志村真幸の作品一覧
「志村真幸」の「熊楠と幽霊(インターナショナル新書)」「在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
「志村真幸」の「熊楠と幽霊(インターナショナル新書)」「在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
Posted by ブクログ
読みやすかったです。水木しげる著の猫楠に次いで、南方熊楠に関する本を読みましたが、熊楠を何をしてきて、何を成し遂げなかったのか、分かった気がします。
彼のスタンスは、知を追求する人間として、幸せだと思います。
コンプリートすることや、立場、権力を持つこと、そこに知的な幸福はないでしょう。
その時、その場で、学び続ける事を選択し続けたのだと思います。おそらく、死の間際まで。
1人の人間として、職業としてではなく、権威やお金のためではなく、彼のように学び続ける先に、知的な幸福があることと思います。それは、誰にでもできるし、アマチュアでもできるんだと思います。
Posted by ブクログ
博物学、民俗学の分野で多大な功績を残した地の巨人である南方熊楠。
本書にもあるように、私自身も含めた多くの人は、水木しげるの「猫楠」での超人的なイメージが強いかもしれません。
「猫楠」でも息子の熊弥との関係は描かれていましたが、本書では父親である弥兵衛との関係や、熊楠が自身を親不孝者と思っていた節があること、自身の精神状態への不安など、等身大の人間としての熊楠が描かれています。
熊楠が生きた時代はアメリカやイギリスで神秘主義が流行っていましたが、熊楠は「オッカルチズムごとき腐ったもの」としてオカルトや、宗教を装ったインチキを激しく糾弾していました。その一方で、英国不思議研究会(心霊現象研究協会
Posted by ブクログ
とかくブッ飛んだエピソードで語られがちな天才・南方熊楠の人物像とその人生に関する伝記。表題にある「未完」の文字は、本書の終盤でちょろっと触れられるが――多少「取ってつけた感」が否めない――、この不世出の博物学者による学問的企図のなかには志半ばで終わったままになっているものも少なくないことに由来する(作者としては、熊楠は敢えてそうしたのだ、という見解)。とはいえ、本作で詳しく論じられている熊楠の業績や個性は、やはり傑出したものであり、決して「中途半端」なものではないことを一言添えておきたい。
個人的に面白かったのは以下の2点。一つ目は、南方熊楠自身は、なんと実はシティ・ボーイであり、尚且つ「南方
Posted by ブクログ
著者がこれまでずっと専門としてきた熊楠を話題の中心としつつ、大学の枠にとらわれず独学で学び続け、発表し続け、生きて死んでいった人々を辿り直し、これからの在野と官学の関係性を問う本。
熊楠も、ダーウィンも、三田村鳶魚も、恵まれた家庭環境に育った人であった。本人たちとしては苦汁をなめた日々を過ごしたことであろうし、本人たちがこの世を去った今我々が彼らの書いたものを読んでもそこは共感できるのだが、日々働きながら、その隙間時間を学問にあてる、という生き方をしている身としては、全面的に共感できるとまでは言い難い。(でも、そうはいっても、この人たちは、私とは違って、お金持ちのボンボンだからなあ。おぼっ
Posted by ブクログ
研究と言えば大学教授やシンクタンクの研究者が行うもの。このような固定観念を持っている人は多いだろう。在野で個人的に研究を行ういわゆる「アマチュア」がいないわけではないが、「プロ」としての研究者とは隔絶された世界にいると言っても過言ではない。しかし戦前にはその垣根を超えて研究に励んだ人がいる。本書はそういった在野の研究者に焦点を当てたものである。
本書では著者の研究テーマである南方熊楠を半ば狂言回しのような役割に据えることでダーウィン・マルクス・牧野富太郎・柳田国男らについて論じている。いずれも大学で王道的な教育を経て研究の道に入ったとは言い難く、彼らがどのようにして研究を進めていたか、