あらすじ
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侯爵鍋島家に生を受け、皇族梨本宮家に嫁ぎ、そして太平洋戦争後は平民となった伊都子妃。明治・大正・昭和の各時代を、77年間にわたって綴った日記が、その波瀾の生涯を紡ぎ出す。近代日本の歩みを読み解く道標となる本、待望の電子化。
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Posted by ブクログ
断片的な引用だが刊行当時は知られていなかった事柄が分かった点はある。例えば方子女王と王世子李垠との成婚は「政略結婚」ではなく梨本宮家が結婚適齢期を迎えた方子女王の相手として4歳年上で朝鮮には戻らないであろう王世子李垠に白羽の矢を立てたという事実。
著者は「李方子」で「荒唐無稽なフィクションともいえない迫力がある」と評価している赤瀬川隼の「青磁のひと」なる小説があるが、この本を書いた時点では「青磁のひと」の末尾に紹介されている張赫宙の「秘苑の花」を読んでいないらしいのは何故なのだろうか?「英親王李垠伝」に紹介されていて刊行当時に張赫宙が手を加えた「引用文」があるのに彼の存在を知らなかったので気がつかなかったのか?伊都子妃の「三代の天皇と私」は明らかに「秘苑の花」を下敷きにして書かれている個所があるのに。
第2王女の規子女王と山階宮との婚約と破棄の過程が少ない。「三代の天皇と私」には山階宮には「九つも年が違うし、二度目で二人のお子さんもあること」(182頁)とあるが武彦王妃佐紀子女王は第一子を懐妊中に関東大震災で薨去している。「山階宮三代」も簡単にしか書かれていない。「卜部日記」昭和54年9月14日条に「寬仁さんに関し竹田さんや山階さんの若年のころのグレた話御引用」とあるので山階宮は派手に芸者遊びをしていたのかもしれないが中間項がないので不可解としか言えない。