作品一覧

  • 哲学の始め方

    哲学の始め方

    ビジネス・実用

    5.0
    1巻1,408円 (税込)
    何を疑い、何を信じるべきか――脳に汗かく哲学体験! もしすべてが夢だったら? 目の前の相手に「心」はあるのだろうか? 果たして、私たちは何事かを語りえるのか……? 理学部に通う大学生の「ぼく」と、平穏な日常を徹底的に掘り崩す「懐疑論」との戦いがいま始まる。専門用語ゼロ、素手で触れる哲学の本質!
  • 全てと無 ――世界の存在をめぐる哲学

    全てと無 ――世界の存在をめぐる哲学

    ビジネス・実用

    -
    1巻1,496円 (税込)
    あらゆる対象を丸ごと含む全体としての「世界」なるものは存在しない。存在するのは「意味の場」に現れる何者かだけである――新しい実在論を展開するマルクス・ガブリエルと、これを真っ向から退けるグレアム・プリースト。「世界は存在しない」とはどういうことか。当代一の哲学者が、「全て(everything)」と「無(nothing)」をめぐって交わした論考と討議を収めたスリリングなドキュメント。大陸哲学と分析哲学の垣根を越え、現代思想の新地平を切り拓く、最高レベルの知の格闘を目撃せよ。
  • 人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門

    人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門

    ビジネス・実用

    4.2
    1巻990円 (税込)
    人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。
  • 難しい本を読むためには

    難しい本を読むためには

    ビジネス・実用

    3.8
    1巻990円 (税込)
    やみくもにページをめくっても、理解は深まらないから、まずは正攻法の読み方を身につけよう! キーセンテンスの見つけ方から実践的な読書会まで、 これまでとは違った読書の仕方を教えます。
  • 日本哲学の最前線

    日本哲学の最前線

    ビジネス・実用

    4.2
    1巻990円 (税込)
    國分功一郎、青山拓央、千葉雅也、伊藤亜紗、古田徹也、苫野一徳…… 哲学の最前線の旗手たちが「いま考えていること」がこれ一冊でわかる! 私たちを縛りつける不自由と向き合う、本当の自由のための哲学。  * * * [本書の内容] 第一章 「する」と「される」の外部へ――國分功一郎『中動態の世界』 第二章 二人称のコミュニケーションと無自由の極北――青山拓央『時間と自由意志』 第三章 非意味的切断の実践哲学――千葉雅也『勉強の哲学』 第四章 身体のローカル・ルールと生成的コミュニケーション――伊藤亜紗『手の倫理』 第五章 常套句の思考停止に抗うこと――古田徹也『言葉の魂の哲学』 第六章 エゴイズムの乗り越えと愛する意志――苫野一徳『愛』
  • 哲学トレーニングブック

    哲学トレーニングブック

    ビジネス・実用

    4.0
    1巻2,288円 (税込)
    画期的「哲学読解」40講。「血で書いたような文章を好む」と語る気鋭の哲学研究者による、実践的読書ノート。文章の読み方・まとめ方を「こうするのか!」と体得できる。

ユーザーレビュー

  • 哲学の始め方

    Posted by ブクログ

    本書のような「血の通った哲学書」は珍しい。

    「哲学を、お勉強すること」と、「哲学をすること」は、まったく違う。
    本書は、「哲学をすること」のおもしろさ、恐ろしさ、そして尊さを、読者に感じさせる良書である。
    まさに、題名どおり「哲学の始め方」の本である。

    本書は、著者が懐疑論におちいって、実生活がままならなくなった学生時代を振り返りながら、同じ困難を抱えているかもしれない若者たちに向けて書いてある。

    望むと望まざるとに関わらず、懐疑論の哲学者になってしまった若者の「相談する相手もいない、哲学的な悩み」に、先輩哲学者としてのアドバイスを送っているのである。

    これには、胸を打たれる。
    これこそが、まさに本当の哲学入門書なのかもしれない。

    わたしは、大量の傍線を引きながら読み、白紙ページのすべてに、著者の主張から派生した着想や、著者の論への反論を書き込んだ。

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    懐疑論に、心からどっぷりはまってしまって苦悩した著者の「哲学的な才能」に、わたしは嫉妬してしまうところもあった。

    しかし、自己をよく見つめると、たぶん、わたしは、「日常の実感主義」の哲学をしているのだと思った。
    「あれも、これも疑える」という方向に思索が進むタイプではなく、「わたしの実存の日常的な実感に即して、世界を分析してみよう」という方向に思索が進むタイプなのだと思った。

    とはいえ、著者の懐疑主義の哲学の誠実さと、それによる苦悩には、敬服するほかない。

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    山口尚の著作を読むのは、2冊目であるが、この哲学者は、本当に、読者に伝わるように、丁寧にわかりやすく書く人である。

    「本節の残りの箇所では〜」
    「おさえておくべきは〜」
    「ポイントを予告すると〜」
    「ーー急いで注意するがーー」

    このような、記述を多用することで、読者が迷子にならないようにアテンドしている。

    意味のまとまりには、≪≫をつけて、読みやすくしている。

    これほど、読者に伝わるように丁寧に書く人も、なかなかいないのではないか。
    この文体は、参考にしてみても良いかもしれない。

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    本書で取り上げられている6つの懐疑論は、哲学に触れている者にとっては、目新しさがある議題ではない。
    むしろ、超定番の議題である。

    その、おなじみの議題に対し、著者は、自身の思索のはじまりから、結論まで、その道行きをきちんと段階を示しながら書いている。

    哲学者の思索のアプローチを知り、そこから学ぶことができるのだ。

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    そして、本書の中核となる「超越論的会話主義」は、著者自身が自負するとおり、なかなかに、おもしろいものである。

    わたしは、ウィトゲンシュタインの言語ゲームの概念を下敷きにすんなり理解し、多くの主張を受け入れることができた。


    しかし、反論したい点も多々ある。

    「他者との会話としての言葉」が、意味の崩壊を防いで、理性を保たせてくれる。
    だから「他者との会話としての言葉」を保つことが、懐疑論の狂気に堕ちないために、肝要なのだ。
    全体を通底して語られてきたテーマが、結末において、このようにまとめられている。

    これは充分にわかるし、共感もできる。


    しかし、いっぽうで、このようなまとめは、頭脳明晰で言語偏重な、著者のような秀才に特有のものではないかと思う。

    言語レベルの「意識できる意識」の部分ばかりにフォーカスして、それこそが自分の実存であると思い込んでいるのではないだろうか。
    「意識できる意識」の言語を駆使することによって、世界の謎が解けると思い込んでいるのだ。
    それでいつも、生活実感ではない方向に言語が滑っていって、懐疑論におちいって、苦しんでいるのだ。

    自己の心の動きを、きちんと見つめてみれば、思索中に、アイディアが言葉として生まれてくる瞬間に、なんの論理性も因果性もないことは、明白である。
    理屈もないままに、突然、無意識から浮かんできて、「意識できる意識」のレベルでは、言葉という形を取っているだけである。

    この無意識の側のほうを、自己の本体だと考えればよいのである。
    自己の心をよく見つめてみれば、実際にそうなのだから。

    たぶん、この指摘は、著者もわかっていることなのだろう。
    本書で引用されている、中島敦『文字禍』において、「人間は言語によって、強さと健やかさを喪失した」とされている。
    これこそ、まさに、著者が懐疑論の悪夢におちいった理由なのではないのか。

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    わたしの哲学的な興味の本丸は、自由意志である。
    これについて考えているうちに、自分の心を見つめる癖がついた。

    そうすると、言語化可能なものなど、わずかな表層に過ぎないということが、わかってきた。

    わたしは、本書を本屋で手に取って、パラパラとページをめくり、それぞれ数行読んで、「わぁ、おもしろそう」と思った。
    その時に、本書に、あるイメージを抱いていた。

    家に帰って、読んでいる途中、そのイメージとは、離れた内容なのだと気づいた。
    離れているが、それはそれで「おもしろいなぁ」と、本屋とは違うイメージを形成しながら読み進めた。

    そして、「おもしろかったなぁ」と、読み終わってしまったことの寂しさを少し抱えながら、本を閉じて表紙をボンヤリながめると、本屋で手に取った時とは、まったく違う、本書に対する「何か」が心にあらわれていることに気づいた。

    その「何か」には、名詞がない。
    そのことに、驚かされる。

    ここまで、仮に用いた、イメージという名詞では陳腐すぎる。
    むりやり言葉にすれば、「匂い」とかになるのだろうが、まったく的を射ていない。
    形がないことが、似ているだけだからだ。

    わたしの心にあらわれるのは、本に言葉で書いてあることや、それへの感想だけではない。
    表紙の色や、紙の触り心地などまで加えた「何か」が、あらわれるのだ。

    言語化できることなんて、わずかな表層に過ぎない。
    その言語の力だけで、探究をすると、そこには理屈しかない。
    理屈は屁理屈を生むことができ、なんでもかんでも、懐疑することができてしまう。
    懐疑論とは、要するに、ただ、これだけのことなのではないか。

    言語化不可能なもの、それこそが、唯一無二の自己であり、それこそが、人間の本懐ではなかろうか。

    ----

    まとめると以下である。

    著者は、独語が懐疑論へ堕ちるトリガーだとし、会話がセーフティーネットだとしている。
    どちらにせよ、言葉に着目し、重心を置いている。

    それに対し、わたしは、言語化できない部分こそが、実存であり、人間の本懐なのではないかと言いたい。

    そのうえで、懐疑論を思索するのならば、それは、楽しいものであるはずだ。

    ----

    大学の先生が書いたものに、ど素人がツッコミを入れることができるのが、哲学の楽しくて、おもしろいところである。
    科学、数学、社会学、政治学、歴史学、民俗学…などでは、到底できないことなのだ。

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    2026年10月01日
  • 哲学の始め方

    Posted by ブクログ

    人間の思考は、会話を前提にしている。自分なりに咀嚼すると、鏡のようなもの。
    鏡に自分が映っていることで、自分の姿・存在を確認できる。鏡に何も映っていないなら、自分は幽霊かなにかになってしまう。
    鏡は映るのは自分だけど、会話は他人とでないと成立しないのが、厄介で面白いところ。
    会話が成立することで、実在や心などを相互承認して、懐疑論から脱出できる。会話が成立しないなら、つまり自分と相手のどちらか一方でも誠実に返答しないなら、相互承認が成り立たない。実在を疑い、懐疑論から抜け出せない。
    懐疑論にハマること自体は健全だけど、相手にまともに取り合ってほしいなら、まずは自分がまともに回答することから。
    とすると、「聞く技術 聞いてもらう技術」とつながるところがあるかも。
    自分用の宿題が2つ。
    ①陰謀論にハマった人達は、お互いには誠実な会話が成立していて、正気を確認し合っているが、外から見れば狂っている。エコーチェンバーから脱出するには、誠実な会話以外にも必要なものがあるらしい。
    ②AIと会話できるなら、AIとも心や自由などを相互承認できる、といえるのか?

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    2026年09月11日
  • 日本哲学の最前線

    Posted by ブクログ

    こちらもひょんなことから流れ着いた一冊。自分の人生において、なにより今後の学びにおいて、示唆に富む本だった。著者の山口氏の書き口がかなり好みで、というのも、氏の個人的な体験や哲学的論考の枠を超えた趣味嗜好が見え隠れてしている文章が良かった。(集団で口々に発せられる「頑張ろう!」は無意味で好きではないとかね)
    にしても彼、「軌を一にする」って表現好きだねえ。昔読んだBL小説家で「吐息する」という言い回しをやけに多用する人がいたけれど、それを思い出したよ。

    様々な手段・角度から自由意志の存在を否定し、そうやって人間の逃れ得ない不自由さを認識した上で、だからこそ「自由」を目指す。自由意志否定論の(一見当然なのだが)強く根底に脈打つ理念。自分も、その志向性を過たずに持ち続けてゆきたい。

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    2025年11月26日
  • 人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門

    Posted by ブクログ

    哲学書。
    身近なテーマである「罰」だけに、難解ではあるが、丁寧な説明と、
    多くの事例から、何とかついていける。

    あらすじを書けるほどの理解はないので、キーワードを書いておきたい。

    刑罰の意味 抑止、応報、追放、祝祭、見せもの、供犠、訓練

    ここで「応報」に着目し、
    行為、責任、主体という概念が浮かび、
    リベットの実験 自発的行為は意志の前に脳で無意識に起動する、
    つまり人間に自由な選択はないのではないか、そうなれば責任は生ぜず、
    行為の責任に対する応報は問えないのではないか、、、
    深い。
    この議論が続く。終わりはない。

    この本で取り上げなかったのが「赦し」
    これも深いテーマだ。

    応えは出なかったが、脳に心地よい汗をかくことができた。

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    2024年06月14日
  • 人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門

    Posted by ブクログ

    人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門。山口 尚先生の著書。人が人を罰するということはどういうこと?人が人を罰する資格は本当にあるの?仕事として人を罰するということをしている人はいるけれどそれは本当に正しいこと?人間は間違うもの。間違うことがない人間なんて人間ではない。同じ間違うものであるはずなのに人が人を罰するということは矛盾するのかな。仕事として人を罰するということをして人が間違えたら他の人よりも厳しく処罰されないとおかしいのかな。考えさせられる一冊。

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    2024年05月03日

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