作品一覧
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3.7天正5年(1577)、上杉謙信軍と織田信長軍が加賀・手取川で激突。史料に乏しく「幻の合戦」と目されている手取川合戦である。もともと謙信と信長は長らく友好関係を結んでいた。両者は何を理由に友好関係を結んだのか。それがなぜ破綻して軍事衝突することになったのか。合戦後両者はどうなったのか。本書では気鋭の歴史家が、両雄の生涯を史料に基づいて丁寧に綴り、最後に手取川合戦の経緯を復元。「手取川で最後まで奮戦したのは羽柴秀吉だった」「謙信が企んだ上洛作戦の全貌」などこれまで誰も気づかなかった新事実を語る。 ●正戦思想の発露 ●村上義清の隊形から発展した「車懸り」の戦法 ●謙信と信長の軍制 ●太田牛一の『信長公記』誤記の謎 ●信長は天下を望んでいたわけではない ●幕政から逃げるための「殿中御掟」発布 ●魔王・信長の誕生 ●信長を見限った謙信 ●手取川合戦の全貌
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3.8群雄割拠の戦国時代、常に戦に勝利し、戦国最強と謳われる武将・上杉謙信。 彼は越後から関東へ「十数回」の遠征を繰り返した。この遠征は「越山(えつざん)」とも呼ばれ、険しい山々を越えたことから、この呼び名が定着した。 越山は謙信が31歳から16年ほど続けられ、49歳の時、最後となる越山計画の出陣前に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。 謙信はなぜ、エネルギーの多くを越山に費やしたのだろうか。「義侠」という道楽か、それとも「略奪」という実益か。 越山の真相とともに、武田信玄、北条氏康ら同時代を駆け抜けた武将らの活躍も網羅した、関東戦国史の幕が開く。 JBpressの人気連載がついに書籍化。大幅に加筆修正を加え、書き下ろしコラムも掲載。西よりも激しい、東の武将の生き様に刮目せよ!
ユーザーレビュー
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Posted by ブクログ
謙信の越山が何に動かされたものだったのか、史料を読み直しつつ誤った通説を否定しながら解明していく。
まず関東の情勢を把握する必要があるが、古河公方の晴氏が北条氏の台頭を許すが、対立が生じ敗れた公方方の上杉憲政は長尾景虎を頼る。謙信は望まず関東管領名代に就任、さらに上洛中に知り合った関白近衛前久を摂家将軍として迎える構想を持って越山した。また、第4回川中島の合戦は、局地戦だった1〜3回と違い、小笠原長時復帰も目論まれ政局に連接していた。結局関白は藤氏に愛想を尽かし帰京してしまい、関東には戦災と火種だけが残ったという。
上杉七免許、女性説について本人の性自認は男であったこと、生涯不犯は兄への義理立 -
Posted by ブクログ
“時代モノ”のファンを自認する人の中には…「無制限の制作費」を投入して、勇壮でリアルな、そしてドラマチックな戦国時代の合戦場面を映像で再現してみたいというような、傍目には莫迦らしいかもしれないようなことを夢想する人が在るのかもしれない…実は私自身にもそういう傾向が無いでもないのだが…本書に触れて、恐らく著者はそういう傾向をかなり強く帯びているのかもしれない等と思った…
本書の文中でも触れられているが…戦国武将等が「○○の陣」等というモノを用いていたらしいというような事柄に関して、実は然程深い研究は行われていない…本書は、そういう「○○の陣」というようなモノに関して、「“戦”というモノが辿った