小田部雄次の作品一覧
「小田部雄次」の「天皇と宮家」「華族 近代日本貴族の虚像と実像」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
華族に関する入門書として最適だと思います。
華族関連書籍は概ね気合が入りすぎているからか、やたらと資料や込み入った解説が多く
結局なんだったのか分からないといってことに陥りがちだったと思います。
しかしこの本は裏づけとなる数字や資料、またその解説の程度が
華族に対する特別な知識のない人間にとってまさに絶妙の配分、難易度なのです。
華族ってどんな人たちがなったの?
華族ってお金持ちだったの?
華族って何人いたの?
公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵の違いってなに?
↑それぞれ何人くらいいたの?
華族のその後ってどうなったの?
などなどの疑問に答えてくれるニュース解説の池上さんみたいに親切な一冊です。
Posted by ブクログ
『ホタルの嫁入り』を読んで、華族のことがもっと知りたくなり手に取った本。華族入門書としては最適でとても分かりやすく書かれていた。
華族を一言で説明すると、「皇室の藩屏」である。
華族については、明治維新によって身分を剥奪された大名たち、明治政府の実験を握った薩長の武士たちが自分たちの地位と名誉を守るために設置した身分制度と思っていたが、概ね合っていた。
私の認識で抜けていたのは、華族の中には公家もいたということ。日本の歴史上、公家と武家というのはお互いに対立し、いがみ合っていた存在。時には協力することもあったが、それはお互いの利害が一致している時のみ。
そんな公家と武家とが一緒くたに華族となったものだから、設立時から一枚岩ではなかった。特に公侯伯子男と5段階の身分制度を設けたことで余計に混乱を招いた。
また、華族制度については、「無為の徒食者」と一般大衆からの批判も強かった。意外だったのは「天は人の上に人をつくらず」を説いた福沢諭吉が華族制度を肯定していたこと。華族は皇族と連なる高尚なる家柄であり名声も資産もあるので、軍務につかせ国民の先頭に立たせることが国家のため華族のためになると説いた。
逆に言うと皇族とは何の関係もない下級武士の勲功や資産家あがりの華族たちには否定的であった。
華族制度に真っ向から批判したのは、あの板垣退助。皇室と国民の間に華族なる特権階級を置くことで、かえって国民と皇室の距離があいてしまうと主張した。
様々な批判を浴びながらも、華族銀行の設立や軍務免除などの特権を得て、明治大正昭和と時代が流れるにつれ華族は肥大化していった。この間の戦争で軍功を上げた者も家柄に関係なく華族に加わった。
もともとが脆弱な基盤だった華族制度が肥大化によって更に混乱を招いたといえる。
そして迎えた太平洋戦争と敗戦。意外にもGHQは華族制度を残す方向で考えていた。しかし、日本の衆議院議員がこれに反対。もはや西洋は貴族と平民という対立構造ではなく、資本家と労働者という対立構造にうつっている。華族制度はもはや時代遅れであると主張した。
時代の流れに逆らえず、貴族院で華族制度廃止が可決され、華族は消滅することとなる。
当初からの使命「皇室の藩屏」として、自らと引き換えに天皇家を残したともいえる。
Posted by ブクログ
急激に変化していった時代の流れに追いついていけた庶民は一体どのくらいいたのだろうか。
何百年も続いていた生活習慣が禁止をされてしまうのは非常に厄介だったのではなかろうか。
当時の流行り廃りをはじめ、何故流行ったのかも現在まで分からないことも、少し前の時代の事でもあるのだなと疑問に思ったが、市民全員が勉学に勤める時代になったのは本当に最近の事だと知り、そりゃあ文章として残したりはなかなかできないよなと納得。
何となく流行、なんとなく飽きて、なんとなく廃れていく文化はいつの時代も起こるものなのだろう。
学ぶことよりも家事の手伝いを重んじていた時代、小学校に反対して放火までしてしまう心理も良く分かる内容となっていました。
幕末と言えどまだ150年程しか経っていないのに、本当に一気に文明が進んだのだなと実感させられる内容となっていて非常に良かったです。
Posted by ブクログ
断片的な引用だが刊行当時は知られていなかった事柄が分かった点はある。例えば方子女王と王世子李垠との成婚は「政略結婚」ではなく梨本宮家が結婚適齢期を迎えた方子女王の相手として4歳年上で朝鮮には戻らないであろう王世子李垠に白羽の矢を立てたという事実。
著者は「李方子」で「荒唐無稽なフィクションともいえない迫力がある」と評価している赤瀬川隼の「青磁のひと」なる小説があるが、この本を書いた時点では「青磁のひと」の末尾に紹介されている張赫宙の「秘苑の花」を読んでいないらしいのは何故なのだろうか?「英親王李垠伝」に紹介されていて刊行当時に張赫宙が手を加えた「引用文」があるのに彼の存在を知らなかったので気がつかなかったのか?伊都子妃の「三代の天皇と私」は明らかに「秘苑の花」を下敷きにして書かれている個所があるのに。
第2王女の規子女王と山階宮との婚約と破棄の過程が少ない。「三代の天皇と私」には山階宮には「九つも年が違うし、二度目で二人のお子さんもあること」(182頁)とあるが武彦王妃佐紀子女王は第一子を懐妊中に関東大震災で薨去している。「山階宮三代」も簡単にしか書かれていない。「卜部日記」昭和54年9月14日条に「寬仁さんに関し竹田さんや山階さんの若年のころのグレた話御引用」とあるので山階宮は派手に芸者遊びをしていたのかもしれないが中間項がないので不可解としか言えない。