無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
夏の季節に読めて良かったです。複数の本を同時並行で読み進める癖があるから、読み終わるのに1ヶ月くらいかかってしまったけど。
たとえば長い一日などで感じた、日常の中の些細なことの自分・他者の拡がりや、茄子の輝きで感じた、過去の自分の記憶の漂いみたいな、滝口さんの哲学たちが、時間軸や物理的にも拡張された壮大なスケールで展開されてゆきます。
壮大なスケールと言っても、SFみたいなあり得ない世界というわけではなく、まぁ見方によってはそうかもしれないけど、なんだか本当にあるような、ファンタジーとかって分類する意味がないような、日常のものとして語られていく。その語りが、悲哀に満ちた劇的な最期ではなく、硫黄島で死んでいった人たちの生活そのものを私たちの生活の地続きとして感じさせます。
過去の遠い出来事として薄れつつある戦争も実際にはあって、私たちと変わらない、語られない、残らない人たちが、それぞれあっけなく簡単に死んでいったということを実感として持っておきたい。
ただ目の前のことを受け入れる、理解しようとせず、疑おうとせず、そのまま受け入れる自分を受け入れたい。なにせ、確かなものなど、本当の一つもないのだから、と思いました。
もっといろいろなことを考え、想ったのだけど、すぐどこかへいってしまう。けど、そんなもんだよな、人の感情や記憶なんて。どこかにいってるだけで、確かにあって、確かに想ったことだけおぼえていれば、そのうち何かのきっかけでふわっと思い出すでしょう。
Posted by ブクログ
とても読みでのある小説だった。読書好きの人には勧めたい本。
長いし、わりと時間はかかるのだが、どんどんページをめくっていきたくなる小説。
時空を超えたり、死者が語ったりするのはどちらかというと苦手なのだが、全く違和感なく、そんなこともあるだろうよみたいな感じで読めた。
硫黄島に人が住んでいたのは、映画「硫黄島からの手紙」等で知っていたし、その人たちが大変な思いをしたというのもなんとなくはわかっていた。そして戦後戻れないままであったことも理解していた。でもそこまでだった。この小説を読んで、生き生きとして暮らしていた人たちの様子、そこを去らなければいけなくなった悲しみ、家族との別離、新しい土地での苦労、島に残された青年たちの悲惨なその後など、知ることができた。
現代のパートはわりと楽しく読めた。こちらは自分も生きているのでリアリティがあり、それはそれで考えさせられるのだが、ちょっと息抜きもできた。硫黄島のパートも、別にずっと悲惨なわけではない。普通に暮らす日常があった。それを断ち切られてしまった、戦争のせいで。
「島」は大変だ。今現在も沖縄の島が将来犠牲にならないですむのかと心配になるような出来事が続いている。本島に住むものたちより先に犠牲になるようなことは絶対に避けなくてはならない。そんなことは一言も書いてないけど、そのことを改めて強く感じさせられた。
滝口悠生さんの小説は新刊が出るたびに「読みたい」と思うものの、読んだことがなく芥川賞受賞作以来だ。今回はしっかり手に取ることができてよかった。
"そこにはたしかに、よろこびもあった。(略)でもそんなのは作業に没頭している束の間の幻想だ。真剣さは毒だ。真剣になっているうちに、自分じゃなく誰かべつの者のよろこびが自分のよろこびであるかのように思ってしまう。他人のよろこびを俺がよらこぶのは俺の自由だが、他人から、そいつのよろこびが自分のよろこびであるかのように惑わされて騙くらかされるのは御免だ。だから俺はあれからずっと自分の真剣さを疑っている。なるべくふざけていたい。大事な話や、大事なものについて考えるときほど、真剣さに呑み込まれてしまわないように。" 308ページ
"いまは小さな濠のなかにいた。(略)生まれてこの方二十年以上も暮らした小さな島のなかなのに、いまいる場所がよくわからない。重ルには、そのことが違和とか焦りとかよりもまず悲しみとして感じられた。少し不思議だが、この悲しみはいったいどういう悲しみなのかと考えを追う気にならない。子どもの頃、意のままにならず泣いてみせるときみたいな、わからなさのなかで弱くなるような気持ちだった。" 317ページ
"いっけん規律に厳しい軍の仕事も、よく見ればあちこちにぼろがあって、いい加減さが露見しそうになれば無理くり封じ込めようとする。ないものもあるし、あるものもないことになる" 329ページ
Posted by ブクログ
読み終わるまでに時間もかかかったけど、読み終えてからもあれはなんだったんだって考える時間もあったりといい読後感だった。
最終章を読んでいた時、この部分を読むためにずっと漂っていたのかもしれないとも思った。思っていル。
「海はあらゆる時間にもつながっているんだ、海を見てれば誰だってそのうちそう気づいて気づいたときには遠い時間が波にのって寄せてくる」
硫黄島にはかつてそこで暮らし死んでいった人々がいた。民宿「水平線」の2階の部屋にはかつてそこで海の向こうを眺めていた家族がいた。そして今を生きる人がいる。そうやって繋がってきたものが時間を超えて混じり合う。海や釣りを介して。
現代パートでは横多の生きている世界では2020年に東京五輪が開催されているけど、妹の世界線では五輪延期しているのに兄(横多)の言っている五輪はなんだったんだろうという場面がある。この世界線の違いはなんだったんだろうと考えてもわからなかった。なので、そういうもんなのかと思いながら読み進めた。
Posted by ブクログ
硫黄島の島民の記録を軸に,敗戦前に疎開した人々とその家族を少しオカルト交えて描いている.そして軍隊に徴用された人々が全員死んだ事実には,改めて胸が塞がれる思いがする.硫黄島からの疎開者の孫である来未に死んだはずの祖父の弟忍からかかってくる電話と横多兄に行方不明の祖母の妹からのメール.夢ではなく現実に過去が混ざり合ったような場の異空間の表現が自然で,読みながらも受け入れていて,でもそれはおかしな事.
硫黄島といえば,戦争の激しさばかりが強調され兵隊さんたちの悲劇がクローズアップされるけれど,島中犠牲になった人々のことを思うと,どこかサバサバと綴られた物語の中に深い哀しみを感じました.
Posted by ブクログ
クリント・イーストウッドの映画で有名になった硫黄島。戦前は住民がいたなんて知らなかった。
硫黄島に残り亡くなった家族、そして本土に疎開して生き残った家族とその子孫の物語。リアリズム小説なら並行世界的に描かれるところだが、この小説では超常現象的に両者が交わり、そしてそれはとても自然に書かれる。またリアルに表現されているはずの現代パートも微妙にズレて両立する。
最初はその荒唐無稽な内容に違和感を覚えるんだけど、だんだんその世界に馴染んできて、世代的に遠く離れた人々が身近に、逆にリアルに感じられるようになる。不思議な話だ。
硫黄島の砂糖工場で使われる牛フジに最も共感を覚えるというのは、自分としてどうか。
「真剣さは毒だ。真剣になっているうちに、自分じゃなく誰かべつの者のよろこびが自分のよろこびであるかのように思ってしまう。他人のよろこびを俺がよろこぶのは俺の自由だが、他人から、そいつのよろこびが自分のよろこびであるかのように惑わされて騙くらかさせるのは御免だ。だから俺はあれからずっと自分の真剣さを疑っている。なるべくふざけていたい。大事な話や、大事なものについて考えるときほど、真剣さに呑みこまれてしまわないように。」
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。