ」が何者かがもわかる。
この本は十年位前、当時十代だった知人に教えてもらった本だ。
私もその頃読んでいたら、もっと多くのものを感じとれたかな…。
Posted by ブクログ
読むのに時間がかかった一作。
前半があまりに暗くて辛い。
その分後半があったかくて幸せ
へんてこはあつまらなくちゃ生きていけない
へんてこさに誇りを持つためにわざを磨かなくてはならない
この言葉で星が2つ増えた
Posted by ブクログ
完全な空想の世界。
とてもあったかい想像に支えられた、不思議な世界の話です。
色々な事に傷つきながら、色々な人に出会いちょっとずつ成長していく主人公が素敵です。
何があっても自分なりの一定のリズムでまえに歩いていく、そんな生き方をしたいです。
Posted by ブクログ
独特の世界だった。読み進む内にこの世界にはまってしまう。最初意味の分からいクーツェの言葉が奥深いってことに気づかされる構成がすごい。
Posted by ブクログ
いしいしんじさんの作品を読むのは初めてだったので、最初はひらがなと漢字の独特な使い方が少し読みにくいと思ったけれど、ストーリーがおもしろくてどんどん読んでしまった。読後感も爽やかでよかった。
ただ、仲間を求めてさまよう恐竜の話はレイ・ブラッドベリにほぼ同じ設定の話があるし、全体になんとなくポール・ギャリコの「ほんものの魔法使」を思い起こさせるなど、「どっかで見たような感」は否めない気はする。
Posted by ブクログ
合奏は楽しい
大変なこともあるけど、やっぱり楽しいよね!
て気持ちになった。
悲しかったり、切なかったりするけど、でも最後はなんだか安心する終わりだった。
Posted by ブクログ
「自分は周囲から浮いてる、変わり者なんだ」と悩んでいる子どもたちに、是非読んでほしい。あなたは「へんてこ」だから独りかもしれない。でも、大きくなって世界が広がれば、「へんてこ」の仲間や理解者が必ず集まってくる。そして、これまでのことはすべて繋がって、大きなことを成し遂げることができる。だから、それまで「へんてこ」なところを磨いておいてね。「ねこ」と呼ばれる主人公の男の子の成長を通して、著者はそんなふうに語りかけているのかもしれない。
Posted by ブクログ
いしいさんの本は三冊目です。
二番目に好き、かな?
ずんぐりむっくり、なんだかおかしくて哀しくて、懐かしくてあたたかい、そんなお話でした。
いしいさんのお話は、悪い人がでてこない。玉虫色のスーツのセールスマンさえも、なんだか憎めない。
ささやかな幸せに改めて感謝しようと思いました。
Posted by ブクログ
いしいしんじの、「大人のための絵本」っぽいところが大好きで、
この本も読み始めました。
ただ、今までと違って、世界に入り込むのに時間がかかりました。
淡々と進み、物語の全容を把握するのに、300ページくらいかかりました。
このお話は、
吹奏楽部だった人、楽器を演奏することが大好きな人には、
もってこいのお話。
『音』についてのお話。
合奏をしている
それは、音を鳴らしている
音を鳴らすことによって、
誰か(何か)と繋がっていることができる
「繋がっている」ことが、どれだけ素敵なことなのか
それがわかるお話です。
演奏する喜びを知っている人は、きっと理解できるはず。
麦ふみの音、
私にも聞こえる気がします。
Posted by ブクログ
この作家さんをどう評価すべきなのか?
寓話作家なのか、一種のファンタジー作家なのか。児童文学作家なのか。カテゴライズすることは無意味と判っているのですが、悩んでしまいます。
ともかくも、この作品。特に前半は何が語りたいのか良く判らず、かなり読みにくい。ミステリーでは良く、最後にそれまで散りばめられていた場面が、ジグソーパズルのように嵌まっていくような構成があります。それにちょっと似ています。もっともパタパタ嵌ると言うより、繋がりが見えるようになるという感じですが。
読後感はなかなか良いのですが、それが何処から来るのか判らない。物語そのものの筋は通っても、その中で語りたかったことは何なのかが判らない。単なるエンタメでは無く、何か語りたいものがある作品だと思うのだけど。。
なかなかシュールな作品です。
Posted by ブクログ
【2025年36冊目】
素数にとりつかれた父と、音楽にとりつかれた祖父。誰よりも身体の大きなぼくは、ねこの鳴き真似が上手く、「ねこ」と呼ばれている。ある真夏の夜、ぼくはリズムよく鳴らされる不思議な音を耳にする。それは麦ふみクーツェの足音だった。
大人向けの童話のようなお話、もしくは絵のない絵本、という表現が自分の中でしっくりくる一作でした。連作短編集というわけではないと思うのですが、章ごとにタイトルがつけられていて、ゆっくりゆっくりと物語は前に進んでいきます。
ありそうでなさそうな、ちょっぴりファンタジーも入ったお話。読み聞かせしたくなるようなリズム感。もしかしたら、Audibleと相性が良いかも。
どういった人生を歩んできたかで、この本との向き合い方はがらりと変わるような気もしました。
Posted by ブクログ
動物が死ぬのは良くない。人間も死ぬけど。
ヘンテコな人がたくさん出てきて、気を使ってしまうようなソワソワ感がある。ただ本人たちはヘンテコであること、ヘンテコなことは一番に危険な目に遭うこと、色々を理解していて、その上で目立たないようにではなくてやりたいことや特技を磨く。それがヘンテコさに誇りを持つ方法らしい。ヘンテコじゃなくても人間はそう生きるしかないんじゃないかなと思う。
Posted by ブクログ
子供用の物語のようで、大人に分かる本。星四つに近い。
現実に見たような聞いたような錯覚を覚える。ものの見方を変えるだけで、世界がこんなに彩られるのかと思う。いや、これは誰もが経験する子供目線を、大人が描いたからかもしれない。空想好きな作家が書いたファンタジーにしては、人間性や現実をよく捉えて描かれ、両側面を持つ。それが不思議と感じる原因なのかもしれない。
Posted by ブクログ
変わった男の子が、変わった町に住んでいて、子供の頃に幻覚?みたいな麦をふむクーツェにであるんだけど、それは本筋じゃなくて、
その男の子がいろんな人にであって、変わった人ともであって成長していく話
Posted by ブクログ
表紙とタイトルに惹かれて読んでみましたが、最初でくじけ
ました・・・意味がよく分からなかったです。
いしいさんの本は「プラネタリウムのふたご」もそうでしたが正直私の頭では理解できないです。
高評価ですが、ごめんなさい。
表紙だけの評価として★3つで。
Posted by ブクログ
音楽にとりつかれた祖父と、素数にとりつかれた父と慎ましく暮らす、とびぬけて大きなからだをもつぼくの物語。
どこか遠い国の童話かおとぎ話のようなこの世界観に最後まで入り込めなかった気がするのだが、気がつくと読み終えてた。
正直面白かったかと言われればそうでもなく、かと言って面白くなかったかと言われればそういう訳ではない。
なんとも不思議で難しい作品。
終盤までは、不思議な世界の中、悲しい話で埋め尽くされるが、決してネガティブではない。
「麦は、つぶされることで強く成長する。それで成長せずにくさってしまった種があったとしても、それは畑の肥やしになる。どんなことも、無駄だったということは何ひとつない」
悲しい出来事や理不尽な出来事も無駄なことは何一つない、それを独特の世界観で描こうとしているのかも知れない。