作品一覧

  • 世界怪談名作集  序/目次
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    世界怪談名作集

    小説・文芸

    3.4
    1~18巻0円 (税込)
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  • ロビンソン漂流記

    ロビンソン漂流記

    小説・文芸

    3.7
    1巻693円 (税込)
    難船し、ひとり無人島に流れついた船乗りロビンソン・クルーソーは、絶望と不安に負けず、新しい生活をはじめる。木材をあつめて小屋を建て、鳥や獣を捕って食糧とし、忠僕フライデーを得て、困難を乗りきってゆく。社会から不意に切り離された人間が、孤独と闘いながら、神の摂理を信じ、堅実な努力をつづけてゆく姿を、リアリスティックに描いたデフォーの冒険小説である。
  • ロビンソン・クルーソー

    ロビンソン・クルーソー

    小説・文芸

    -
    1巻770円 (税込)
    父と対立し家出をくわだてたロビンソンは、海が好きだったので船乗りになることを選んだ。だが難破にあい、けっきょく28年間も無人島に暮らすことになる。衣食住すべてを、ほとんど何もない場所でまかなわなければならない。だが、ロビンソンの不撓不屈の自立精神は衰えることはなかった。サバイバルの古典!
  • ロビンソン・クルーソー(新潮文庫)

    ロビンソン・クルーソー(新潮文庫)

    小説・文芸

    4.2
    1巻935円 (税込)
    一六三二年、英国に生れた船乗りロビンソンは、難破して絶海の孤島に漂着した。ここから二十八年に及ぶ無人島生活が始まった――。不屈の精神で鳥や亀を獲り、野生の山羊を飼い慣らしてバターやチーズを作り、パンまでこしらえてしまう。ところが驚天動地の事態が……。めげない男ロビンソンを通して人間の真の強さを描き、世界中に勇気と感動を与えてきた、冒険文学の金字塔。待望の新訳。
  • ロビンソン・クルーソー

    ロビンソン・クルーソー

    小説・文芸

    4.0
    1巻946円 (税込)
    両親の反対をおしきって航海に出たロビンソン・クルーソーは,嵐にあい,たったひとり絶海の孤島に打ちあげられる.船から運び出した道具をたよりに,住まいを作り,食料を確保し,工夫をこらして,いくつもの困難を乗りこえていく日々.生きぬくためのたたかいは28年間におよんだ.冒険物語の古典を新訳でお届けします.【新訳】

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  • 完訳 ロビンソン・クルーソー

    完訳 ロビンソン・クルーソー

    小説・文芸

    4.4
    1巻1,047円 (税込)
    無人島に漂着したロビンソンは、持ち前の才覚と粘り強さを武器に島の生活を切り開いていく。原文の息遣いを伝える新訳とともに、文化史研究の第一人者が不朽の名作を世界史的経済から読み解く、大人のための翻訳・解説決定版。訳者解説「大西洋世界のロビンソン・クルーソー」
  • ロビンソン・クルーソー

    ロビンソン・クルーソー

    小説・文芸

    4.5
    1巻1,210円 (税込)
    嵐で船が難破し、無人島へ流れついたロビンソン。家も食べ物も道具もない中、たった一人、自分の知恵と工夫、不屈の勇気で、28年もの間を生き抜いていく……世界一有名なサバイバル物語! 大人気の、さくさく読める世界名作シリーズ第18弾。
  • ペスト

    ペスト

    ビジネス・実用

    3.7
    1巻1,320円 (税込)
    1665年、ロンドンが悪疫(ペスト)に襲われた。 逃れえない死の恐怖に翻弄された人々は、死臭たちこめる街で、神に祈りを捧げ、生きのびる術を模索した。 事実の圧倒的な迫力に作者自身が引きこまれつつ書き上げた本篇の凄まじさは、読む者を慄然とせしめ、最後の淡々とした喜びの描写が深い感動を呼ぶ。 極限状況下におかれた人間たちを描き、カミュの『ペスト』よりも現代的と評される傑作。
  • ペストの記憶

    ペストの記憶

    小説・文芸

    4.2
    1巻3,300円 (税込)
    ★パンデミック――見えない恐怖 ロンドンで約10万人の死者を出したペスト大流行の詳細を、当時の公的文書や個人の記録などを基に再現した小説。 伝染病の爆発的流行や都市型災害の勃発、その拡大と対策に関する貴重なドキュメントとして、今日も読み継がれている古典である。 現代日本の読者に読みやすいよう、平易な語り口で訳し、さらに原典にはない章分けを加えて、展開や構成をわかりやすくした。 当時のロンドンの詳細な地図や訳注も付して、資料も充実。 群像新人文学賞評論部門を受賞し、文芸批評でも活躍している英文学者による、画期的な新訳。

ユーザーレビュー

  • ロビンソン・クルーソー

    Posted by ブクログ

    子どもを原始人みたいに育てよって聞いたことがあって、漂流した無人島での生活を描いた、この本を読んだ。
    子どもに教える以前に、自分も知らないことだらけで引き込まれた。
    例えば…太陽や星、海の満ち引きと暦や時間との関係、家や農産物、家畜、道具、衣類を一から作って行く過程、動物や植物の生態、海や山の生活…
    危機に見舞われた時の判断も素晴らしかった。
    内面的な葛藤と不屈の力、仲間への信頼、リスクヘッジの取り方などなどたくさん生きる知恵と勇気が詰まっていた。
    ぜひ、子どもがもう少し大きくなって、楽しく児童書を読んでくれたら嬉しい。

    0
    2026年09月19日
  • ロビンソン・クルーソー(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    冒険のボリューム、得られた多くの教訓とともにとても読み応えのある冒険話だった。
    間違いなく過酷な運命に晒されているのに、くよくよ落ち込んでばかりいることなく、良いことだってたくさんあるという前向きな思考で前進する強さ、自分に必要なものだけで十分だからそれ以上は望まない事で得るのことのできる幸せの尊さ、仲間を大切にする思いやり、いつまでも生きる希望を失わない不屈の精神。見習うことばかりだったらそれが非常に心に刺さった。どれも今の僕に必要なことだから。

    また、無人島で逞しく生きるサバイバル術も読んでて非常に楽しかった。

    本を読み終え、窓の外の晴れ晴れした空を見て、なんだか自分まで大冒険してきた余韻に浸ってます。

    この本は300年前に初版が発売されたのに未だこうして心を揺さぶってきます。冒険に打って出たい方、おすすめですよ!

    0
    2026年02月23日
  • ロビンソン・クルーソー

    Posted by ブクログ

    ネタバレ

    300年語り継がれたのも納得の面白さ!一気に読んでしまった!
    無人島をたった一人で開拓していくのがわくわくする!大自然の中で家作ったりパン焼いたりしてるの、読んでて楽しかった!最終的に畑と牧場作っちゃうのすごすぎるw
    できないことも時間をかけて工夫していく主人公がかっこいい。いつも頭を使って、行動力の塊で、ポジティブだし、敬虔さもある。
    挿絵で主人公がだんだん屈強な男性になっていく過程伝わってきてめっちゃ良かったw

    0
    2025年05月19日
  • ペスト

    Posted by ブクログ

    小説なのか、事実なのか良く分からない。
    ペストが流行って右往左往している人たちを観察している人の話。
    どうやら数十年前に実際にあったことを聞き書きして、主人公の周りで起きたこととしているようだ。
    その辺は『ロビンソン・クルーソー』と同じ。

    0
    2024年12月20日
  • ロビンソン・クルーソー(新潮文庫)

    Posted by ブクログ

    ロビンソン・クルーソー › 初版発行
    1719年4月25日

    ロビンソン・クルーソー (光文社古典新訳文庫)
    by デフォー、唐戸 信嘉
     私は一六三二年にヨークで生まれた。家庭は裕福であったが、土地の者ではなく、父はブレーメン生まれのドイツ人で、英国にやってきた当初はハル(1) に居を構えていた。父は商いで財を成し、それから商売を辞めてヨークへとやって来た。そこで私の母と結婚した。母の実家はその土地では大変な金持ちで、ロビンソン家といった。そうした事情で、私はロビンソン・クロイツナーという名前になった(2)。けれども、クロイツナーといういかにもドイツ風の名前はいつしか英国式にクルーソーと呼ばれるようになり、私たち家族も自らそう名乗るようになった。以来、私はクルーソーで通っている。

    家に帰るという選択肢については、羞恥心がそれを許さなかった。近所の人々に笑われるだろうし、父や母、その他の人々に合わせる顔がなかった。人の心、とりわけ若者の心というのは、理性の導きに逆らい、馬鹿げた行動をとらせるものである。当時を振り返るとき私は常々そう思う。罪を犯すことは恥じないが、悔いることは恥じる。愚か者と呼ばれるようなことをしても恥ずかしくはないが、反省して引き返し、利口者と呼ばれることを恥ずかしく思う。そういうものらしい。

    そのままの暮らしを続けていれば、私にはどんな幸せも手に入ったはずである。私の父が熱心に、静かで控えめな生活を推奨したのも道理で、父がいう中間の身分の暮らしにこそ多くの幸せがあるのだった。けれども私は別のことに心を奪われていて、再び悲惨な境遇へと自ら飛びこんで行こうとしていた。やがて自責の念に苛まれることも知らず、過ちをくり返し、恥の上塗りを重ねようとしていたのである。そうした失敗の数々は、どれも私の愚かな放浪癖によるものであるが、私はその悪癖を捨てられなかったばかりか、むしろ好んでそれに身を任せた。自然や神は私に別の生き方をし、別の道を歩むように説いた。その声に忠実に耳を傾けていれば、私は間違いなく真っ当な人間になっていただろう。しかし、不幸にして私は正反対の道を歩んだのである。

    しかし、そうして落ちこんでいるとき、不意にこのように思った。私は最大の苦しみから救われることばかり考えて、これまで幾度となく救われてきたことを忘れている。私は次のように自問せざるをえなかった。「私は病気から救われたではないか? これまでで一番辛い、恐ろしい病から救われたではないか? 私はそのことをよく考えてもみない。私は自分の務めを果たしたであろうか? 神は私を救ったが、私は神を讃えていない。私は神によって病から救われたことを認めず、それに感謝してもいない。ならば、神からさらなる救いをどうして期待できようか?」

    しかし同時に、かつてアフリカのバーバリー地方に上陸した際、イギリス人奴隷がぶどうを食べて赤痢と高熱で死んだことを思い出した。食べ過ぎには注意が必要だったのである。そこで私は格好の利用法を思いついた。ぶどうを太陽の下で干して乾燥させ、レーズンにして保存するのである。こうすれば、ぶどうが実をつけない時期にも美味しく食べることができ、しかも衛生的なのだった。

    そうして八月に小屋が完成すると、私の生活はいよいよ充実した。八月三日、木に吊るしたぶどうが完全に乾き、素晴らしいレーズンになっているのを見て、さっそくぶどうの収穫をはじめた。このタイミングで収穫できたのは幸運だった。もう少し遅ければ雨にやられて冬の食料の大半を失うはめになるところだった。ぶどうは大きな房のものが二百以上もあった。ぶどうの収穫が終わり、その大半を洞窟に運び終えた頃、雨が降り出した。その日は八月の十四日であったが、その日以降はずっと雨模様となり、これが十月の中旬まで続いた。ときおり激しく降ることもあり、何日間も洞窟から出られないこともあった。

    雨に降られて外に出られない場合でも、やることはたくさんあった。気晴らしのつもりで、私は仕事をしている間中オウムに話しかけていた。言葉を覚えさせようと思ったのである。オウムはすぐに自分の名前を覚え、とうとう大声で「ポル」といった。これは私がこの島で耳にした、自分以外の口から発せられた最初の言葉であった。だがこれはもちろん仕事ではなく息抜きに過ぎない。私はこのとき別の大仕事に取り組んでいた。それは土器の製作で、土器は是非とも手に入れたい道具であった。このために長い間研究をしていたのだが、どのように作ればよいのか私にはわからなかった。ただ気温は非常に高くなるので、粘土を手に入れ、それらしいかたちに整えて天日に干しさえすれば、硬く頑丈な壺ができるはずであった。そんな壺があれば、乾燥したものを何でもそれに入れて、湿気らせることなく保存できるのだ。穀物やその挽き割り粉を作るに当たり、この道具はどうしても必要と思われた。そこで、できるだけ大きな容器をいくつか作ることにした。保存できればいいだけなので、甕のようなもので十分だった。

    そして、とうとうこんなことを思いついた。カヌー、つまりは丸木舟なら私でも作れるのではないか。丸木舟は巨木の幹をくりぬいて作るが、熱帯に住む人間は大した道具も人手もなしにこれをやってのける。それなら私一人でも作れそうだし、作業も簡単だと思った。カヌーを作るというアイデアに私はすっかり魅せられた。何といっても黒人やインディオにはない工作道具が私にはあるのだ。そう思うと嬉しくてたまらなかった。だが彼らと比べて、こちらにはとりわけ不利な点があることを完全に忘れていた。カヌーができたとしても、私にはそれを水際まで運ぶ人手がないのである。これは大きな不都合であった。私のこの条件と比べれば、彼らに道具がないことは何でもなかった。森で大きな木を見つけてさんざん苦労して切り倒し、道具を用いて外側を削り、内側を焼くなりくりぬくなりしてカヌーを作ったとしても、カヌーをそこから動かせず、海に浮かべることができないとすれば何の役にも立たない。

    ウミガメもたくさんいたが、ときどき一匹捕まえれば食料としては十分だった。木材もふんだんにあり、船をいくつも建造して船隊を作れるほどあった。ぶどうもワインやレーズンを作るのに困らないほどあった。船をたくさん建造していたとしたら、そのすべてをいっぱいにできるくらいあっただろう。

    けれども価値というものは、利用できる分にしか存在しない。私には食べるものが十分にあったし、必要なものがあれば作ることができた。それ以上のものは要らなかった。食べられる以上に獲物を得れば、犬や獣にくれてやる他はない。食べる以上の大麦を蒔いても、腐らせてしまうだけだ。現に、私が切り倒した木々は、地面に転がって朽ち果てており、もはや火にくべる以外に使いみちがなく、それも煮炊き以外に使う機会がなかった。

    こう考えると、神の慈悲が痛感され、苦難や不幸もいろいろあったが、こうして無事に暮らせていることに感謝せずにはいられなかった。世の中には不幸な目に遭うとすぐに「私は誰よりも苦しんでいる」と考える人々がいるが、彼らには是非このことをよく考えてもらいたい。もっとひどい目に遭っている人々もこの世にはいるのだということを。そして、神の思惑次第では、もっとひどい不幸が、いくらでも用意されているのだということを。

    それから私はこんなことも考えて心の慰めとし、そこに希望の光を見ていた。自分にふさわしい境遇――神の裁きにより私が当然陥るべき不幸――を想像し、それを現在の境遇と比べてみたのである。私はこれまでひどい生き方をしてきた。神について何も知らず、神を畏れることなく生きてきた。しかし私が幼かった頃、父と母は教育熱心だった。二人は私に神への畏怖を教え、私の義務が何であり、私という存在の本質と目的にふさわしい生き方とは何かを説いたものである。しかし何の因果か、私は若くして船乗りの生活に身を投じた。

    私は善とは無縁な人間となった。自分が何者であり、どう生きるべきか、一切考えなくなった。サレの海賊から逃れたり、海でポルトガル人の船長に助けられたり、ブラジルで農園が上手くいったり、イギリスからの荷を無事受け取ったりと、幾度も幸運に救われて来たが、一度たりとも「神よ、感謝します」と口にせず、心の中で呟くことさえなかった。絶体絶命の状況でも「神よ、ご慈悲を」と祈ったりせず、そもそもそんな文句を思いつきもしなかった。神の名についても同様で、口汚く罵倒したり冒瀆したりするときしか使ったことはなかった。

    つまり、この島での生活は不幸ではあったが、見方によっては幸運に恵まれた生活であったのだ。足りないものは何もなく、安楽な生活が約束されていた。私に対する神の慈悲と思いやりをよく理解すれば、それが日々の慰めとなった。こうして心を改めた後では、悲哀を感じることもなくなった。

    以後五年間、特別なことは何も起こらなかった。私は同じ場所で、同じ心持ちで、これまで通りの単調な生活を送った。大麦と稲の栽培とレーズン作りは毎年行い、絶えず一年分の食料を蓄えるように心がけた。

    私は島に戻りたくて仕方がなかった。われわれはまったく異なる環境へと連れ出されるまで、自分の境遇がどれほど幸福だったかに気づかない。失って初めて、自分が享受していたものの価値を知ることになるのだ。

    われわれの生活はかくも不安定なものである。最初の衝撃がいくらかおさまり、落ち着いていろいろ考える余裕も出てきた私は、これは全能にして恵み深い神の計らいなのだと考えた。このような状況を用意した神の意図は、むろん私には分からない。ただ、私を作ったのは神である。神は思うままに私を扱い、支配する権利を持つ。その神の力に逆らおうとしても無駄である。それに私は神の怒りを買った人間である。神には私を裁く権利もある。神が私にふさわしいと判断した罰を、私は逃れることはできない。私は神に対して罪を犯したのだから、神の怒りを耐え忍ぶことこそ私の務めであるのだ。

     島に幽閉されて二十七年目を迎えた。もっとも、フライデーと暮らしたそのうちの三年間は、幽閉と呼ぶにはふさわしくないだろう。私の暮らしはかつてとはうって変わり、別種のものになっていたからである。上陸記念日には、最初のときと同様、神の慈悲に感謝を捧げて過ごした。最初の記念日にも神に感謝すべきことがあったが、今はあのとき以上に神に感謝すべきことがあった。神の恩恵を受けているというさらなる証拠があり、まもなくこの島から救い出されるという大きな希望が湧いていたからである。救出の日は近い、それも一年も先のことではない、という打ち消しがたい予感が私にはあった。しかし、こうした予感を覚えつつも、私は普段通りに暮らした。土を掘り、種を蒔き、囲いを作った。ぶどうを収穫し、乾燥させ、必要なことはすべて欠かさずに行った。

    しかも噂では、その地に故意か偶然か入りこんだイギリス人は、例外なくひどい目に遭っている。血も涙もない司祭に引き裂かれ、異端審問にかけられるくらいなら、野蛮人に生きたまま食われるほうがましである。しかしその一方で――私はつけ加えた――もし彼らが全員ここに来れば、人手があるから、全員が乗りこむことのできる大きな帆船だって建造できる。そしてそれに乗って南方のブラジルや、北方の島々あるいはスペイン領の海岸まで行くこともできよう。だが私が彼らに武器を預けた際、彼らが手のひらを返して私を捕らえ、同国人に引き渡したとしたら、恩を仇で返されたことになる。その場合、私は今以上の不幸に陥ることになろう。

     これを聞くと、スペイン人は腹蔵なく率直に答えた。彼らの今の生活は非常に惨めなものである。彼らはすっかり参っている。だから救いの手を差しのべてくれる人を裏切るなど、思いもよらないことであろう。もしあなたが望むなら、自分が野蛮人の老人と向こうへ行き、他の白人たちと話し合ってもよい。

     イギリス文学史でダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』は最初の小説のひとつに位置づけられる。出版は一七一九年。デフォーの親の世代を代表する文人というと、『失楽園』を書いたジョン・ミルトンとかジョン・ドライデンのような詩人、あるいは『当世風の男』で名を馳せたジョージ・エサリッジのような劇作家が有名だが、十八世紀に入る頃には重々しくも華麗でもない、もっと明快でわかりやすい散文の物語、小説という新しいジャンルが人気を博すようになる。そして『ロビンソン・クルーソー』こそ、その先駆けをなす作品だといわれている。

     ダニエル・デフォーは一六六〇年、ジェームズ・フォーとその妻アリスの息子としてロンドンに生まれた。姓はもともと「フォー」であって「デフォー」ではない。彼はのちに「デフォー」と名乗るようになったが、その理由ははっきりしない。祖先がフランス系プロテスタントだったという説もあるので、よりフランス的な響きの「デフォー」を好んだのかもしれない。

     この時代、本格的な産業革命や資本主義の到来はまだ先のことだが、イギリス社会は空前の成長期にあった。デフォーはのちに『イギリス通商案――植民地拡充の政策』(泉谷治訳、法政大学出版局、二〇一〇年)で「女王の保護の下で通商が拡大し、取引が前進し、イギリス国家が帝国へと膨張し、イギリスの貿易商が世界のあらゆる地方で全面的に商交渉を展開した」と書いている。ヨーロッパの国々を牽引する超大国イギリスが、まさにこの時代に誕生しようとしていた。

    デフォーは後年ジャーナリストとして活躍し、さらに小説家にもなるわけだが、きびきびとして明快な彼の文体に恩師の影響は色濃く現れている。『ロビンソン・クルーソー』でも随所に出てくるように、彼は細かい数字を挙げるのを好んだが、そうしたところにも具体的な叙述を奨励したモートンの影響が見てとれる。十七世紀は「科学革命」の時代であり、アイザック・ニュートンが『プリンキピア』を出版し、万有引力を含む自然界の運動法則を明らかにしたのは一六八七年、デフォーが二十七歳のときのことである。デフォーはモートンの教育を通じ、科学的な思想をいち早く吸収したのだった。

    家庭生活も仕事もそれなりに順調だったが、カルヴァン派に属する非国教徒であった彼は、社会のなかで自分がマイノリティであることを強く意識しており、政治の情勢にはきわめて敏感だった。だから、カトリック信者であるジェームズ二世が即位すると、非国教徒の立場が危うくなると考え、モンマス公が起こした反乱にただちに加わっている。これを契機として、デフォーは政治の問題に首をつっこむ活動家となり、臆することなく自説を発信してゆく論客となる。

     デフォーの人生の転機となったのは、「どうすれば速やかに非国教徒を撲滅できるか」(一七〇二年)と題された匿名による政治パンフレットの執筆である。非国教徒であるデフォーがこのような文章をものしたのは奇妙に見えるが、彼はあえて非国教徒を差別する側の視点に立つことで、差別者たちの非人道さを伝えようとしたのだった。だがこの諧謔は世間に理解されなかった。

     ではあらためて、出版後三百年を経てなお読者を惹きつけてやまない『ロビンソン・クルーソー』の魅力とは何なのだろうか。冒険活劇としての魅力はあらためて解説する必要はないと思う。子供の頃に翻案で読んだ読者は、ロビンソンがフライデーとともに「野蛮人」や海賊たちと戦う場面を強く記憶しているのではないだろうか。少なくとも私はそうだった。だが大人になってオリジナルの物語を読んだときには、まったく別の部分に魅力を感じた。それは、ロビンソンという主人公の性格と、彼のサバイバルへ向けた取り組みの部分である。

     古い共同体が終わりを迎えつつある時代に生まれた主人公が、流浪の民であることはむしろ当然であろうか。彼は放浪について、「人類共通の普遍的な病――人間の不幸の大半がそこに起因する病、つまりは神や自然が定めた場所にじっとしていられないという病」だといい、それを私たちはみな患っているのだといっている。もちろん、仕事を求めて移動を余儀なくされるという場合も多い。

    しかしロビンソンのように、今いる場所に退屈し、あるいは違和感を覚えて、移動をくり返すということもある。ロビンソンの旅は、イギリスからアフリカ、ブラジル、南米の無人島、そしてヨーロッパへの帰還を経て、再び西インド再訪というようにとどまるところがない。彼がなぜ一カ所に満足できないのか、その理由ははっきり書かれていないが、想像はできる。彼が求めているのは、彼の孤独を癒やしてくれるような、古い共同体が担っていたような居心地のよい社会、つまりは故郷のような場所ではないか。

    ロビンソンに故郷はない。彼の父親がドイツ人で、イギリスでは異邦人であった事実も暗示的だが、何より古い共同体そのものがこの世から姿を消しつつあったのである。ロビンソンが、放浪に憑かれているのは自分だけでなく、「人類共通の普遍的な病」だといっているのは至言というべきだろう。共同体という故郷の喪失、孤独な人間の誕生、孤独を癒やしてくれる故郷の探求は、連鎖的に発生した近代の病なのである。そしてこうした一連の問題は今も未解決で、私たち読者が抱える問題でもある。良…

     無人島でのサバイバルも、同じように興味深い。住まいの建設、狩りや採集、農業による食料の確保、衣服や道具の製作は、フィクションということを忘れてしまうほどに、実に具体的に、生き生きと描かれている。土を掘り返すシャベルや鍬や鋤、食料を調理し保存するための容器、ものを運ぶためのカゴ、夜を過ごすためのロウソクが、生きるためにどれほど必要であるか、それらなしには生活がどれほど大変であるか、ロビンソンは痛感する。彼はたまたまもの作りに長じていたわけではない。彼は、読者と変わらぬ…

     そんな訳で私は仕事に取りかかったが、まず述べておきたいことがある。それは、理性こそが数学の本質であり根底であるので、理性の導くままに測り計算し、合理的な判断を積み重ねていくことで、もの作りに熟練することは誰にでも可能だということである。何より私はそうした道具を使うのはこのときが初めてだった。けれどもとりあえずやってみて…

    最後に、日本でどのように『ロビンソン・クルーソー』が紹介され、読まれてきたか、その歴史についても簡単にふり返っておこう。この小説の日本語訳は数多く、主なものをざっと数えただけでも四十は下らない。児童向けの翻案なども含めるならば、この数は優に百を上回る。

    それによく読めば、彼は祖国のために生きるのでもないし、さらにいえば家族のために生きるのでもない。ロビンソンが生きる理由は自己完結している。そこがこの作品の一筋縄ではいかないところであり、奥深さなのだ。

    一七〇三年 四三歳 前述パンフレットの内容の過激さから、政治犯として逮捕され、さらし台に上げられる。その後、ニューゲート監獄に収監されるが、当時下院議長だった政治家ロバート・ハーリーの根回しにより一一月、釈放。以後、ハーリーの密偵として働く。

    本文中に、北西アフリカ一帯について「文字通りの野蛮地帯」、その先住民について「野蛮人」「蛮人のように私を食い殺そうとする」、また、カリブ海沿岸の先住民について「野蛮人」「カリブ海沿岸の連中は人食いだという話を私は聞いていた」「世界でもっとも無知蒙昧とおぼしき異教徒の社会」などの表現が出てきます。今日の観点からすると、特定の地域や先住民に対する差別的な表現ですが、これらは本作が書かれた一七一九年当時のイギリス社会における、植民地やまだ見ぬ異境についての見方に基づくものです。編集部では、物語の根幹に関わる設定と、当時の時代背景、および三百年前に上梓された本作の、歴史的価値および文学的価値を考慮した上で、原文に忠実に翻訳することを心がけました。差別の助長を意図するものではないということをご理解ください。

    0
    2024年10月23日

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