小笠原弘幸の作品一覧
「小笠原弘幸」の「オスマン帝国 英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち」「オスマン帝国の肖像 絵画で読む六〇〇年史」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
「小笠原弘幸」の「オスマン帝国 英傑列伝 600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち」「オスマン帝国の肖像 絵画で読む六〇〇年史」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
Posted by ブクログ
この本は激動の歴史の中でケマル・アタテュルクがどう人々に関わり、どう決断を下していったのかが深く描かれていて、本当に圧倒されました。
特に心に残ったことが3点あります。
一つ目は、彼の知性と人間としてのあり方です。
アタテュルクは、他の人とは全く違う次元で物事を見ていたように感じます。周囲がぼんやりとしか捉えられていない中で、彼一人だけが世界を「高解像度」で見て、進むべき道を確信していた。そんな凄みを感じました。何より感銘を受けたのは、彼に一切の「虚栄心」がなかったことです。自分を大きく見せることには興味がなく、ただただ国家の存続だけを考えていた。軍の上司に対しても、媚びることなく自分の信念をぶつける圧倒的な発言力。ガリポリの戦いでの彼の活躍を読んだときは、本当に鳥肌が立ちました。
二つ目は、オスマン帝国の終焉から建国へ向かう執念です。
かつての大帝国が時代の波に取り残され、列強に切り刻まれていく様子は読んでいて辛いものがありました。しかし、そのどん底の状況でアタテュルクは立ち上がりました。ただ土地を守るだけでなく、アンカラ政府を樹立し、帝国の廃墟の中から「トルコ共和国」という全く新しい国を創り上げた。その軌跡はまさに圧巻の一言です。
最後に、改革の凄まじさとリーダーとしての孤独です。
世俗主義や言語改革、西洋化といった彼の改革は、当時の常識をはるかに超えた高い視座で行われました。強烈なリーダーシップで国を造り変えていく一方で、この本は「人間ドラマ」としての側面も描いています。イスメト・イニュのような忠実な戦友もいれば、かつての同志たちの裏切りや離別もあった。これほど過激な変革を成し遂げる道が、どれほど孤独で覚悟のいるものだったか、深く考えさせられました。
Posted by ブクログ
ケマル・アタチュルクの人生、業績に焦点を絞った著作。最後に、アタチュルク後のトルコを簡単にまとめている。著者の『オスマン帝国』と併せて読めば、イスラムの勃興から現在のトルコ共和国まで、オスマン帝国とアタチュルクの時代を中心にトルコの歴史をザックリ押さえることができる。
これまでガリポリの英雄でトルコ共和国建国の父という程度の知識しかなかったが、出生や幼年期の経験、友人や女性との交友関係、その当時のバルカン情勢なども追うことでどんな人かというイメージが湧いてくる。
本書の内容というよりも読んで感じたことを何点か記したい。
・アタチュルクの行動範囲や視界を見ると、サロニカ生まれで軍人時代の任地も関係しているとは思うものの、ロシアも含む欧州との関係が9割以上であり、東は国境を接するアルメニア・クルド・シリア・グルジアあたりまで、オスマン帝国領をどのように確定し、トルコ領内に残ったクルド人をどのように共和国に統合するかという程度で基本的に意識が西に向いている。尤も主要な脅威がそちらから来るからなのだが。
・アタチュルク後、トルコの政局がクーデターもあって長らく不安定で21世紀のエルドアンの台頭により安定するが、そこでダウトオール外相が提示した全方位外交は、まさに脱欧入亜(イスラム)という意味で歴史的に時代を画するものであったことがよく理解できた。
・第一次大戦前、セルビアの秘密結社が対オーストリアで暗躍していたが、トルコでも青年トルコ党はじめそれが一般的だった模様。
・オスマン帝国は専制君主とより権力分立した君主も存在していたが、アタチュルクの独裁志向は専制君主並みであり、それによって非常時を乗り越えられたとも言え、危機においては権力集中も必要かとは思う。しかし、早すぎる死が晩節を汚さなかったのかもしれない。
・歴史のイフではあるが、ケマルの下でのオスマン軍は、英国正規軍やアンザック部隊を退け、東アナトリアでもロシア相手に敢闘。部隊長レベルではなく、もう少し早く生まれて参謀総長レベルであったらオスマンはまだ続いてかもしれない。
・その関係で言えば、権力のみならず権威の集中の必要性を感じたからこそ独裁者としてのアタチュルクは、スルタン廃位に続き、カリフも廃位して世俗化を強調している。しかし、政治・軍事なやエリートを含む大多数の国民はカリフの存在には否定的ではなかった。その反映か、死後には徐々にオスマンの歴史的遺産が強調されている(特にエルドアン政権)。
・権力権威を集中した結果、アタチュルク死後のトルコ政治は不安定なものとなる。カリフ制のみを残せば、日本の象徴天皇制度や欧州の王室制度と同様にトルコの強み・資産になったのではと思う。
・スルタン・カリフ制は、日本の天皇の権力・権限の変遷を考える上でも比較対象として面白そう。
この辺にしておくが、知識の欠落を補い、色々と思索を拡げさせていただいた本書に感謝!
Posted by ブクログ
存在はもちろん知っているが、実はオスマン帝国について何も理解していなかったことが改めて理解できる一冊。
オスマン・トルコ帝国と言えば、セルジューク朝に取って代わる形でトルコ系の盟主となったものの、ティムールに一度崩壊させられたが、メフメト2世が1453年にコンスタンチノープルを陥落させて千年王国を滅亡させ、スレイマン一世の最盛期には地中海を支配してウィーンも脅かし、プレヴェザの海戦で欧州連合軍を撃破した。その立役者がヨーロッパから拐われた白人奴隷によるイェニチェリ軍団。しかし、1571年のレパントの海戦で負けてから退勢に入り、後はロシアを中心とした欧州勢にやられるがままで、領土を削られ、第一次世界大戦で選択を間違って滅亡した。というのが私の理解で、ほぼ世界史の授業に沿った理解と思う。
本書はまず冒頭で、オスマン・トルコなんてものは西洋の呼び方で、そんな自己規定はオスマンの人々はしていなかった。オスマンはトルコ人だけの国ではなく、多民族からなる帝国であり学術的にはそれが正しいとの議論が展開され、いきなり仰天。
また、拐われて奴隷にされ戦争に駆り出された可哀想な奴隷の印象があったイェニチェリは、さにあらず、拐われたり買われたりして、君主の所有物(生殺与奪権は君主)であったことは事実だが、イスラムにおける奴隷は比較的自由に生きていて、国の舵取りをする大宰相になる人も多く、イェニチェリ自体が近衛師団的、エリート軍団で実際にクーデターで皇帝を変えたこともしばしば。また、東アジアやヨーロッパと異なり、生母の格は関係なく、ほとんど全ての皇帝の母は奴隷出身。その方が、外戚の影響力が無くて良いと考えられたシステム。
そして、オスマンのイメージは16世紀で終わってしまいがち(あとは19世紀の弱すぎて力の真空→紛争を生み出す元のイメージ)だが、国の勃興期からスレイマン一世までの時代は本書の半分であり、それ以降の歴史も半分に亘って記述されている。それは、君主中心の帝国から分権して広大な帝国統治を可能にする官僚制、イェニチェリや常備騎兵、ウラマー、宮廷勢力などの分権化、欧州の技術、制度の導入を進めたほか、イスラム文化・学術の発展の時代でもあった。
しかし、時代の要請に応じて帝国支配体制を徐々に微修正していく歩みは、絶え間ないヨーロッパの諸帝国の技術革新、ナショナリズムによる独立運動のスピードについていけず瓦解することになる。
同時代である日本の江戸時代は旧弊を同様に微修正(オスマン帝国よりも更に遅いか)したが、時代の流れについていけずに明治維新という革命で一気に近代化を奔流のように進めた。オスマンの改革は、清国の洋務運動のように遅々として不徹底だったか。常に西洋の近くに存在し、少しずつしか変えられなかったことによる弊害なのかもしれない。
なお、オスマン帝国後、ケマル・アタチュルクが徹底した世俗化を進めたが、その後、オスマン帝国の遺産が見直されているといる。