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Posted by ブクログ
鶴翼は強いはずだ、という気持ち
鶴翼と言えば、私が名前を知っている唯一の陣形で、古代カルタゴの名将ハンニバルがローマ軍を打ち破った戦形と記憶していた。塩野七生著『ローマ人の物語・ハンニバル戦記』を読み返してみる。確かナイキのマークのような図解を用いて鶴翼を説明していたはずだ、と。 パラパラめくると「これから述べるのは、日本の防衛大学校ではどうか知らないが、欧米の士官学校ならば必ず学習させれるという、史上有名なカンネの会戦である」との記述に再会する。そうだそうだ、ここの部分だよと読み返してみる。結果、中身は鶴翼のことを書いていたと思う。しかし、ついぞナイキのマークのような図解も「鶴翼」の言葉も見つけられなかった。 陣形に関して、そんなあやふやな知識しかない私が『戦国の陣形』と題した本書を読む前に抱いたのは、日本の戦国武将は当然、「鶴翼」をはじめとする陣形に関して研究に研究を重ね知悉していただろう、ということだった。 しかし、実態は違っていて、武将たちの間でも何となくこんなもんだろうぐらいのイメージで使われていたらしい。本書は、歴史を遡り日本の合戦の実態を浮き彫りにした。強いて言えば、武田信玄が山本勘助の上申を受けて使ってみた陣形というものがあっただけで、それも実戦では有効ではなかったようだ。 関が原の戦いの布陣図を見たドイツのメッケル少佐が即座に「西軍が勝ち」と言った話は有名だ。西軍が鶴翼の布陣を敷いていたからだとされる。しかし、関が原の布陣図が発行されたのはメッケル少佐の帰国後だったそうで、この話が本当かどうかは怪しいらしい。実際の関が原の合戦は、両陣がしっかりと配置を終えてから激突したのではなく、部隊が動く中で勝負を決した可能性もあるという。鶴翼の陣形が強いという話をするために、メッケル少佐が使われたか。陣形とは戦に必勝形を見たいという後世の人の気持ちが生んだものなのかもしれない。
Posted by ブクログ
“時代モノ”のファンを自認する人の中には…「無制限の制作費」を投入して、勇壮でリアルな、そしてドラマチックな戦国時代の合戦場面を映像で再現してみたいというような、傍目には莫迦らしいかもしれないようなことを夢想する人が在るのかもしれない…実は私自身にもそういう傾向が無いでもないのだが…本書に触れて、恐らく著者はそういう傾向をかなり強く帯びているのかもしれない等と思った…
本書の文中でも触れられているが…戦国武将等が「○○の陣」等というモノを用いていたらしいというような事柄に関して、実は然程深い研究は行われていない…本書は、そういう「○○の陣」というようなモノに関して、「“戦”というモノが辿った経過」を考えてみることを積み上げて考察している。或いは非常に画期的な内容を含むのが本書である。
本作は、限られた紙幅の中で、なかなかに深く考察を展開していて、非常に面白かった!!
Posted by ブクログ
明快に陣形の歴史を概観できた。といっても陣形らしい陣形はなく、鶴翼のばっさり、魚鱗のびっしり、くらいしかなかった。たしかに小領主が自分の一族郎党を率いた舞台の集合体に細かく指示できるわけでもなく、兵種も混合しているので、ただ個人の武勇や物量で勝敗が決まった。戦国時代、新たな戦陣を編み出そうとしたのが武田信玄と山本勘助。だが、これも捨て身の村上義清に破られ、義清の陣形を取り入れた上杉謙信に敗れで、機能しなかった。結果、村上義清が信玄の首を取るためにやけっぱちで編み出した五段階の陣形が上杉謙信、武田信玄、北条氏康らに取り入れられる。大名が強い権力とお金を持ち、強力な馬廻を組織できて可能になる。織田信長は明智光秀が取り入れた可能性があるくらい。豊臣秀吉以降、全国に広まり、朝鮮でも猛威を振るった。江戸時代はこれが定型となる。シンプルに鉄砲、弓で敵陣を崩し、槍で押し込み、騎馬と刀の白兵戦で決着をつける。石高に応じた馬と槍と鉄砲と人数を軍役として課すことで均一な軍隊が誕生した。八陣などは風后の神話を諸葛亮が推測して八陣を考えのが日本に伝わり、信玄が創造し直したがやはりうまくいかない机上の産物だった。しかし江戸時代、実戦がない中で信玄の八陣が蘇り、甲州流軍学として後世に大きな影響と誤解を与えた。
Posted by ブクログ
タイトルは「戦国の陣形」だが、要点としては日本の戦国時代には実態としての「陣形」なんてなかった、という本。
会戦に際し、兵の集団を決められた形に配置して運用する(それができるよう訓練する)陣形は日本の場合、大陸との戦闘を想定した律令制下には一時、存在したものの、結局大陸との大規模戦闘は白村江以降の古代では発生しなかった。
蝦夷勢力等と戦う上では会戦を想定している陣形は有効ではない(相手が集団ではなく散兵であるため)。
騎馬に乗った武士は運用としては散兵に近く、鎌倉~室町も陣形らしい陣形はない。魚鱗の陣・鶴翼の陣みたいな表現は出てくるが、密集せよ・散開せよくらいの意味できちんと決まった形はない(そもそも、領主ごとの集団や、「俺についてこい!」「おう!」みたいな固まりで戦闘してるので、司令官の下で秩序だった展開なんてしていない)。
きちんと形の決まった陣形を導入したのは武田信玄・山本勘助であることは確からしいが、その陣形も有効に機能した記録はない。
むしろ信玄に一矢報いるために村上氏が生み出した、旗本の下に兵種ごとに一定数の兵を揃えて、それを組み合わせて運用する(その組み合わせの力で一点突破して信玄を攻撃する)先方の方が有効で、その戦法はそのまま上杉氏に取り入れられた上、北条・武田にも波及し、後に豊臣政権⇒徳川政権にも取り入れられる(領主ごとに、各兵種を決められた数拠出することを義務付ける⇒それを兵種ごとにわけて再編成して運用する)。
江戸時代以降に「なんか陣形ってのがあったらしい」と机上で研究が進むが、日本でそれがまともに機能したことなんてなかったらしいぞ、と。
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