【感想・ネタバレ】プロ野球選手の戦争史 ――122名の戦場記録のレビュー

あらすじ

昭和11年、プロ野球旗揚げとほぼ同時に二・二六事件が起こり、日本は戦争へとなだれ込む。日中戦争、太平洋戦争、そして終戦。引き分け禁止や日本語化といった影響を被りながらも断続的にリーグ戦を行い、野球界も戦渦に巻き込まれてゆく。特攻に志願する者、病いや飢えで命を落とす者、帰国して活躍する者――人生の数だけ戦争の記憶がある。プロ野球草創期に生きた122名の選手たちの体験談や秘話をもとに、新たな視点で戦争の悲惨さを伝える。

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Posted by ブクログ

1937年7月7日盧溝橋事件に端を発し、第2次上海事件、南京大虐殺など、日中全面戦争が始まった。戦争突入の伏線は、1936年2月26日の雪深い日に起きた二・二六事件。陸軍のクーデターのわずか3週間前に、日本のプロ野球リーグが誕生した。大学野球が全盛の時代に、職業野球であるプロ野球がスタートした。1931年、1934年には日米野球が行われ、米国はベーブルースやルーゲーリック、日本は現在も受け継がれる沢村賞の生みの親の沢村英治投手が快投した。日中全面戦争に伴い、徴兵検査や徴兵も厳しくなる。プロ野球選手たちは、徴兵逃れのために大学等に在籍し、球団が援助した。戦争と同時にスタートしたプロ野球は、戦意昂揚や厭戦気分の解消にも活用された。しかし、対米英蘭戦争に突入するとほとんどのプロ野球選手が出兵し、戦死者も増加。一時除隊した選手も瞬く間に再応召される消耗戦として死傷する選手たち。戦争の激化と共にプロ野球選手は年々激減し、チームの合併と縮小。ついには後楽園球場の外野に芋畑がつくられる始末。戦争に翻弄され、戦争に利用され、それでも野球が大好きだった112名の選手たちを丹念に追いかけた書籍であり、平和あってのスポーツ・プロ野球である事を再確認した。(509字)


【閑話休題1】
日本にプロ野球を取り入れたのは、正岡子規と言われている。「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」の正岡子規である。ベースボールを「野球」と評した。様々な日本語が活用されたが、戦時中は敵性語として、英語の使用を禁止され、チーム名は日本語標記に変更させられ、審判用語等もむりやり日本語表記へと強制される。その名残が今でも存在する。アウェー試合は「敵地」、グランドスラムは「満塁弾」、タッチプレーは「挟殺」、本塁帰塁の失敗を「憤死」、ダブルプレーは「重殺」、トリプルプレーは「三重殺」。戦時・戦闘用語のオンパレードである。マスコミやスポーツ新聞もこぞって戦時用語を使い続けている。しかし、皇族を「さん」読みする新聞だけは、戦時用語を使わずにプロ野球報道を続けていることを、どれくらいの人が知っているだろうか?

【閑話休題2】
本文にも触れた沢村賞の沢村英治。三度招集され2度は除隊して家族の元に戻ったが、3度目の応召では輸送船の撃沈で死亡した。アニメ「巨人の星」では、沢村の逸話として、手榴弾の投擲(とうてき)距離と精度が抜群であったと紹介される。本書でも同様の基調で論ぜられ、沢村以外の選手たちも手榴弾の投擲大会で好成績を残しているとの事である。靖国神社の「遊就館」には、ロサンゼルスオリンピック馬術のメダリストで、硫黄島の戦車隊で戦死したバロン西の展示が行われている。熊本工業出身で巨人軍の捕手吉原も展示されている。戦前・戦中と日本のプロ野球を牽引した沢村英治の展示は遊就館にはない。そこには、巨人を辞めさせられ、巨人の圧力で他球団への移籍もかなわず、戦地と工場で苦しみ、そして戦争に翻弄された家族の苦しい思いが強く出されているようにも思うのは、私だけだろうか?

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2024年08月25日

Posted by ブクログ

昭和11年発足の職業野球。選手たちは徴兵され戦争という大きな歴史の歯車に巻き込まれていく。
戦史がそのまま職業野球選手の墓碑となっている。生死を分ける偶然も時にはあるが。
有名なエピソードだが名古屋軍の石丸進一が特攻出撃直前にキャッチボールをするエピソードが何とも胸を打つ。
過酷な戦場を経験した川上哲治、三原脩など、この頃の野球選手と戦争は切っても切れない。

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2024年07月19日

Posted by ブクログ

戦時中のプロ野球とその選手たちの記録。
投げていた白球は手榴弾に変わり、野球用語は全て日本語に変えられた。
未来ある多くの若者たちが戦争で命を落とすことは本当に無念でならない。

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2025年05月28日

Posted by ブクログ

このレビューを書いているのは、大谷翔平がメジャーリーグでも大活躍し、ワールドシリーズまで進出し、NPBはパ・リーグの覇者ソフトバンクと、セ・リーグで「下剋上」を果たし、シーズン3位から日本シリーズまで辿り着いた横浜とが戦っている。…という、野球が非常に面白い時期である。

それらのすべての始まりである、日本におけるプロ野球(職業野球)の誕生は、あの、日本が大戦へ、敗戦へと歩みを進めていく時代の、二・二六事件と時期をほぼ同じくするのだという。

職業野球で活躍する、又はそれを期待される若者たちが道半ばで戦場へ向かい、戦死する者もいる。あのような世の中でなければ、どのような野球選手としてどのような活躍をし、どのような人生を歩んだであろうか。

あの戦争は、単純に、日本が全面の悪だと断罪できるような、そのようなものではない。

しかしながら、あの戦争により辛い思いをしたり、徴兵や怪我で大好きな野球をあきらめなくてはならなくなったり、戦死した方々にとっては人生を変えられてしまう「悪」である。

あのような戦争が起きてほしくない、そして、今当たり前に野球を楽しめている、平和な世界のありがたみを改めて感じた。

戦争に向かっている、きな臭い渦に巻き込まれている、そんな世の中である。

プロ野球という視点を通じて、戦争と平和について改めて考えてみませんか?もうすぐ野球もオフシーズンですので、ぜひ、読んでみてください。

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2024年10月28日

Posted by ブクログ

戦争は人々から夢や希望を奪い去る。そして時には生きることさえも許さない。日中戦争から太平洋戦争に拡大していく先の大戦においては、時を同じくして立ち上がった職業野球、現在のプロ野球の多くの選手たちも兵士として戦場に向かい、短い人生の幕を下ろした。
日本で職業野球が発足した昭和11年2月。それは正に2.26事件が起こり軍部が政治に大きく関与しながら、日本が軍国主義に駆られ、やがて大陸での侵攻を開始する時期とほぼ同じだ。それ以前に野球は国民の間でも人気のスポーツ競技で、アメリカの大リーグの選抜チームと日本の選抜チームが対戦するなど話題に事欠かない競技であった。現代野球にも賞として名を残す沢村栄治も17歳でアメリカチーム相手に力投し、圧倒的な力の差で連日負け続ける日本野球に於いて一石を投じたピッチャーだった。当時そうした状況で新聞社をはじめとし各地の有力企業がプロ化を目指してきた中ではあるが、戦争へと突き進む日本社会で野球界とそこにプレーする選手の多くは戦争の惨禍に巻き込まれていく。
本書はそうした野球人122名の選手としての活躍と戦場での戦いを追う。前述の沢村栄治も日中戦争から戦死した太平洋戦争まで3度の招集を受けたのであるが、他の選手たちも多くが招集され球界を去っていく。あまりに多い招集でチームとして成り立たない球団まででてくる。そうした中でもチーム再編や移籍などで選手を確保しながら日本のプロ野球は確立していく。戦争ともあれば敵性言語である英語は使用できず、ストライクもセーフもそれぞれ「正球」「安全」など置き換えられていく。それでも尚、野球の火を消さない為に軍部に服従しながら粛々と生き延びる道を選ぶ野球界。それとは逆に戦地で散華していく選手たち。戦地では肩の強い野球選手は手榴弾投げにおいても模範となり、体力や瞬発力のある選手は危険な中で伝令に走るなど、戦場でも野球で磨きあげた肉体が役にたつ。尤も彼らはそれを望んで厳しい練習に耐えてきた訳では無いだろうが。誰もが白球に想いを託して、将来の野球人生を描いたであろう。それも戦争という残酷な現状によってかき消され、無念のうちに亡くなっていく。
本書ではその後を生き延び、戦後も活躍した選手も多く登場する。よく知った名前も出てくるので、今更ながらそうした過酷な状況を乗り越えて、日本球界を発展させてきた事を知ることができる。それだけでなく、自分が学んだ大学からも多くの野球人が輩出され、学徒出陣により、中には特攻隊として散った人々がいた事も知った。偶然にも後楽園(東京ドーム)近くに学校はあったから、しばしばドーム近辺で遊んでいたが、その場所に慰霊碑が建てられている事も初めて知った。個人的に野球に対して特別興味がある訳ではなかったが、そうした場所を訪れてみたいと思うきっかけになった。
当たり前だが、戦争は野球選手だけでなく、国民全員にとって身内を亡くした悲しみ、怒り、食料不足による飢え、家屋を失えば耐えられない寒さまであらゆる困難を招いた。選手であれば沢村栄治の様に投げられない身体になったり、四肢の一部を失ってプレーする事も許さない人生をもたらした。その様な中でも戦後早々に復活を試みた野球界は、野球という夢と希望に溢れたスポーツで、人々の心を明るく照らし、熱狂と興奮を呼び起こしてきた。戦後復興と共に、チームも選手たちも様々な歴史を辿り、今でも尚、私たちを興奮させるスポーツとして発展を続けている。そこには多くの戦争による犠牲があった事を私たちは忘れてはならない。
今日も大谷選手の打席に期待し、ニュースでホームランが流れるだけで辛い仕事も前向きになれる。疲れ切った身体に力が漲る。野球だけでは無い。スポーツとはそういう見えない力を持って私たち現代人を繋ぎ、そして支えている。

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2024年05月13日

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