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林成之
1939年富山県生まれ。日本大学医学部、同大学院医学研究科博士課程修了後、マイアミ大学医学部脳神経外科、同大学救命救急センターに留学。1994 年、日本大学医学部付属板橋病院救命救急センター部長に就任後、長きにわたって救急患者の治療に取り組み、その間、数々の画期的な治療法を開発して大きな 成果をあげる。なかでも多くの脳死寸前の患者の生命を救った脳低温療法は、世界にその名を知られる大発見となった。日本大学医学部教授、マイアミ大学脳神 経外科生涯臨床教授を経て2006年、日本大学大学院総合科学研究科教授。2007年10月、国際脳低温療法学会会長賞受賞
〈勝負脳〉の鍛え方 (講談社現代新書)
by 林成之
先述したように本書は主としてスポーツをモデルにして話を進めていきます。これから始める記憶の話も同様です。 スポーツというと記憶や脳とは関係なさそうですが、それはまったくの誤解です。実際にボールを投げる、 蹴る、などの一見単純そうな運動ひとつおこなうためにも、人間の脳の中ではたくさんの機能が働いているものです。その機能をすべて述べようとしたら、分厚い脳科学の専門書が一冊できるくらい膨大なものになってしまいます。
「イメージ記憶」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。物事をありのまま記憶するのではなく、その物事についてのイメージを自分の頭の中でつくりあげ、それを記憶することをいいます。じつは人間の記憶はすべて、このイメージ記憶によっておこなわれているのです。みなさんも、自分の記憶に絶対間違いがないと思っていたのに、じつは勘違いだったという経験があるのではないでしょうか。これは私たちの記憶がイメージ記憶であるために起こる現象です。
イメージ記憶はあらゆるスポーツにおいて重要です。いい選手になりたければ、このイメージ記憶の能力を鍛えれば確実に上達します。それにはどうすればよいかは、引き続きこの章で述べていくことにします。
私は以前、アメリカに留学していたときに、バスケットボールの神様といわれたマイケル・ジョーダン選手のプレーを見たことがあります。その技は、驚くべきものでした。相手のディフェンスが鉄壁でおよそシュートするのは困難に思える状況でも、ボールを持って空中に飛び上がり、一瞬そこで体が止まったように見えたあと、さらに体をひねりながら体と腕を上に伸ばしてシュートを決めるという、まさに神業としかいいようのないプレーを何度も目にしたものです。
私は考えました。ジョーダン選手の場合は、このイメージ記憶をかなり前の段階からつくっているのではないか。ドリブルの段階から早くも、成功したスローイングのイメージ記憶がつくられていて、指先からボールが離れる最後の瞬間まで、それを持続させてシュートしているから、体がゴールインさせるように自然に動くのではないかと。だから、ドリブルの段階からゴールインすることがわかるようになる。いいかえれば、ドリブルの段階からゴールインを強くイメージしているからこそ、シュートが成功するということなのではないでしょうか。反対に、何らかの理由でイメージどおりに体が動いていないのを感じているときは、シュートを打つ前からこれは失敗するということもわかるのでしょう。
ジョーダン選手の予知能力とは、ゴールインを常人よりもはるかに早い段階から強くイメージすることによってもたらされるものであり、本当は予知能力があることがすごいのではなく、イメージ記憶をうんと手前から出発させているところに彼のすごさがあるのだろうというのが私のたどり着いた答えです。ボールの軌道をぎりぎりまで見極め、ボールが止まって見えた川上選手はイメージ記憶の終わりが常人より遅いといえますが、ドリブル中からゴールを予測するジョーダン選手は、それとは逆にイメージ記憶の始まりが早いといえるのでしょう。
みなさんは「 凄腕 の外科医」と聞けば、難しい手術を緊張の連続の末に感動的に成功させる漫画のブラック・ジャックのような人を想像するかもしれません。しかし、プロの考え方は違います。凄腕の外科医とは、淡々とむだな動きをいっさい排除し、心の動揺もなく、流れるように自然に手術を成功させ、術後の合併症も絶対作らない人です。私たちはそんな外科医にこそ憧れ、みずからもそうなるべく努力しています。 そのために不可欠なのが、自分の体や患者の頭がどの方向に向いていても、どこに脳の重要な場所があるかが迷わずわかる、空間認知の能力です。脳外科医たちは、イメージ記憶をつかってこの空間認知能力を鍛えているのです。
脳外科の手術では、つねに安全な状態で手術ができるということはありえません。予想外の危機に直面し、ときに自分の腕一つが患者の生死を分けることもあります。たとえば、私が執刀した手術で、頭蓋骨を開頭して脳の表面を覆っている 硬膜 をあけたとたん、脳の奥深い見えないところが出血していて血がドクドクと湧き出ている状態に遭遇したことがありました。出血源は見えず、脳はどんどん 腫れてくる。このままでは確実に脳が飛び出して死は避けられない、絶体絶命の状態です。こんなとき、「どうしようもない」と思った瞬間、手術はお手上げになります。プロの脳外科医はこのような場合、自分が持っている能力のすべてを結集し、すばやい決断と実行で対応します。緊張して腕が発揮できないのでは、などということは考えたこともありません。こうした危機一髪の状態では、自分でも怖いくらいに人格が変わって、完全に戦闘モードとなって腕を振るうのです。人間が命がけで集中すると、自分の立場を忘れ、人格まで変えて目的を達成しようとするのだと思います。このような状態にいながら緊張するということは、まだ自分の立場や評価を考えていて、集中しきれていないのだともいえるでしょう。緊張するのは、集中していないからなのです!
このように、記憶とはじつに頼りないものです。さらに人間には自己保存の本能が働くため、自分に都合のよい方向に解釈して記憶することは避けられません。そこに、どうしても勘違いや誤解が生じてくるのです。ですから、みなさんは自分の記憶がつねに正しいとは決して思わないでください。このことを理解していると、人の意見を客観的に聞き分ける力がついてきます。スポーツにおいてもこの記憶の仕組みを知っていれば、思い込みによってフォームを崩したりスランプに陥ったりしたときも、早く修正することができます。自分の記憶が正しいとはかぎらない、という気持ちを持ち続けるのは誰しも難しいものですが、日頃からそう思うよう心がけておきましょう。
スポーツばかりしていると頭が悪くなる」などという俗説をいまだに信じている人もいるようですが、本当に頭のよい人は、勉強をやらせても運動をやらせてもうまいのです。一流の運動選手がなぜ頭がよいのかも、理解していただけると思います。
「攻撃は最大の防御」という言葉には落とし穴があります。「攻撃には攻撃」を脳に叩きこみ、独創的な戦略を編み出してください。
さきほども述べましたが、一般的には、相手の弱点を攻めて勝つことがセオリーとされています。しかし、このような思想では一流の選手が集まるオリンピックや国際大会では勝てません。このような考え方で練習しているかぎり、自分を一流のレベルに高めることもできません。たとえ相手の弱点を攻めて勝ったとしても、それは本当に勝ったとはいえないからです。 本当に勝ったといえるのは、相手の長所を打ち砕いて勝ったときだけです。
長時間運動を続けていると体温が上がってきます。すると体全体を流れる血液の温度が上昇し、同時に脳の温度も上昇していきます。その結果、交感神経・副交感神経の自律神経バランスが微妙に狂ってくるので、いくら練習してもうまくならないとか、試合中に根気がなくなるなど、勝負に徹することが難しくなってしまいます。
じつは、幸いにも私たちの脳は、疲労の解除命令を出す機能を持っているのです。その機能部位は、前頭 眼窩 野 というところにあります。これは、言葉を司るブローカ言語中枢や、匂いを 嗅ぎ分ける嗅結節とも関連した働きをしています。 脳の疲労を取り除くためには、この前頭眼窩野と、心の発生に関与するモジュレータ神経群の機能を高めることです。
じつは、話し相手がいない競技中でも、前頭眼窩野を刺激して脳の疲労をとるよい方法があるのです。どんな方法だと思いますか? 答えはシドニーオリンピック女子マラソンで優勝した高橋尚子選手の、ゴール直後のコメントにあります。 「楽しい四二キロでした。まわりの景色を楽しんで、友だちの顔を思い浮かべて楽しい会話をしながら走っていました」 そう、競技中でも、好きな友だちを思い浮かべながら、架空の楽しい会話をすることで脳の疲労をとることができるのです。
二〇〇六年冬季オリンピックのフィギュアスケートで金メダルを手にした荒川静香選手が、非常にいいコメントをしていました。 「順位はまったく考えていませんでした。新しい採点法に対応するために、演技ごとに自分の欠点を明らかにして、一つ一つをいかに 完璧 にこなすかに集中していました。一位になれたことにびっくりしました」 これを聞いて、本当にメダルを獲ることを意識していなかったのだろうか、と疑問に思われた方も多かったのではないでしょうか。しかし、もしメダルを獲ろう、一位になろうなどと意識して演技していたら、一位になれたかどうかはわからないと思います。ここに、緊張状態のなかで実力を発揮するための大きな教訓が含まれています。
さらに、人間は同種既存の遺伝子を持っています。学校に入学するとその学校が好きになる、会社に入るとその会社が好きになる、日本で生まれると日本が好きになる、自分が日本人でもかりにアメリカで生まれたとするとアメリカが自然に好きになる。これらは、同種既存の遺伝子が組み込まれているからです。これも、人間の本能として機能しているものです。私たちはこの本能のおかげで、誰でも、自分が生まれた国のチームを自然に好きになります。もし、自国のチームが好きになれない人がいたら、本能を作り上げる脳のどこかがおかしいか、その遺伝子に障害があるのかもしれません。
ワールドカップやオリンピックに出場するということは、人間としてこのようなすばらしい体験をし、世界中にそれを表現できる選ばれた人になることを意味しています。勝者も、敗者も、相手のことを心から誇りに思う態度は、脳が求めている本来の姿であり、だから見ている人々にも、より大きな感動を与えるのです。 これはオリンピックのような大きな競技会に限らず、町内の野球大会や幼稚園の運動会にいたるまで同じであることはいうまでもありません。だから、「勝ち負けを決めるのは教育上よろしくない」などといって子供たちに手をつながせてゴールさせている運動会は、脳は悔しさをバネに育つという脳科学を無視した指導といえるのです。
みなさんご承知のとおり、競技には団体競技と個人競技があります。オリンピックを見ていると、団体競技が得意な国があれば個人競技が得意な国もあり、国によって得意不得意があるのがわかります。日本は昔から、どちらかといえば野球やバレーボールのような団体競技を得意にしている一方で、一般的に一対一の陸上やテニス、スキーのような個人競技はあまり得意とはいえないように思います。逆に、個人競技はめっぽう強いのに、団体競技になると不思議なほど 冴えない国もあります。どうしてこのような差が生じてくるのかを考えてみましょう。 私には、この差は食べ物の違いからきているように思えてならないのです。そのことは、動物の行動パターンをみると一目瞭然です。草や穀物を主食とする草食動物は、集団で行動して敵と対抗する方法で身を守っています。これに対して肉食系の動物は、一般に単独行動をとる傾向が強いものです。人間も草食系の民族には集団で農耕に従事していたときからの、肉食系の民族には一人一人が獲物を求めて 駈け回っていたときからの遺伝子が組み込まれていて、その影響から逃れることはできないのではないでしょうか。
受精卵として命を授かった人間が、母親の胎内で少しずつ神経や臓器をそなえて人間らしくなっていく過程をみていくと、脳や 脊髄 はなぜか、腸と密接な関係にあることがわかります。脳と脊髄が腸を守るように発達していくことが、不思議な現象として医学界で認識されているのです。 消化器系と脳との関係については、次のようなこともわかってきています。 腸や胃の壁には、ボンベシン、ニューロメジン、コレシストキニン、ガストリン、ニューロペプタイド……といった数え切れないほどの酵素系物質やペプチド(アミノ酸化合物) がありますが、じつはこれらの物質は、脳組織の中にも星をちりばめたように無数に存在しているのです。その役割については現代医学でも全容が明らかになっていません。ただ、腸の免疫力も脳の働きによって変化するなど、腸と脳の関係はいま注目を集めているテーマの一つなのです。これらの研究成果は一九九八年にイギリスのジェラード・P・スミスによってまとめられ、オックスフォード大学から出版されています。
日本も柔道は強いじゃないか、という声があがるかもしれませんが、柔道の場合は個人競技といえども日本発祥の競技として、日本人の誇りと使命感をもってあたかも団体競技のような体制で選手を育てているのが強さの理由でしょう。ここに日本人選手を育てる一つの答えがあります。米を主食とする日本人にとって集団合宿のもとでおこなう訓練は非常に有効なのです。 これに対して肉を主食としている欧米系の人たちは、団体競技であってもサッカーのように個人の力に依存している競技には非常に強い力を発揮します。個人の順位や勝負にこだわると強くなるのです。反面、肉食系の弱点は、自己主張が強く…
肉食系の動物でも獲物を捕るという目的が一致すると団結して獲物に飛びかかるように、肉食系の人間も必ず勝つという意識で団結することさえできれば、非常に強いチームになるのですが、それは裏を返せば、団結することがなかなか難しいということです。この感覚は、たとえばアメリカで生活していると日本にいるとき以上に強く感じることができます。みなさんも、アメリカの映画でバスケットボールチームなどの監督が試合中に、勝利の意識を植え付ける言葉をしつこいほど選手に反復させているシーンを見たことがあると思います。日本人…
しかし、草食系の民族にも独特の弱点があります。草食動物には、危険に直面すると体が固まって動けなくなる習性があります。これは、逃げるものを追いかけるという肉食動物の習性を逆用して、敵の目につかないようにする本能的な行動と考えられています。草食系の民族である日本人もまた、草食動物と同じように、危機的状況を迎えると体が硬くなって緊張する習性を受け継いでいるのです。しかも、いざ肉食動物と草食動物が戦えば草食動物はつねに敗れ、食べられる側にいます。草食系の民族にも、戦いとは負けるものだと考える遺伝子が植え付けられているのです。だから日本人にとって勝負とは、負けるという…
まず一つは、食べ物と習性の関係を理解し、試合の少し前から食事の内容を少しずつ変えていく方法です。そんなことがあるかと思われるかもしれませんが、肉をいつも食べていると、不思議なことに肉食動物と同じように動きが活発になり、一対一の勝負に燃える心が強くなるなど、徐々に行動パターンが変わってきます。反面、単独行動をとりがちになるなど、わがままな習性が芽生えてくるため、和を重んじる日本の組織になじめなくなる危険も生じてきます。実際、こうした人間の習性が理解されないために芽が出なかった選手の話をよく耳にします。これは、スポーツにかぎらず会社などにおいても共通していえることでしょう。みなさんの周囲にいる人の食生活と行動パターンを観察してみてください。肉が好きな人はバリバリと仕事をこなすので責任ある地位につく確率が高いと思いますが、一方で攻撃的なきつい性格を持っているので、泣かされている人も多いのではありませんか。
ひとつの例をご紹介しましょう。日本人ではありません。二〇〇六年のサッカー・ワールドカップに出場したブラジル代表チームの話です。 この大会でブラジル代表は「史上最強チーム」との評判をほしいままにし、メディアも優勝して当然と書きたてるなかで大会に臨みました。しかし、結果は準決勝で敗退と、決勝にも進めず多くの期待を裏切ってしまったのでした。このブラジル代表チームに大会期間中、ずっと密着取材していたあるジャーナリストはこういったそうです。 「彼らは、まったくいつもの彼らではなかった。練習中、常に絶えなかった笑い声も冗談も消え、重圧のためにサッカーを楽しむ気持ちを忘れてしまったように見えた」 どの国よりもサッカーを楽しむことを大切にしているブラジル代表チームにして、絶対に優勝というプレッシャーがかかるとこうなってしまうのです。目的に心を奪われないようにするには、本人たちだけでなく、周囲の協力も必要なのです。
運動の達人、つまり運動神経がよい人とは、これらの神経群を、空間認知知能と連動させることがうまい人のことをいいます。空間認知知能とは、第一章で述べた表現知能のひとつで、空間認知能力にかかわる知能です。みなさんも、運動を開始する前に「なんだかうまくいきそうだ」と感じたことはありませんか。実際にこんなときは、ほとんど思ったとおりにうまくいったはずです。逆に、「これは難しそうだ」と思ったこともあるでしょう。そんなときは実際に、うまくいったためしがないはずです。第一章でキャッチボールやゴルフのパッティングの例をあげましたが、「胸元へ投げよう」とか「いい転がり方をさせよう」と心に思うと体が自動的に調節するのも、この空間認知知能のおかげなのです。この知能を運動神経に連動させると、心に思ったとおりに、しかも無意識に体を動かす機能が高まります。オリンピックでメダルを獲るような選手は、ほとんどがこの能力が非常に高いことを示唆するコメントを残しています。私たちも空間認知知能を鍛えれば、達人並みの神業を繰り出すことも夢ではありません。鍛える方法については、第一章の脳外科医の例を参考にしてください。
ここで私が体験した、運動神経についての示唆に富んだ話をひとつ紹介します。 私は脳外科医としてパーキンソン病の治療に携わっていたことがあります。前にも述べた、脳の中でドーパミンが減ってしまう病気です。心を生みだすモジュレータ神経群や運動神経が、このドーパミンを神経伝達物質とするドーパミン系神経群の一つであることもお話ししました。 その当時は脳内のドーパミンをふやすよい薬がなかったため、パーキンソン病に対してはドーパミン系神経群の一部分に傷をつけ、ドーパミン分解を遅くすることによってドーパミンをできるだけ長く脳内にとどめるという手術をおこなっていました。手術が成功すると脳内にドーパミンがふえて、手足や体の震えが止まるのです。
自分では姿勢がよいと思っている読者は、試しに目を閉じて、同じ位置に着地するジャンプを十回続けてみてください。目を開けたときに同じ位置に着地していなかったら、運動バランスの支点がずれています。速足で歩くと疲れる人、大事なときに緊張して体が硬くなる人、椅子に腰掛けて話を聞いているとすぐに姿勢が崩れる人、人の話を持続して聞くことが苦手な人も運動バランスの姿勢が悪いことが多く、そういう人はどんなスポーツをやってもなかなか上達しません。 対して一流の運動選手は、立ち姿も運動中の姿勢も非常にきれいに見えるものです。その運動バランスの姿勢は、いったいどこにポイントがあるのでしょうか。
いくら練習しても腕を使うスポーツが上達しない人も、思ったところへボールを投げ、打つコントロールにさらに磨きをかけたい人も、尾骨、あごと目線を意識して自分の運動バランス姿勢を作り上げてください。目からウロコが落ちるように、急にレベルアップするかもしれません。スポーツ観戦も、人間の姿勢と運動に関する知識があれば面白さも倍増してきます。
長距離ランナーは腸が命
一流の運動選手になると非常に高いレベルの話ができるのも、運動知能が表現知能の一つだからです。学校で頭がよいとされる理論知能と、頭の使い方としては同じ領域に属するのです。さらにいえば、運動知能が高くてスポーツがうまいことは、大変頭がよい人であることの証拠なのです。
運動とは、空間認知知能や音感知能と同じ、脳の働きにほかなりません。絵のよしあしが描いた人の絵筆を持つ握力で決まらないように、ピアノ演奏のよしあしが弾く人の鍵盤を叩く力で決まらないように、運動もその人の腕力や脚力よりも、それらを動かしている脳がプレーのよしあしを決定するのです。 ですから本書で述べたことは、第三章に若干の例外があるほかはすべて、運動をモデルにした脳の働かせ方の話です。みなさんが日々直面している「勝負」に置き換えても当てはまることばかりです。どうかその点に留意していただき、人生をたくましく歩むための糧として本書を活用していただきたいと思います。
思えば、「勉強ができるやつ」「運動ができるやつ」という区別を子供の頃から学校でされてきたことが、誤解のもとなのでしょう。本書で述べたように、頭がいいことと運動ができることはまったく矛盾しないどころか、共通の根拠にもとづくことでした。モジュレータ神経群の機能を高め、心をいつも前向きに働かせることで、頭もよくなれば、運動もうまくなるのです。
ところが、学校が求める「頭のよさ」とは、人間の知能の四段階のうち、せいぜい第一段階(記憶) までのことにすぎません。全体のわずか二五パーセントにすぎない能力で、頭がいい、悪いとレッテルを貼っているのがいまの学校教育なのです(しかも記憶とは忘れるようにできているにもかかわらず!)。私たちが残りの七五パーセントの使い方を教えられないまま社会に出てしまっているとしたら、なんともったいないことでしょうか。