【感想・ネタバレ】人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門のレビュー

あらすじ

人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。

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Posted by ブクログ

哲学書。
身近なテーマである「罰」だけに、難解ではあるが、丁寧な説明と、
多くの事例から、何とかついていける。

あらすじを書けるほどの理解はないので、キーワードを書いておきたい。

刑罰の意味 抑止、応報、追放、祝祭、見せもの、供犠、訓練

ここで「応報」に着目し、
行為、責任、主体という概念が浮かび、
リベットの実験 自発的行為は意志の前に脳で無意識に起動する、
つまり人間に自由な選択はないのではないか、そうなれば責任は生ぜず、
行為の責任に対する応報は問えないのではないか、、、
深い。
この議論が続く。終わりはない。

この本で取り上げなかったのが「赦し」
これも深いテーマだ。

応えは出なかったが、脳に心地よい汗をかくことができた。

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2024年06月14日

Posted by ブクログ

人が人を罰するということ ――自由と責任の哲学入門。山口 尚先生の著書。人が人を罰するということはどういうこと?人が人を罰する資格は本当にあるの?仕事として人を罰するということをしている人はいるけれどそれは本当に正しいこと?人間は間違うもの。間違うことがない人間なんて人間ではない。同じ間違うものであるはずなのに人が人を罰するということは矛盾するのかな。仕事として人を罰するということをして人が間違えたら他の人よりも厳しく処罰されないとおかしいのかな。考えさせられる一冊。

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2024年05月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読むきっかけとなったのは2つ。凪良ゆうの『流浪の月』を読んで、人が人を罰することは本当にできるのか?という疑問。2つ目はSNS上における“私刑”の過剰化から1の疑問が、さらに言えば事件に関係のない第三者が罰することに疑問を覚えたから。

罰することは生のフレームワークに組み込まれていて、それを否定することは抜本的にできないという結論。
特に『道徳的要求/道徳的期待が裏切られると、たとえ他人であったとしても、対“人”に対して義憤というネガティブな感情が生まれる』という部分が疑問を考える上で役に立った。
人が人を罰することから逃れられないの同時に、罰すること自体への責任も持たなければいけないことが分かった。

...では罰することへの責任はどう取るのか?第三者の意見・反論が刑罰へ影響することはあってもいいのか?良いとしたら度合いは?などなど...読むことで疑問が増えたし何よりとっても難しかったけど、思考が整理できて少しスッキリした!

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2025年01月12日

Posted by ブクログ

人は自由意志を持ち、過ちを犯した者は咎められ、罰される。それが共同体における基本ルールと考えられていた。
一方で、自由の存在を否定し、刑罰は無意味だとする神経学者や社会倫理学者の立場もある。
はたして、人間とは自由な選択主体なのか。人が人を罰する事に意味はあるのか。


人を「責める事」及び「罰する事」に主題を置いた自由と責任に関する哲学書です。
刑罰の意味からはじまり、人間の自由意志否定論、責任虚構論などを紹介・解説したうえで、その矛盾や盲点を解説するという内容になっています。

「責める事」「罰する事」は人間の生のフレームワークに含まれているという結論を聞くと、優しく穏やかな世界というものが訪れる事は永遠になさそうだと、作者さんが言うように地球の行く末についてペシミスティックになりそう。
けれど、それを法なり理性なりで抑制し、是正し、許すことが出来るのもまた人間かなあ。

内容はちょっと難しい……んですが、どの章でも、まず1節目で前章までの要約や議論の要点、その章の流れや結論を先に説明してから本題に入るので、主題が分かりやすくて助かりました。

ちなみに、作中の「応報」の説明ににシーラッハの『犯罪』『罪悪』の中の事件が例として取り上げられているので、あわせて読むのもお勧めです。

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2024年05月04日

Posted by ブクログ

割と読みやすく、丁寧に書かれていた。「人間の性の一般的な枠組み」として、論証をそもそも求めないという態度について、私にとっては新鮮なのでまだ理解しきれていない部分がある。直観として大いに同意しうるが、果たして素朴に同意していいのか、困惑しているというのが正しい。ストローソンについてもう少し踏み込んで理解したくなった。

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2024年02月02日

Posted by ブクログ

著者は。1罰するということについて、2責任論について、3結論と、パートを大きく3つに分けて論じている。
1では理論的に罰というものを語り、2においては、実験から導かれる自由意志の否定に対し、罰を受けるべき責任について論じる。
結論では、自由意志を否定する人たちの矛盾をつきながら、結局「人間はそのようにできている」といった定言命法的(?)な話で締める。
ちょっと弱いかなと思いつつも、人がコミュニティを形成して生きてゆくものだとしたら、ルールは必須となるし、罰が不要なら賞も不要でしょとなるし、最終的にはそのような結論になりそうです。

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2024年05月03日

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