経済学の知識のアップデートに取り組んでますが、これはかなり面白かった。
リチャード・セイラーは、カーネマンらに続く行動経済学第2世代というべき人で、ノーベル賞を受賞、ナッジなどの概念の提唱者ということで、有名。
この本も10年違く前に出ているのだが、今更ながら、読んでみた。これまで行動経済学関係で読んだ本の中ではベストかな?
基本、彼の学者人生の物語に沿って、彼が研究したテーマなどが紹介されていくわけだが、これが個人史にとどまらず、行動経済学史にほとんどなっているのがすごい。
さまざまな面白いエピソードと一緒に紹介される議論もわかりやすい。日本語タイトルの「逆襲」はちょっと変だが、行動経済学の歴史は従来の新古典派経済学との論争史でもあって、最初、棒うちの刑に処されていたのが、徐々にその主張が受け入れらていくところとあっているかな?
改めて、行動経済学の歴史を辿って思うのは、これはとても真っ当なものだなということ。つまり、行動主義は、20世紀後半の社会科学の本流と言えるもので、それを経済学に取り入れようという話し。なんで、そんなことになったかというと経済学がなまじ抽象的な数学、微分方程式などで厳密に形式化する演繹的なスタイルで科学性を生み出すことに成功したものだから、まずは観察から始まる帰納法的な方法論が批判の対象になったということ。
社会科学では行動主義的な方法論自体が、批判の対象になって久しいわけだが、この半世紀くらいの経済学は数学的な世界から行動主義的な科学への転換を試みていたということなんですね。
大雑把にいうとそんな話しだが、その議論のプロセスが面白い。
ちなみに、著者は本の初めの方で経済人仮説なしでも経済学の大部分は問題なくやれるし、実際の研究の多くは統計学は使っていても経済人的な最大化の原理を使っているわけではないという議論があって、なるほどと思った。そういえば、ケインズ経済学は経済人を前提としていないし、マクロ経済学も統計的なデータ間の関係性を考えるものだから、経済人仮説はいらないよなと納得した。
ところが、本の最後の方で、セイラーは、これから行動経済学が発展してほしい分野として、一番にマクロ経済学をあげていて驚いた。どうも、私がマクロ経済学を勉強していた40年以上前から事情が変わったらしい。つまり、以前、マクロ経済学のミクロ的な基礎づけという話題があったのは記憶にあるが、その議論が進展して、現在のマクロ経済学は新古典派的なミクロ経済学で基礎付けられているらしい。ミクロ経済学の領域が行動経済学に置き換わっていく中で、マクロ経済の方が今や経済人仮説の牙城になっているのかな???
なんとも面白い現象だ。こうなるとマクロ経済学も学ぶ必要が出てきた。