志村真幸のレビュー一覧
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読みやすかったです。水木しげる著の猫楠に次いで、南方熊楠に関する本を読みましたが、熊楠を何をしてきて、何を成し遂げなかったのか、分かった気がします。
彼のスタンスは、知を追求する人間として、幸せだと思います。
コンプリートすることや、立場、権力を持つこと、そこに知的な幸福はないでしょう。
その時、その場で、学び続ける事を選択し続けたのだと思います。おそらく、死の間際まで。
1人の人間として、職業としてではなく、権威やお金のためではなく、彼のように学び続ける先に、知的な幸福があることと思います。それは、誰にでもできるし、アマチュアでもできるんだと思います。
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博物学、民俗学の分野で多大な功績を残した地の巨人である南方熊楠。
本書にもあるように、私自身も含めた多くの人は、水木しげるの「猫楠」での超人的なイメージが強いかもしれません。
「猫楠」でも息子の熊弥との関係は描かれていましたが、本書では父親である弥兵衛との関係や、熊楠が自身を親不孝者と思っていた節があること、自身の精神状態への不安など、等身大の人間としての熊楠が描かれています。
熊楠が生きた時代はアメリカやイギリスで神秘主義が流行っていましたが、熊楠は「オッカルチズムごとき腐ったもの」としてオカルトや、宗教を装ったインチキを激しく糾弾していました。その一方で、英国不思議研究会(心霊現象研究協会 -
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とかくブッ飛んだエピソードで語られがちな天才・南方熊楠の人物像とその人生に関する伝記。表題にある「未完」の文字は、本書の終盤でちょろっと触れられるが――多少「取ってつけた感」が否めない――、この不世出の博物学者による学問的企図のなかには志半ばで終わったままになっているものも少なくないことに由来する(作者としては、熊楠は敢えてそうしたのだ、という見解)。とはいえ、本作で詳しく論じられている熊楠の業績や個性は、やはり傑出したものであり、決して「中途半端」なものではないことを一言添えておきたい。
個人的に面白かったのは以下の2点。一つ目は、南方熊楠自身は、なんと実はシティ・ボーイであり、尚且つ「南方 -
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著者がこれまでずっと専門としてきた熊楠を話題の中心としつつ、大学の枠にとらわれず独学で学び続け、発表し続け、生きて死んでいった人々を辿り直し、これからの在野と官学の関係性を問う本。
熊楠も、ダーウィンも、三田村鳶魚も、恵まれた家庭環境に育った人であった。本人たちとしては苦汁をなめた日々を過ごしたことであろうし、本人たちがこの世を去った今我々が彼らの書いたものを読んでもそこは共感できるのだが、日々働きながら、その隙間時間を学問にあてる、という生き方をしている身としては、全面的に共感できるとまでは言い難い。(でも、そうはいっても、この人たちは、私とは違って、お金持ちのボンボンだからなあ。おぼっ -
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研究と言えば大学教授やシンクタンクの研究者が行うもの。このような固定観念を持っている人は多いだろう。在野で個人的に研究を行ういわゆる「アマチュア」がいないわけではないが、「プロ」としての研究者とは隔絶された世界にいると言っても過言ではない。しかし戦前にはその垣根を超えて研究に励んだ人がいる。本書はそういった在野の研究者に焦点を当てたものである。
本書では著者の研究テーマである南方熊楠を半ば狂言回しのような役割に据えることでダーウィン・マルクス・牧野富太郎・柳田国男らについて論じている。いずれも大学で王道的な教育を経て研究の道に入ったとは言い難く、彼らがどのようにして研究を進めていたか、 -
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思考はぐるぐるし、ここに辿り着く。
学費の無償化は子育て世帯の負担を軽くするが、進学率が上がっても、子育てそのものの負担が軽減されなければ、高学歴女子は気軽に出産できない。そもそも、出産が期待される高学歴女子はダブルインカムで金はあるのだ。論点がズレている部分がある。結婚できない層がターゲットだとしても、日本の高校進学率は現状99%、これ以上、進学率を上げるという話にはならない。結婚できない理由に直接アプローチする方が良いのでは。
で、在野の学問だ。大学名で人生が左右される状況を変えなければならない。これは例えば、就職テストや効果的な面接を行ってそこで学力を測れば良いだけでは、という話。ま -
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著者のこれまでの著作では、熊楠の行っていた学問に対し著者が抱く不満や、自らが日々取り組んでいる学問との差異が強調されることが多かった。このたびの著書でもその差異が扱われているが、しかしそれが熊楠への不満としてではなく、なぜそのような姿勢で熊楠が学問し続けたのかを解き明かす方向へと向いている。同時代の牧野富太郎や柳田國男と熊楠のすれ違いにも触れつつ、熊楠が扱った数々のテーマはどれも方法論が当時未確立であったことや、網羅・コンプリートしづらいものであったこと、それゆえ、いつまでも結論が出せず、答えが出ない研究であったこと、熊楠にとって学問とは結論を出すためのものではなく、書き(描き)写すことによっ
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ネタバレ博物学・民俗学の巨人、南方熊楠は多方面で研究・文筆活動を展開しましたが、本書ではその中でも幽霊や妖怪、超常現象(超能力)といった特異なテーマにおける活動を紹介しつつ、その背景が分析されています。
熊楠は非常に筆まめな人物だったようで、学術誌への投稿もさることながら、膨大な日記も残しており、その数々が本書に引用・紹介されています。
その中には熊楠自身の幽体離脱体験だったり、死者(幽霊)との遭遇談、予知やテレパシーの経験談などなど「ほんまかいな??」と思わせる日常が紹介される一方で、日本や海外に残されている不思議な出来事に関する逸話や民俗伝承など「さすが熊楠」と思わせる浩瀚な知識も紹介され -
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世に言う知の巨人南方熊楠が、自身幽体離脱を経験したうえで、幽霊やら妖怪やら、心霊現象をどの様に考えていたのか、という内容に非常に興味を惹かれて読んでみた。
結論としては、興味深い論考は少なく少々肩透かしをくらった感じ。
読んでる途中、また読み終えて感じるのは、“?、で、熊楠の分析、見解は?”という物足りなさ。それは色々不思議な現象に対する彼なりの解釈が示されていないからであり、著者が熊楠を評して「熊楠の文章の特徴として、類例を並べるばかりで、考察や分析をしない点が指摘出来ます」という事だからだろう。
唯一明確に評価したと思われたのは、アメリカで始まりイギリスでも大流行した心霊現主義に対して「 -
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19世紀末のアメリカとイギリスに遊学し、当時台頭していたスピリチュアリズムに触れ、日本に戻ってからも東西に共通点のある怪談や伝説を集め続けた南方熊楠。時に「オッカルチズムの如き腐ったもの」と激しく神秘主義を罵りながら、自身に起きた心霊体験を自慢げに披瀝することもあった熊楠は、死後の魂や霊界をどのように捉えていたのか。手紙や日記など豊富な資料から探っていく。
熊楠が遊学した時代のロンドンは交霊会が流行し、著名な科学者たちが「心霊現象研究会」を発足させるほどであった。まだ心理学とスピリチュアリズムが一緒くたにされていた時代。無意識や阿頼耶識にまで熊楠の興味が向いたのは、地中に菌糸を張り巡らす粘