トミヤマユキコの作品一覧
「トミヤマユキコ」の「異性愛という悲劇」「虚弱と歩く」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
- 作者をフォローする
- フォローすると、この作者の新刊が配信された際に、お知らせします。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで203万冊以上配信中!
「トミヤマユキコ」の「異性愛という悲劇」「虚弱と歩く」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
ビジネス・実用
小説・文芸
小説・文芸
ビジネス・実用
ビジネス・実用
小説・文芸
ビジネス・実用
小説・文芸
Posted by ブクログ
多かれ少なかれ誰もが虚弱、人と比べる必要なし…と思っていても、寄稿されてる方々の、虚弱を飼いならす道程に圧倒されました。
皆さんさすが文章が面白くて、淡々と書かれているけれど読んでるこちらは拍手喝采と尊敬の気持ちです。
すごすぎる。
わたしも決して元気とも健康とも言えない身体。
焦らず腐らず、付き合っていくしかないです。
寄稿されてる皆さんは、わたしとは違って過眠の方が多いみたい。
わたしはやはり、睡眠時間を増やすのが第一っぽい。薬に頼ってるのに…
虚弱をケアする世界に、憤る人も多いかもしれない。
少なくとも、憤る人の声の方を大きく拾ってしまうのは、わたしが自分の虚弱に負い目を感じているから。みんなのように普通にできなくてすみません、という申し訳なさがある。
「虚弱なので配慮してください」なんて言えるはずもなく(ほとんどの人が同じだと思う)、そそそ…と去るだけ。
でも、老いると弱くなっていくのは自然の摂理だし、老いなくても病を得たり事故や怪我で万全ではいられない時期もあるかもしれない。
ラストのねえやんの「半分以上が老人」に改めてハッとしました。
元気な状態がデフォの社会は早晩立ち行かなくなりそう。
労わり合う社会、それでいいんじゃない。
Posted by ブクログ
アントニオ猪木の「元気があれば何でもできる」は、真だと思っている。
なぜならば「元気がないからちょっとのことができない」がまた真だと知っているから(矛盾対等)。
ちょっとした事ができないという実感がある。
例えば、ちょっと仕事を早く切り上げられた日。夕飯のあとちょっと片付けしてゆっくり本読もう〜と思っていても、夕飯食べた後そのまま寝落ち、1時間後にようやくぼーっとしながら食器洗っていると、ほらいつもの就寝時間とほぼ同じとか。
例えば、明日は天気がいいらしいからちょっとだけ遠出して公園にお散歩行こうかな、美術館も行きたかったんだよなーと、計画考えながら寝た土曜日。憂うつな気持ちと若干のめまいとしっかり頭痛を抱えて起きた日曜日はもう半分終わってるとか。
そんなことはザラだ。
両親ともに身体が弱いためストレスがち、そんな親から生まれたわたしもアレルギー体質で頭痛持ち。学校の長期休暇にはいれば2-3日寝込むし、宿泊行事から帰宅後はストレスで泣きじゃくる、運動会の集合写真では1人だけ長袖、みたいな学校生活を過ごしてきた。
大人になっても寒い会議室に閉じ込められてはノンストップ鼻水(そうでなくても慢性鼻炎だからティッシュを入れるためのポケットがない服が着られない)、夏でもレッグウォーマーとカイロと上着とストールが欠かせないから常にカバンが重くて万年肩こり(ついでに緊急用のビニール袋も常時携帯。用途は…察してくれ)、日照時間が短いと鬱になるのに日差しが強いとめまいと頭痛で仕事にならない。
3ヶ月に一度は頭痛と肩こりこじらせて、吐きながら早上がりする(このためのビニール袋)。
上述の体を持ったうえで健康診断は異常なし、漢方薬剤師からは「100%の虚証ですね」のお墨付き、ならばつまりこれは虚弱だという自認をもって生きてきたけれど、絶対に終電を逃さない女さんの「虚弱に生きる」を読んだときは天を仰いだ。わたしなんかが「虚弱」でいいのだろうか。
終電さんがXで虚弱に上下はないと仰っているのは拝見していたが、それにしてもこんなに虚弱と向き合い虚弱を乗り越えようと努力するなんて考えたことも無かったので、本当に自分を恥じた。が、何もしなかった。元気じゃないから。
だからこそ今回の虚弱アンソロジーを読んですごくホッとした。虚弱にもいろんなタイプがあって、それぞれいろんな向き合い方をしているという発見があったからだ。まさに「みんな違ってみな虚弱」それでいいじゃないか。ちょっとした事ができないのもゆるせ。この身体でやっていくしかないんだから。
文筆家ではなくても、かろうじて会社員として働くタイプの虚弱もいることの証左としてここにちょっぴり記しておこうかとおもう。
Posted by ブクログ
クィアの視点から異文化としての異性愛を語った本。
空気のように感じていた異性愛文化が、クィアという外の観点からは、こんな風に映っていてこんな問題があると感じているのかと、とても興味深く読むことができた。
現在の異性愛文化がどのような歴史を辿って形成されたかについても記載されているため、読み進めるうちに自然と異性愛文化についてメタ的に分析することが可能になってくる。
自分自身がこれまで無意識に感じ取ってきた生きづらさが、異性愛規範に基づいていると気づくきっかけを与えてくれ、読む前と後とでは世界が一変したように感じられた。
特に興味深かったのが4章と5章。
4章では著者の友人のクィアが異性愛者に感じていることと、それへの著者の分析が書かれている。
異性愛者は、異性愛規範に従おうとするあまり、交際・結婚生活でも性行為でも、退屈で窮屈な思いをしているという内容が衝撃的だった。
日本でセックスレスや熟年離婚が問題になっている背景には、異性愛規範の問題が大きいのかもしれない。
5章では「包容力のある異性愛」が語られる。
現状、異性愛の性行為は性欲の観点から男性優位で行われている。
しかし、性行為は肉体的な快楽だけでなく、思想・経験・傷といった、相手の人生そのものを感じとって深く理解すること(相手との同一化)によって得る快楽もあるはずだ。男性は、女性との同一化を行ってこそ、本当に女性を愛することができる、と著者は語る。
少年漫画・ヤンキー漫画では拳で語り合うシーンが出てくるが、あれは拳を通して相手との同一化を行うことだと言えるだろう。拳で語り合うことができるなら、男女が性行為で語り合うことができないはずはない。
特に日本人は、推し活を通して異性のアイドル・キャラクター等に同一化する経験を持った人が多い。異性愛規範から自由になれれば、「包括的な異性愛」へと踏み出すのは容易だろう。
たまに文章の中に直訳的でわかりにくく感じる所があるのが玉に瑕だが、様々な新しい視点・発見をくれる素晴らしい本だった。
Posted by ブクログ
本文も編集者さんの注釈も、めちゃくちゃ面白くて、2日でスルッと読み終わってしまった。多くの作品の中のバディたちを参考に、自分の現実世界での人間関係に当てはめて考える余白を残してくれている。
個人的に、パートナーに求めることを聞かれると
「私の方を向いていない人」と答えていた私だが、本書を読んで私は恋人と「バディ」になりたかったのだと気づいた。
ドラマや映画でドライブシーンが多いのは、「バディは向かい合うより、同じ方向を向くのが似合っている(本文より)」から。
私も互いに相手を見つめ合う関係よりも、同じ方向を向いて進んでいける「バディ」になりたい。そして、欠けてるまま、足りないまま、ふたりでなんでもない日常を生きながら、関係を何度でも結び直していきたい。(本文より)
これは恋愛に限らず、家族や友人にも共通して思う人間関係のあり方だと思う。私にとって本書は、自分の人間関係のバイブルになったように思う。