栗原俊雄の作品一覧
「栗原俊雄」の「シベリア抑留 最後の帰還者 家族をつないだ52通のハガキ」「シベリア抑留は「過去」なのか」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
この本に書かれている、大東亜戦争中の「いじめ」は、
これまで読んできた多くの本、、、代表は「はだしのゲン」だろうか?
を通じて嫌というほど読んできた。
なのでその記憶をよみがえらせる作業、という感が強かった。
え、ここまで酷いの?いじめ自殺もあれば、殺しもあるの?という思いはあったが、、
それより驚いたのは、
昨今、「戦前はいじめはなかった」などとのたまう人が少なからずいる、ということ。
そう、明治政府からの日本はすばらしかった、と、あの時代に戻したい連中が
そういうのだろう。
そのことの方が驚き。
いかにモノを知らないか。
あるいは知っててわざと知らんぷりをしているのか。
人間そんなきれいなものではないのだ。
いろんな失敗を繰り返し、そこから新しい秩序を生み出しているのだ。
いまかっこいいことを言っている欧米(あ、アメリカも戻ってしまったが)
少なくともヨーロッパも、過去にはろくでもない歴史があったのだ。
その失敗を、犠牲を乗り越えて、新たな価値観を気づいてきたのだ。
決して過去は否定していないのだ。
それを今の日本の風潮は、「過去の日本は良かった、戦後だめになった!昔に戻ろう!」
という。
確かにそういう部分はある。アメリカの属国になって、壊れた壊された価値観はたくさんあろう。
でも、少なくとも、それ以前の日本人が清廉潔白だったはずはない。
まして、、そういうことをのたまう人たちの多くは親米ではないか。
それって矛盾するのではないのか、、、
まあそっちはおいておいても、過去の失敗から次を生み出すしかなのだ。
関東大震災時の朝鮮人虐殺も、南京事件も、
災害、戦争という極限状態の中で、我々日本人が、いや、人間が、
やってしまったことなのだ。(南京事件の「30万人殺戮」の数は別として)
それは忘れてはいけない。
・・・
むしろ、家父長制の無理編にげんこつが負の連鎖で、
元は純朴だった人に恨みを抱かせ、
植民地引き上げ差別、抑留差別、疎開から戦後の差別(農村と都会)
を生むのかなあ。。。
まあ昔から農村は閉鎖的ともいうけれど、、、
都会は冷たいとも、、、
いじめにつながるだろうなあ、、
1章 学校
2章 疎開
3章 銃後生活―婦人会・隣組
4章 徴兵
5章 軍隊生活
6章 勤労動員
7章 植民地差別と引き揚げ
8章 抑留
9章 戦後
Posted by ブクログ
「一年のうち8月だけ、戦争について考えることでいいのだろうか?」
「戦争被害に『節目』はないからこそ、発信し続ける意味がある」
と表紙に書かれている。
「8月ジャーナリズム」・・・8月に戦争に関する報道が集中すること。「8月が近づいてきたから、戦争に関する本を意識的に読もう」と思っていた。
本書で著者は書いている。
「戦後」とは何か。一般的な常識としては、「戦争が終わった後」ということだろう。しかし、戦争は本当に終わったのだろうか。
戦闘は、80年前に確かに終わった。だが、戦争被害は、終わらずに今も残っている。
「戦闘」は終わった。でも、「戦争被害」は残っている。この言葉にハッとしました。「戦争被害」が残っていることは、戦争に関する本を読めば分かる。でも、著者のようにそこまで思いを馳せることが出来ていなかった。
戦争に関する本を読んだり、話を聞いたりするのはしんどいことだと思う。苦しくなるから。でも、愚行を繰り返さないためには、必要なことなのだと思う。
「戦争なんてとんでもない」民意の広がり。それが戦争の抑止力になるはず。その著者の信念に、私もそう思います。
8月だけに限らず、関する本を読んでいきたいと思うし、ジャーナリズムも発信してほしいと思う。
Posted by ブクログ
「いじめ」という呼び方には、日頃から反対している。
力であれ言葉であれ、人が人を傷つける行為は、まごうことなき犯罪だ。加害者は自分の所業を猛省し、心の底から被害者に詫びなければならない。
「いじめはなかった/少なかった」と(なぜか)言われる戦前・戦時中にも、実は凶悪な「いじめ」が蔓延っていた。
太平洋戦争が題材のドラマでは、上官や憲兵が「貴様はそれでも日本男児か!」と、鉄拳を喰らわすシーンをよく見かける。だが実際はその程度で済まず、更には軍隊以外でも「いじめ」のフィールドが広がっていた…。
「いじめ」という呼び方がいかに相応しくないか。本書を読んで、そう実感してくれる人が増えることを願っている。
「私の戦争は、米英との戦いではなくて、疎開者を『場所(都会の意味)から来た者』と呼び、差別した人々との戦いだったのです」(P 46)
学校・疎開・銃後生活(婦人会・隣組)・徴兵・軍隊生活・勤労動員・植民地差別と引き揚げ・抑留・戦後…
長年隠蔽されてきた証言もあったが、記録を掘り起こせば、こんなにも「いじめ」の現場が出てくる出てくる…。
疎開については食糧難やホームシック問題の印象が強かったが、現地の子供だけでなく大人からも容赦ない扱いを受けていたという。それも「疎開者が来ることで食料を奪われる」という、何とも身勝手な理由からだ。
空襲の被害を訴えても、「おめおめと逃げてきたのか」とバカにされる。泣き言を言えば「甘ったれるな」と大目玉を喰らう。
知らない土地で心が壊れるくらいなら、親元へ帰る方を選ぶのも無理はない…
徴兵や軍隊生活の章でも感じたけど、当時の加害者らはこうした理不尽を「いじめ」ではなく、「教育」だと言い張ってきたのだろう。力をもって弱い立場の人間を屈服させる。(八つ当たりであることも多々あり) 彼らにとっては、楽な「教育方法」に違いない。
しかし過度な「いじめ」で命を落としたり、自ら命を絶つ者を発生させるこれが「教育」なのか?自分たちが無抵抗の立場にあっても、無条件に「教育」を受け入れられるのか?
どれだけ解説を読んでも、そうした疑問が後を絶たなかった。
「”民主主義” ”愛” “平和” “正義” “弱い人を助け合いましょう” “めぐまれない人に愛の手を……”、なんと空虚で空々しい言葉と標語であろうか。人間がそんなに綺麗なことを言える動物か」(P 207)
だが「いじめ」の最大の黒幕は、日本政府であった。
補償なしどころか戦争孤児の調査をいい加減に済ませる等、舐めたマネもいいところだ。そのせいで、最近まで戦争PTSDが認められなかったり、孤児たちが引き取り先でトラウマ級のつらい目に遭ったりした。
国家による「いじめ」が、人々の本性を引き出したのだ。
「いじめ」発生のメカニズムが分析されているのも、著者らしい手法だ。(普段は、いじめ問題に取り組むNPOの代表を務められている) 「明らかにせずにいると、本書のような悲劇が再び繰り返される」という危機感からだろう。
(国家を含め)当時の加害者らは、詫びもせずにこの世を去った。それを許してしまったことも、「いじめ」を軽視しがちな現代を生み出した原因に違いない。
Posted by ブクログ
「八月ジャーナリズム」という言葉がある
聞いたことがある人、ない人、様々だと思うが、内容はなんとなく想像できるのではないだろうか
広島、長崎の原爆投下、玉音放送(終戦記念日)があり、お盆という死者を偲ぶ季節柄と相まって、毎年風物詩のように8月に集中し、繰り返される戦争報道を揶揄して使われる言葉
筆者は毎日新聞の記者であり、長年戦後賠償や戦没者の遺骨収容について取材を続けている栗原俊雄さん
本書は栗原俊雄さんの「八月ジャーナリズム」に関する、やや否定的な姿勢からスタートする
自らを「常夏記者」と称し、戦争報道はいつでも必要だとのスタンスで取材を続けられている
「八月ジャーナリズム」に対しては主に3つの意見に集約されると思う
①八月に限らず常に報道すべきだという否定的な意見
②もういい加減報道自体終わらすべきだ、いつまで戦後だ!というこれも否定的な意見だが①とは百八十度違う
③八月だけでもしっかりと「非戦」を考えることには意義あるとするやや肯定的な意見
(無関心というのも意見と認めるなら4つ?)
自分は①よりの③の意見
常に考えようというのは理想だけど、例え風物詩化していたとしても、それはそれで意義のあることだと思う
栗原俊雄さん自身も、①から③へ論調が変化しているように感じました
みなさんはどの様に感じるでしょうか
そして本書の中で印象的だったのは、「語り部」は「聞き手」がいなければ、その存在足り得ないという話
そして、まだまだ「語り部」が残っている今、「聞き手」としての役割こそが今の報道に、より求められているのではないかというところ
全くその通りだと思う
そして八月に限らず、その語りを届けてほしいと願います