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全戦線で日本軍の疲弊が目だちはじめたころ、ビルマでは牟田口第15軍指令官の怒号一喝、インパール作戦の火ぶたが切られた。しかし、思わぬ作戦齟齬の罠が待ちかまえていようとは! 柳田第33師団長の作戦変更の要求、そして佐藤第31師団長の“抗命事件”。炎熱と飢餓のなかで戦う将兵の胸中は……。
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Posted by ブクログ
どんどん悲惨さが増してきます。サイパン島では、戦闘員かどうかにかかわらず、大勢が命を落とすことに。島の洞窟では、戦闘員が、非戦闘員の子供が泣くと、敵に見つかるから出て行けと言ったり。そして行き場がなくなり、仕方なく首を吊る人たち。一見、戦闘員を憎んだりしたくなりますが、みんな自分の生命を守るのに必死...続きを読むなので。そしてこの巻の最後は、神風特攻隊。自ら爆弾と化して、敵に体当たり攻撃をするこの攻撃方法。ここまでしないといけないのか、もう早く戦争なんてやめればいいのにと思いました。
ビルマのインパールの牟田口司令官の無謀な作戦強行、サイパンの失陥。日本の敗戦が見えた。神風特攻隊が誕生する。2018.9.13
ニューギニアでの敗退、インパール作戦の失敗、サイパン玉砕が描かれる第5巻。大本営の戦略の欠如、精神論で墓穴を掘る、といった日本軍の弱さが一層あらわになってくる。 そして神風特攻隊の登場。ここまできてまだ終戦を考えようともしない人々には、やはり大きな罪があると感じざるをえない。
話はビルマ戦線に突入する。ビルマでも,初戦を除き,イギリス軍の物量攻撃に苦戦させられることは,先のガダルカナル島やニューギニア島と何ら変わりなかった。ここでは,ひとつ事件があった。それは,戦場の二・二六事件と言われる佐藤中将の抗命事件だ。これは日本陸軍の歴史の中で一大汚点とされているが,真相はどうだ...続きを読むったのか。著者はその張本人である佐藤中将と相手方の牟田口中将に戦後実際にお会いして,話を聞いている。 佐藤中将の抗命事件とは,大まかに言うと,牟田口軍司令官の進攻命令を公然と拒否し,兵団を率いて勝手に退却した事件である。これだけ書くと,何たる事かと思ってしまうが,退却までのいきさつを聞くと,どちらが悪いとも言えず,強いて言うなら,このような戦争を起こさざるを得なかった日本国の無謀さだが,それはやむを得なかった時代であるということだろうか。 佐藤は,牟田口に約束していた補給が,約束の日を過ぎてもいっこうに来る気配も無く,逆に,更に無理して進めといった命令を寄越した事に腹を立て,部下を飢えや無謀な突撃で死なすわけにはいかないという理由で,撤退に踏み切った。ただ自分のみが抗命の責任を負うように,退却の電報の草案も自ら起こすなど,周りにも配慮しながら撤退した。戦争下では時には死ぬよりも勇気がいる行動を,部下のために起こしたのである。 補給の話以外にも佐藤には不満が積もっていた。兵隊が痛い足をひこずりながら歩行を続ける中,芸妓や板前等が嬌声をあげて自動車で過ぎていくようなところを目撃していたからである。それを見た兵が何を思い,それがどのように士気に触るか考えただけでも分かりそうなものが,既に,考えられなくなっているほど,上層部は堕落・老衰していたのだ。そもそも慰安婦というのは,日清・日露のころは無く,はじめてこれが現れたのは支那事変が済南附近まで戦線を延ばして来たころだ。むろん初めは兵隊のためのものだった。兵隊の中には何としても欲望が抑えられず,密かに住民を乱暴して行く者が出てきていたからだ。ところがこれが,瞬く間に兵の手から将校の手に移り,さらに前線に戦うものは忘れられて,机の上で作戦し,机の上から命令する人々の公然の魔窟になってしまった。 佐藤は言った。立派な指揮者が,兵隊に死ねと言った伝統などは日本の歴史に断じて無い。最後の一兵になるまで頑張るのは,空疎な掛け声に煽られて頑張るのではなくて,指揮者の平素の労りが,生死を共にせずにはいられない共感,友愛に昇華されているからなのだ。つまり,自分の方から捧げたくなってくるから,一兵になっても頑張る。それが伝統だ。と。このようなことが言える軍人佐藤中将が,果たして,単に補給が届かなかったからと言う理由だけで,抗命し,撤退を図ったか,やはり疑問が残る。この抗命事件は,既に,戦争は負けており,これ以上,上層部の見栄や誇りのために,日本の皇軍を死に追いやってはならないという,大本営に向けたメッセージではなかったのではないか。とすれば,戦争とはいったい何であろうか。現地部隊に命令を下す司令部の存在は,戦争とは全く無縁の場所で忙しそうに命令遊びをしているに過ぎないことになる。佐藤中将が抗命になろうと,銃殺されようと,断固としてこの滑稽な錯乱遊びと戦わなければならないと感じたのであろう。犠牲をいといたくないというわけではない。犠牲はどこまでも意味のある捨石でなければならない。その捨石をどこで活かすつもりなのか,それさえハッキリと腹に入ったら,士気は全く違ってくるのだ。佐藤は罷免された後も,部下にあてて激励電報を打っている。大東亜戦争を通じて,兵を愛し,兵と共に泣き,兵と共に死んでいった将聖は無数にいる。しかし,戦場でこれほど強く兵のために闘った将軍はいなかったのではないかと著者は言う。 ビルマと同様に悲劇の島となったのが,サイパンである。ここは絶対国防圏の中心拠点であった。というのも,サイパンは東京から2400kmの距離であり,ここを敵に占領されると,日本全土がB29爆撃機の爆撃圏内に入ってしまうからだ。サイパンは小豆島より少し大きい程度の島である。この島の在留邦人の数はおよそ2万3千人いた。在留邦人と現地人との間もいさかいはなく,協力体制ができあがっていた。ここは第1次世界大戦以来,日本の委任統治領となり,海軍もしばしばこのあたりで演習を繰り返している。このため,既にこの時期には難攻不落の大要塞が出来上がっている,と誰もが思っていたが実際は違っていた。このように大事な拠点であるにもかかわらずだ。このため,敵の艦砲射撃をまともにくらい,島の形を変えてしまうほどの攻撃受けてしまった。ここで日本海軍がアメリカ海軍を追い払ってくれれば良かったのだが,フィリピンの泊地にいるため直ぐには現場に行けず,しかも,サイパンに着く前に,空母3隻のうち2隻も魚雷により沈没させられてしまった。サイパンでは,後少し待てば,味方の海軍が来て,敵を追っ払ってくれると思い込んでいたため,悲報を聞いて,絶望し,突撃,自決の不の連鎖が起こる悲劇の島と化してしまった。この島で死んだ日本軍の戦死者は2万3千人。また,在留邦人の2万3千人のうち1万人も死んでしまった。軍人の戦死者の多くは,砲弾,爆弾を浴びながらの激戦によるものだが,在留邦人の死者の多くは自殺であり,餓死であり,狂死であった。バンザイと叫びつつ,手榴弾を手にアメリカ軍の中に踊りこんで,銃剣をもって暴れ,自爆したり,バンザイ,バンザイと叫んで断崖から身を躍らせたりした。このバンザイ突撃は,アメリカ兵を戦慄させた。島の洞窟には軍人と一般人が混じって退避し,赤子の鳴き声で敵に居場所がばれる事を憂慮し,赤子を抱えた母に出てゆけと暴言を吐く軍人もいた。母親は仕方なく赤子をつれて出ていき,共に海に身を投げたりした。戦闘員と非戦闘員の入り混じった戦場にはこうした悲劇が必ずつきまとう。戦争もまたギリギリの人間の所業なのだ。温かい人情の発露もあれば,醜い剥き出しの利己の跳梁も避け得ない。それゆえ,戦争は永遠に呪われる悪行中の悪行なのだ。サイパンは結局,アメリカに占領されたが,アメリカ側もこの島の攻略だけで1万7千人の死者を出していた。この小さな島にささげた犠牲者の数はあまりに大きかった。 戦争には前線の戦闘部隊と後方の補給部隊のバランスが欠くべからず条件である。そのバランスが崩れると,どのように勇敢な兵士でも,闘い得ない。ニューギニアにせよインパールにせよ,繰り返し展開された日本軍最大の敵は,実はアメリカ軍ではなく,この補給の無力さであり,混乱であり,不器用さであった。玉砕していった人々はただそれを口にしなかっただけである。インパール作戦とサイパンの失陥で戦の勝負は決定し,ここからは戦争そのものの収拾に政治的な手が打たれなければならない時期に来ていた。しかし,ここで誰がいったい,東条に辞職を勧告するのか。そこで登場したのが,岸信介であった。ある時期の東条は不思議な魅力を持っていた。ところがその魅力の元をなしていた誠実さも,忠誠心も,努力も,不退転の信念も,今はみな見逃しがたい欠点に変わっている。東条が変わったのではなく,時局が全く別の物を要求しだしているのだ。ところが東条はそれに気付かない。少しでも彼の意に反するものは遠ざけ,彼の信念に近い者だけを近づける。そうなると内閣そのものが東条の過ちなり,欠点なりの塊になってしまった。しかし,これに敢然と意見したのが岸信介であった。今の東条に意見する事は,死を決しないと出来るものではなかった。全ての権力を東条が握っているからだ。しかし,東条も決して悪人でもなく,陰謀家でもなかったので,岸やそれに呼応する大臣の意見も入れ,東条内閣は19年7月18日に総辞職した。これで実は太平洋戦争は終わったのだ。岸の功績は大きい。既に負けている戦を,負けているぞとして終戦の方向へ向きを変えさせたのだ。それはサイパン玉砕の大本営発表と同じ日であった。 この時期,アメリカ側の大船団はレイテ島を目指していた。日本側はこれに気付かず,フィリピン沖のアメリカ陽動海軍にひっかかり,マッカーサー率いる海軍にレイテ島上陸を許してしまう。このように戦局が不利になるにつれて,不思議な形で愛国心が燃え上がり,それが,神風特別特攻隊の芽になっていった。山本五十六は,必死という,何ほどかの生還率の無い作戦は実施すべきものではないと厳重に戒めていたが,サイパンの失陥のあとでは,この海軍上層部の自戒は激しく揺れだした。敵に日本本土の攻撃基地を与えてしまったのだ。生産力の差からいって,応戦するに足るだけの飛行機や艦艇の補充が出来る状態ではない。そうなるとわが方にあるのは,異常なまでに昂まっている純真な人々の愛国心以外には何ものもなかった。この事に気付いて,真っ先に必死必中の特別攻撃を考えたのは,大西滝次郎中将であったと言われている。一機をもって一艦を沈める程の体当たりをやらなければ絶対に勝ち目は無いということだった。しかし,この戦術は易々と決断して良いものでもない。戦争にも下命してよい事の限界はあり,その限界を超えると果てしもない暴挙になる。陸軍はこの時期,まだ気負い立って闘っている。海軍もまた,最後の一兵になるまで徹底して闘って死ななければならない。その意味では,この特攻により神風を吹かせるということより,この特攻により,徹底して責任を全うしたいという,そして,その責任を全うする事で,神風は子孫の上に吹くであろうという考えからであったのだろう。 特攻隊の出現は,この時期,日本に起こるべくして起こったものであり,その行為に至った神聖なる気持ち,子孫への願いを鑑みると,その行為自体を批判する事は私には出来ない。でも,そんな限界ギリギリの心境にさせてしまう戦争というものの恐ろしさを,子孫である我々はよく考えなければならないと思うのだ。
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