宇都宮直子の作品一覧
「宇都宮直子」の「渇愛 ~頂き女子りりちゃん~」「アイスダンスを踊る」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
加害者、被害者、支援者、記者、様々な立場から事件について書かれていた。それでもやっぱりりりちゃんというキャラクターに惹かれてるところが大きかった。著者自身もりりちゃんにひっぱられ、これまでの記者人生のモットーを曲げてしまった、しかもそれに気づけなかったと書いていてやっぱりどこか魅力がある存在だったのだなと思った。過去のDVなどの影響で、ホスト狂いになってしまい、ホストに使うためにおじを騙すという悪循環だなと思った。それと同時にマニュアルが沢山売れたというのは、同様の状況に置かれいている人が多くいたんだろうなと思った。今回の事件がきっかけで風営法などが改正されたんだと思うが、一概にホストが悪いとは言いきれないなと思った。りりちゃんが求めていたのは誰かからの承認欲求というか、無条件の肯定、それにより自己肯定感がついていればこのような事件は起きていなかったのかなと思う。多くの人が父親母親から愛情を受けるのに対して、それを受けれなかった人、今でも多くいると思うし、そのような人にどうやって気づいて、どうやって手を差し伸べればいいのだろうと思った。また、映画を作ろうとしていたひとがいっていた、ターゲットがおじじゃなくても成立しているマニュアル、弱っている人に漬け込んでいるマニュアルというところも心に刺さった。いつでも犯罪のターゲットにされるのは色々な意味で弱者の人だと思う。それを思うと今回の事件は妥当だったのかなと思う。犯罪を0にするのは無理だと思うし、理想論としてはなって欲しいが、その意味で見せしめじゃないが、そのような役割で使われたのかなと思う。被害者も悪いだろう、気づくやろうーとは思ったがターゲットにされていたのは身寄りがない人だったので相談もできないならなりうるのかなと意見が変わった。また、作中で語られた、キャラクターを作り上げてしまったことでりりちゃんが辞められなくなったのではという仮説が興味深かった。多くの人が周りからの見られ方を気にするし、関わる人によって態度を変えると思う。仕事や家庭、友達の前では多少キャラクターが違うと思う。りりちゃんは多くの人にりりちゃんというキャラクターを求められていて、これまで求められてこなかった人生にはそれが生き甲斐だったのかなと思った。なので、出所した後はりりちゃんではなく1人の人間として関わってくれる人と出会えたらいいなと思った。りりちゃんも、それに巻き込まれた人が良い人生をこれから歩んで行けたらいいなと思った。
あとがきの、「地獄に行く連中は自ら進んで地獄に行くのです。地獄が大好きだから」の引用された言葉がすごく印象的だった。歌舞伎町は普通の街とは違う。例え外から見て地獄でもそこに行くしかなかった子達や、自ら進んで行く子も、地獄とは思わず天国のように感じて身を滅ぼしてる。とても面白かったです。
Posted by ブクログ
りりちゃん、かわいいりりちゃん。
YouTubeを全部見ていて、有料noteも読んだ。
パワーがあって、失うことを恐れず狂える女の子が本当に好きで、憧れで、りりちゃん、刑務所、そこは狭い。
女の子に優しくされたら困ってしまう感覚
本当にわかってしまって苦しかった。
彼女は被害者でも良いのではないか、思ってしまう。
どうにか幸せになって欲しい。許されて欲しい。
人間、寂しいと外にばっかり居場所を求めてしまう
大丈夫じゃなくても、大丈夫だし、
大丈夫になったとしても、大丈夫なんだよ、
と伝えたい。
そのままで愛されても大丈夫なんだと。
気持ち悪いかもしれないけど、それくらい感情移入をしてしまった。
最後の方はきっと冬で、
もう寒くなければいいなと思う。
Posted by ブクログ
なかなか感想が書けなかった。消化不良というわけではないけど、表現が思考がまとまらないというか。それくらい衝撃的な作品だった。
「親ガチャ」という言葉。これを使う人間がどれくらいの意味、重みを持たせているかわからないけれど、玩具のガチャよりも可能性を定量化することは非現実的で。でも、確かに組み合わせの運みたいなものはあるとも思えて。
翻って親からすれば「子ガチャ」だってあるし、その親だって親ガチャを経験しているわけだから、その言葉で本気で良し悪しを表現してはいけないと感じた。
じゃあ祖父母の代から伝わる、時にありがたく時に忌まわしい運命というのか、自身を意味付けていく経験やそこから受ける感情とは何なのだろうか。
子に焦点を当てれば親に頼れない時、それも経済的とか関係性とか望まずに獲得してしまった状況において、何に縋ってどうなっていくことが「あるべき」なのか。
親に焦点を当てれば、親らしくなれない時、それは更に親から与えられた状況を恨みながら、反面教師的に振る舞うことも出来ない人間は、ただ「親なのに」と否定されるしかないのだろうか。
多様性という表現では整理がつかない事件。りりちゃんの被害を受けた方はとても辛く苦しい思いをしていることは間違いない。
というか苦しい人しか登場していない気がする。
ーー
京アニ事件の「自分は「底辺の人間」です」を読んだ時より響くものがあった。
こういう本を読みたくなる自分は傲慢なのでは、という疑念も生まれた。
それではどうぞ聴いてください、RADWIMPSで「筆舌」。