あらすじ
人間は自由意志をもつ主体であり、過ちを犯した者が咎められ罰されることは、古くから共同体における基本的なルールと考えられてきた。一方、自由の存在を否定し「刑罰は無意味だ」とする神経科学や社会心理学の立場がある。はたして人間は自由な選択主体か。私たちが互いを責め、罰することに意味はあるのか。抑止、応報、追放、供犠といった刑罰の歴史的意味を解きほぐし、自由否定論、責任虚構論の盲点を突く。論争を超えて、〈人間として生きること〉を根底から問う哲学的探究。
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Posted by ブクログ
読むきっかけとなったのは2つ。凪良ゆうの『流浪の月』を読んで、人が人を罰することは本当にできるのか?という疑問。2つ目はSNS上における“私刑”の過剰化から1の疑問が、さらに言えば事件に関係のない第三者が罰することに疑問を覚えたから。
罰することは生のフレームワークに組み込まれていて、それを否定することは抜本的にできないという結論。
特に『道徳的要求/道徳的期待が裏切られると、たとえ他人であったとしても、対“人”に対して義憤というネガティブな感情が生まれる』という部分が疑問を考える上で役に立った。
人が人を罰することから逃れられないの同時に、罰すること自体への責任も持たなければいけないことが分かった。
...では罰することへの責任はどう取るのか?第三者の意見・反論が刑罰へ影響することはあってもいいのか?良いとしたら度合いは?などなど...読むことで疑問が増えたし何よりとっても難しかったけど、思考が整理できて少しスッキリした!