あらすじ
一介の「兵」に過ぎなかった男はなぜ権力に背き、いかに坂東を制し「新皇」として君臨したか。皇室の永続を運命づけた日本史の転換点。
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天命により一介の「兵(つわもの)」から「皇(おう)」となった将門。彼が「侍(武士)」の原型となったわけでなく、逆に朝廷の命を受け将門を討伐した「兵」が、その武功により「軍事貴族」である「侍(武士)」の時代を築くこととなる。辺境であった関東の乱が、その後の日本に「武士の誕生」と「皇室の永続」を運命づけた。
将門塚の不死の首伝説が、戦国時代の三浦義意伝説の翻案との説も興味深い。
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将門について、これほどまで分かりやすく書かれた本を読んだことがない。その後の日本を決定付けた乱であったこと、そして、我が国における武士の成り立ちを理解できた。もしあの時、将門が京に赴き、弁明に成功していたら、ボタンのかけ違いがなければ、日本はどうなっていたか、想像せざるを得ない。
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一族同士の争いから関東八州の国司を手中に加え、新皇として即位した後、追討された平将門についての研究。
正しく振る舞っていたにも関わらず、情勢による朝廷の不安感(藤原純友の乱、中国では唐王朝が朱全忠により倒され、朝鮮でも新羅が高麗に滅ぼされるという王朝交代の時期)と讒言により追われる立場となり、最終的に滅ぼされる悲しさを感じた。
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将門記をもとに将門の生涯を解説。将門記をなぞっていくだけな感じがあり、すこし短調。単に将門の事績を追うだけでなく。その時代における東国の制度・情勢について解説があれば、背景知識として広がりがあったのだろうが。
10世紀の東国である以上、そもそも十分な史料がないのは致し方ないが。
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将門は蔭子だったのか (´・ω・`)
長屋王の時に蔭位は21歳自動的に官位が下されるやに書いてあった
一方、21歳以降時々の事情で下される場合もあるので長屋王の年齢比定の疑義を言う先生もいた
将門は21歳過ぎても無位無官、仕えたのは政界の有力者の藤原忠平なので条件は良い
故に931年父の良持(従四位下)の死で帰国したのは20歳ころである(通説より10歳若い)
本筋じゃないところが面白い
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平将門について、当時の状況を整理し、その乱の背景を分かりやすく整理しています。また、神田明神や首塚の伝説についても言及しています。
残念だったのは、先行研究についてあれこれ言及しているにも関わらず、自説については言って終わりになってしまっており、自説についての検討が全く行われていないので、説得力に欠けるところですかね。