日本で最も著名な経済学者である宇沢弘文による、世界の経済学を敷衍し、その発展の流れをまとめた本。
1989年刊行。
経済学は、人間の営む経済行為を直接の対象とし、経済社会の基本法則を明らかにすることを目指した学問である。
本書では、アダム・スミス以後の経済学の流れがまとめられている。
①アダム・スミスによる経済学の成立
経済学が学問として成立したのは、1776年アダム・スミスにより『国富論』が著されたときである。
スミスは、元々道徳哲学者として名声を得ており、彼からすれば、経済学の研究もハチスンやヒュームの思想を発展させ、社会を個々の人間の感情と行動の総体として捉えようするテーマの延長線上にあった。
このことは、経済学の本質理解のために特記すべきに値する。
『国富論』では、社会的分業、商品・貨幣・資本、産業組織、資本主義的再生産過程、国際貿易に関する論理が展開される。
まさにその後の経済学の枠組みを決定するプロトタイプそのものだった。
②古典派経済学の進展
スミスの経済学は、リカード、マルサスによって精緻化される。これが後年、古典派経済学と呼ばれる。
しかし、1825年の世界恐慌を契機に、資本主義経済が安定的な自律機構を内蔵しているという、古典派経済学の認識は虚構だったことが意識されるようになり、ジョン・スチュアート・ミルが『経済学原理』で厳しい批判を与える。
③マルクスによる共産主義の展開
また、1848年マルクスが『共産党宣言』を出版し、古典派経済学が解体される共に、「共産主義」という経済学の分流が生まれた。
共産主義は、ミーゼスによる批判、ハイエクによる一般化を受ける。加えて、ランゲとラーナーによって競争的社会主義にピボットされる。
後年、ハーヴィッチによって、インセンティブ・コンバラビティを満たす計画経済の作成が不可能であることが証明されることになる。
④新古典派経済学の進展
一方、1870年代に入り、古典派経済学は転換期を迎える。
限界効用理論を体系化したハインリッヒ・ゴッセンを初めとして、ジェボンズ、メンガー、ヴィーザー、バヴェルクなどの所謂オーストラリー学派が帰属理論を展開して、精緻化を行なったのだ。
さらに同時期、ワルラスが1874年に『純粋経済学要論』にて一般均衡理論を展開したことで、新古典派経済学へと変遷していく。
また一般均衡理論はフィッシャーの時間選好理論に発展した。
⑤新古典派経済学の衰退
しかし、新古典派理論はその後、ソースティン・ヴェブレンによって厳しい批判を受ける。新古典派理論が前提とする生産手段の私有制、ホモ・エコノミクスの概念、生産手段のマリアビリティなどの条件の非論理性と現実的妥当性の低さが指摘されたのだ。
さらに1929年に大恐慌が起こり、新古典派経済学はその支配的な地位を失った。
代わりに経済学の主流となったのが、ケインズ経済学だった。
⑥ケインズ経済学の登場
ジョン・メーナード・ケインズが1936年に展開した『雇用、利子および貨幣の一般理論』(略して一般理論と呼ばれる)を契機に、有効需要理論を柱として財政・金融政策の弾力的な運用の重要性を強調する新しい経済学派が生まれた。
ケインズの「一般理論」は、ヒックスにより均衡論的分析が行われ、セイモア・ハリス、ハンセンによって発展していく。
さらに、ローレンス・クレインが1950年に最初の計量経済モデルを提示した。
⑦WW2後の経済学
ハロッドと、それを敷衍したドマーによって経済動学の基本的枠組みが形成される。
ハロッド=ドマーの理論は、トービン、ソロー、スワン、荒憲治郎による批判を経て、二部門経済モデルを使った新開モデルに繋がる。
アレン、レオンティエフが投入・産出分析手法を開発し、アローとデブリューがワルサスの一般均衡理論における研究の頂点を作った。
このように、第二次世界大戦後の経済学は華々しい成果を挙げたが、一方で経済学的思考の深さや現実的対応について十分に検討がされなくなってしまった。
さらに、1962年、ケネディ政権がベトナム戦争介入に踏み切ったことも、アメリカ経済学界の分断をもたらした。
この状況に対し、早い段階で批判と警告を行ったのがジョーン・ロビンソンだった。
ジョーンは、リチャード・カーン、ラーナーらが率いたケインズ・サーカスと共にヒックスのIS-LM分析を批判し、ケインズ経済的の動学化を試みた。
⑧反ケインズ経済学の流行
ジョーンの警鐘とは裏腹に、ベトナム戦争勃発とニクソン政権の失敗、第一次石油危機などの展開を受けて、1970年代から世界の経済学の流れは「反ケインズ」というべき方向に傾倒するようになる。
この代表格は、ゲーリー・ベッカーの合理主義経済学、ミルトン・フリードマンのマネタリズム、ロバート・ルーカスの合理的期待形成仮説、フェルドシタインによるサプライサイド経済学などであるが、いずれもケインズ以前の新古典派経済学を基礎に展開された理論だった。
しかし、ある種の流行現象となったこれらの反ケインズ経済学は、共通して自由放任主義をとり、現実の様々な制約を捨象し、新古典派経済学の理論前提を極端に推し進めていた。
故に反ケインズ経済学は、理論的整合性が乏しく、深刻な矛盾を含んだ現実的妥当性の低いものであった。
にも関わらず、1970年代に取られた政策は、このケインズ経済学による論理的演繹を背景としていた。規制緩和・撤廃、社会資本の私有管理化、予算均衡主義、自由貿易、貨幣供給量を重視した金融政策などが、これにあたる。
⑨現代経済学の展開
1970年代に猖獗を極めた反ケインズ経済学も、1980年代に入ると、その勢いを落とし始める。
この状況の変化は、反ケインズ経済学の理論的矛盾が、ロバート・リカッチマンなどの経済学者によって指摘され始めたこともあるが、レーガン政権の経済政策が失敗に終わったことも大きい。
レーガノミクスの名の下で行われた所得税減税、軍事費の増大、社会保障関係費の削減、規制の緩和・撤廃は、失業率10%超え、大幅な連邦予算赤字と貿易収支赤字を作り出した。
この失敗を受けて、反ケインズ経済学は下火になっていった。
1980年代半ばから、世界の経済学は再びケインズ経済学の延長線上に立ち、新しい分析的枠組みを求めはじめた。
ホートレーと小谷清が提示した循環的・不安定なプロセスの説明を念頭に置き、新しい分析が生まれた。
特筆すべきは、ジョージ・アカロフが主導するゲーム理論と、ジョーゼフ・スティグリッツが主導する数理経済学を使った理論的分析の流れがある。
今後、経済学がどのように発展するかは予測が難しいが、これらの延長として検討されていくだろう。
以上が、本書で解説される世界の経済学史の流れである。
ざっくりと要点を書くに留めたが、かなり長くなってしまった。
本書ではさらにこれらの理論・概念に対して解説が与えられているので、200ページ程度の本ながら、非常に濃い内容となっている。
本書では極力数式や複雑なモデルを使うことを避けているので、経済学素人にも理解に易しいと思う。
ただ、本当の基礎部分の知識は前提としてあったほうが良い。
筆者の立場としては、ケネディ政権のベトナム戦争介入と反ケインズ経済学への嫌悪が明らかにあるところ以外は、フラットだと感じた。
この本が理解できれば、世界の経済学の主要な理論を知り、その発展を理解できたと言える。
30年以上前の本でありながら、とても勉強になった。
現在においても経済学における不朽の羅針盤といえる良書。