作品一覧

  • 戦争に抵抗した野球ファン ――知られざる銃後の職業野球
    4.0
    日中戦争から太平洋戦争へと戦線が拡大し、すべてが戦争に奉仕させられる時代にも、野球場には、戦争から背を向けるように声援をおくる名もなき野球ファンたちがいた。彼らは一体何を思い、そこに何を観たのか? プロ野球創成期をノンフィクションという形で切り取り、戦争の悲惨さを語り続けてきた著者が、戦後80年を機に、これまで語られてこなかった市井の野球ファンたちの姿に焦点を当て、戦時下の野球文化を描く。 【目次】第1章 魅了された人々/第2章 襲いかかる戦火/第3章 強まる戦時統制/第4章 密かな娯楽/第5章 反骨の人々
  • プロ野球選手の戦争史 ――122名の戦場記録
    4.2
    1巻1,100円 (税込)
    昭和11年、プロ野球旗揚げとほぼ同時に二・二六事件が起こり、日本は戦争へとなだれ込む。日中戦争、太平洋戦争、そして終戦。引き分け禁止や日本語化といった影響を被りながらも断続的にリーグ戦を行い、野球界も戦渦に巻き込まれてゆく。特攻に志願する者、病いや飢えで命を落とす者、帰国して活躍する者――人生の数だけ戦争の記憶がある。プロ野球草創期に生きた122名の選手たちの体験談や秘話をもとに、新たな視点で戦争の悲惨さを伝える。
  • プロ野球オーナーたちの日米開戦
    4.0
    1巻1,599円 (税込)
    80年前の12月8日、真珠湾攻撃で日米戦争がはじまりました。そこに至る過程で重要な役割を果たしたのが東條内閣と大政翼賛会ですが、そこに偶然、3人のプロ野球(職業野球)球団のオーナーがいました。 大政翼賛会の事務総長だった有馬頼寧伯爵はセネタースの、同会の総務を務めた正力松太郎は巨人軍の、そして東條内閣の商工大臣だった小林一三は阪急軍のオーナーだったのです。 華族の有馬は趣味の延長、読売新聞社長の正力は部数拡大の宣伝材料、財界人の小林は商売として、それぞれ思惑は違いますが、戦前のプロ野球の興隆に力を尽くしました。それが、時局が戦争へと傾いていくなかで、3人はそれぞれの道を歩み始めます。 プロ野球選手もどんどん徴兵され、戦地に投入されるようなり、有名選手から戦死者も出るようになったとき、3人はどうしたのでしょうか……。 野球の歴史に関する著作をたくさん世に送り出してきた筆者が、初めてオーナーに着目した本書は、歴史が動くとき、それに巻き込まれた人たちの悲劇をよく描き出しています。 終章巣鴨プリズンのようすで始まります。有馬も正力も、戦犯容疑で収監されていました。小林ものちに公職追放の憂き目にあいます。戦争協力者として断罪された3人ですが、公職追放が解けたあとはどうなったのか。 正力のアクの強さと、有馬、小林の繊細さが、戦後の明暗を分けますが、これは今の世の中でよくある光景ではありませんか。 野球だけでなく、戦争だけでなく、何か大切なことがわかったような気がする1冊です。
  • プロ野球VS.オリンピック ──幻の東京五輪とベーブ・ルース監督計画
    -
    1巻1,485円 (税込)
    1931年、東京六大学対全米選抜の日米野球が成功すると、読売新聞社長の正力松太郎は三六年からのプロ野球発足を決意。同じ頃、ベルリン五輪での野球競技が決まり、アメリカはベーブ・ルースを代表監督にすると発表。さらに東京が五輪開催に名乗りをあげ、選手たちが五輪出場かプロ野球かで悩むなか、各球団による争奪戦が始まる。沢村栄治ら有望な若者はいかなる運命の選択をしたか。プロ野球草創期の秘話を掘り起こす。
  • 八百長リーグ 戦時下最大の野球賭博事件
    -
    戦時下の貴重な娯楽として国民を楽しませていた職業野球に闇の手が伸びる――。昭和11年、巨人軍、タイガースなど七チームによる職業野球リーグが発足すると、連盟はすぐさま、大リーグで起きた八百長事件を懸念して、防止策を急いだ。しかし、それをあざ笑うかのように、不正をはたらく選手が現れた。そして、他のチームへと拡大の様相をみせていく。選手たちを召集する巨人軍。苦悩する沢村栄治……。なぜ選手たちは、連鎖するように次々と不正に手を染めていったのか。戦時下の八百長事件を、当時の資料や証言を丹念に積み重ねることにより追跡していくと、浮かび上がったのは、今なお繰り返し起こるプロ野球界の不祥事の本質だった……。賭博の予想に使われた野球雑誌をはじめ、戦前・戦中の貴重な写真、資料、新聞記事を多数収録。
  • 広告を着た野球選手 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦
    5.0
    プロ野球草創期に、わずか3年半しか存在しなかった幻の球団・ライオン軍。現代プロ野球の礎ともなったユニークな球団経営を始め、歴史に埋もれた「ライオン軍」を丹念な取材で描きだす。
  • 兵隊になった沢村栄治 ──戦時下職業野球連盟の偽装工作
    3.6
    ベーブ・ルースをきりきり舞いさせるなど活躍し、将来を嘱望されるも、三度も出征し落命した悲運の投手・沢村。彼は何を考え、戦地に赴いたのか。本書は人間・沢村を描くとともに、当時の野球関係者の興味深い動きを描き出していく。表向きは時局に迎合し戦争に協力するかのように「偽装」しつつ、職業野球連盟は沢村の悲劇を繰り返さぬよう、野球界や選手らを守ったのだ。その工夫とはいかなるものだったか。知られざる戦時下の野球界を、資料の綿密な分析から再構成する。

ユーザーレビュー

  • 広告を着た野球選手 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦

    Posted by ブクログ

    戦前プロ野球の貴重な資料となりうる本
    ライオンのイメージが変わった。
    そんなにプロ野球創成期に貢献していたとは…

    0
    2025年02月06日
  • プロ野球選手の戦争史 ――122名の戦場記録

    Posted by ブクログ

    1937年7月7日盧溝橋事件に端を発し、第2次上海事件、南京大虐殺など、日中全面戦争が始まった。戦争突入の伏線は、1936年2月26日の雪深い日に起きた二・二六事件。陸軍のクーデターのわずか3週間前に、日本のプロ野球リーグが誕生した。大学野球が全盛の時代に、職業野球であるプロ野球がスタートした。1931年、1934年には日米野球が行われ、米国はベーブルースやルーゲーリック、日本は現在も受け継がれる沢村賞の生みの親の沢村英治投手が快投した。日中全面戦争に伴い、徴兵検査や徴兵も厳しくなる。プロ野球選手たちは、徴兵逃れのために大学等に在籍し、球団が援助した。戦争と同時にスタートしたプロ野球は、戦意昂

    0
    2024年08月25日
  • プロ野球選手の戦争史 ――122名の戦場記録

    Posted by ブクログ

    昭和11年発足の職業野球。選手たちは徴兵され戦争という大きな歴史の歯車に巻き込まれていく。
    戦史がそのまま職業野球選手の墓碑となっている。生死を分ける偶然も時にはあるが。
    有名なエピソードだが名古屋軍の石丸進一が特攻出撃直前にキャッチボールをするエピソードが何とも胸を打つ。
    過酷な戦場を経験した川上哲治、三原脩など、この頃の野球選手と戦争は切っても切れない。

    0
    2024年07月19日
  • 戦争に抵抗した野球ファン ――知られざる銃後の職業野球

    Posted by ブクログ

    忍び寄る戦争の影。軍部に翻弄される職業野球だがコアな野球ファンに支えられ細々と続けられていく。
    後楽園球場の2階席が高射砲陣地となった史実や敵性語としてストライクなど英語を廃する動きなど軍部との駆引きは続く。
    戦時中でも続いた貴重な娯楽の実態、庶民の逞しさを感じる作品。

    0
    2025年10月15日
  • プロ野球選手の戦争史 ――122名の戦場記録

    Posted by ブクログ

    戦時中のプロ野球とその選手たちの記録。
    投げていた白球は手榴弾に変わり、野球用語は全て日本語に変えられた。
    未来ある多くの若者たちが戦争で命を落とすことは本当に無念でならない。

    0
    2025年05月28日

新規会員限定 70%OFFクーポンプレゼント!