連城三紀彦の『女王』を読んで以来、どの本を読んでも、ストーリーが噛み合ってこなくって。
つまり、こういう時はどんな小説を読んでもダメなんだろうなーと。
じゃぁ何を読もうか考えていたら、初めてコメントをしてくれた方(ありがとうございます)が考古学が好きとかで、そういえばと思い出した本。
自分は火山オ
...続きを読むタクなので(正しくは、火山オタクになりたい!w)、「古事記の様々な謎を、火山というキーワードで解くって、わぁなんてロマンチックぅ~!」とw、期待しまくりでずいぶん前に買った
でも、いざ読みだしたら、イマイチピンとこなくて。
結局、いつも通り、他の面白そうなミステリー小説に手を出しちゃって、そっちは忘れちゃうという積読本の定番コース。
今回読もうと思って探したら、積読本のかなり下にあって。さすが縄文時代だけあって、発掘しなきゃ読めないんだなーと、ちょっと感心した(笑)
冗談はさておき、あらためて読みだしたら、これが思い白いのなんのって。
これは100%褒め言葉として書くが、古事記に書かれてあることを何でもかんでも火山活動に“こじつけちゃう”ところが素晴らしい!w
いや、こじつけちゃうと言うといい加減なことが書いてあるようだけど、でも何となく納得できちゃうからスゴイ!
ていうより、むしろそれって、何で今まで火山活動と結び付けて考えなかったの?と思ってしまうのだ。
(え?なに?たんに学者が火山に興味がないから思いつけなかっただけ?w)
例えば、ヤマタノオロチの尾っぽから出てきた草薙剣を、それが縄文時代のことだったとしたら製鉄技術はないのだから、鉄剣ではなく(火山活動によってつくられる)黒曜石のナイフじゃないのか?なんて、妄想を発展させまくった仮説はすごく好きだ。
前に、熱田神宮にある草薙剣は箱の中に土に埋められるように保管されてあるから誰も見ることが出来ないみたいなことを何かで読んだ記憶があるが、それが鉄剣ではなく黒曜石のナイフなんだとしたら、確かに石器じゃ恥ずかしくて誰にも見せられないよなーなんてw
とはいえ、1万年以上続いたという縄文時代の記憶をそこまで受け継げるものなのかなーというのは、どうしたって考えてしまうし。
また、今の日本人には縄文人のDNAはほとんど含まれていないという調査結果(ある地域の限定的な結果らしいが)もあるわけで、そう考えると、何で先住民である縄文人の記憶を、おそらくそれを滅ぼしたであろう大和朝廷の側が自らの正当な歴史(書)として残したんだろう?というのもある。
ただ、文字のない縄文時代だったからこそ、情報の少なさ(現代のように無駄に情報や娯楽が溢れてない)ゆえに逆に受け継がれたということもあるかもしれないし。
ていうか、ぶっちゃけ縄文人に受け継がれていたそれらの記憶がすごく面白かったんで、大和朝廷がパクっちゃったということだってあるだろう(そういえば、日本人はパクリの天才だっけ←ホメ言葉ねw)
ま、パクらないまでも、縄文時代でも大陸との行き来はあったらしいから、大陸の方にその当時の記録があって。古事記が編纂された頃はそれに接することが出来た可能性だってないとは言えないだろう。
何より、何年か前の伊勢神宮の式年遷宮でやっていた、神官みたいな人たちが手を上げ輪になってワーワー言ってる、あの「どこの未開部族だ?(失礼w)」的な儀式を見ちゃうと、大和朝廷っていうのは縄文時代を引きずっていたのかなーなんて思ってしまう。
いや、だからって、縄文時代の人を未開部族だなんて、いう気はない(^^;
しかしまぁこの本に書かれているように、古事記が火山活動の記憶を元に書かれているのだとしたら、古事記の作者はクラークなんて裸足で逃げ出しちゃうくらいのSF作家だったんだなぁーw
買った時に全然面白くない本を時期を改めたらすごく面白いって、本っていうのは読むタイミングみたいなものがあるんだなーと驚いた。