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金哲彦
1964年、福岡県北九州市に生まれる。NPO法人「ニッポンランナーズ」で市民ランナーの指導にあたる。プロフェッショナルランニングコーチであり、陸上競技・駅伝解説者としても活躍中。著書に『金哲彦のランニング・メソッド』(高橋書店)、『3時間台で完走するマラソン』(光文社新書)、 『「体幹」ランニング』(講談社)、『走る意味―命を救うランニング』(講談社現代新書)などがある。
癒しのランニング (講談社現代新書)
by 金哲彦
ランニングの持つ奥深さや人それぞれが感じるランニングの魅力が広がってきた証拠です。
夜の街でリュックを背負い走っている市民ランナーを見かけることもあります。通勤ランニングで帰宅途中なのでしょう、音楽を聴きながら自分の世界に没頭し恍惚とした表情をしています。一日中頑張って溜まった仕事のストレスを走ることでリセットしているように見えます。
誰もが知らず知らずのうちに走ることで心を整える術を身につけていきます。
人の心を表す「喜怒哀楽」という言葉があります。走っているときは苦しそうな表情や楽しそうな表情はありますが、怒っている表情や哀しい表情と出会うことはほとんどありません。
それは、ランニングが他人との関係で始まるのではなく、まず裸の自分自身と向き合うことから始まるからでしょう。走ると不思議と感情の余分なものが削ぎ落とされシンプルな自分に戻れます。複雑な人間社会で疲れた人たちは、自分らしさをシンプルに取り戻したいと心の中で望んでいます。本当の自分を再確認するために走るという深層心理のようなものが働いているのかもしれません。
うつ病患者と初めて出会ったとき、顔がみな無表情なことに衝撃を受けまし
また、ほとんどの人の背中は丸まって、いわゆる猫背になっていまし
ダイエットに人気の代表的な有酸素運動は、ウォーキング、ランニング、サイクリング、スイミングなどです。そのうちジャンプ運動を伴うのはランニングだけ。つまり、抗重力筋をフル活用しセロトニン活性化効果が高い有酸素運動はまさにランニングなのです。
学生時代まで運動部に入っていたとしても、大人になって仕事が忙しくなると運動不足になります。また、仕事のノルマや職場の人間関係がうまくいかなくなるとストレスが溜まります。自分なりのストレス解消法を持っていればいいのですが、手軽な飲酒や甘いものを食べるなどのストレス解消法が続くと肥満になりかねませ
溜まっていく一方のストレスを何らかのアクティビティで自分を癒すことで少しずつ解放していくこと。その一つがランニングなのです。
一流選手に混じって市民ランナーも参加できる日本で初めてのマラソン大会となる青梅マラソンが始まったのが一九六七年でした。そうした素地があるところに、ランニングブームが広まりだし、一九七六年には市民ランナー向けとしては初のランニング専門誌『ランナーズ』が創刊されます。
しかし、本来「走る」ということは人間にとっての本能の一つであり、楽しいことです。その証拠に、小さな子どもたちは嬉しいときには走り回ります。喜びの表現として走るというより、走ること自体が楽しいのです。 走ることが楽しいのは、実は大人にとっても同じなのです。どんなペースで走るのも自由、レースに出るのも自由、そういう「義務」から解放され、自分自身の意思で始めるランニングというのは、喜びを実感できるスポーツなのです。
彼らはどういう人種かというと、もともとは霞が関の役人が大半だったようです。 霞が関の官僚は残業が非常に多いことで知られますが、一日中デスクワークをし、身体を動かす機会はほとんどありません。当然ストレスもものすごい。 そういう人たちの唯一のリフレッシュ法が、昼休みを利用して、皇居一周約5キロのコースを走ることだったのです。頭脳を酷使する彼らにとって、軽く汗をかける運動は極上の「癒し」になったのでしょう。
記録を伸ばすために走る」人や「ダイエットのために走る」人ではなく、こうした「『癒し』を求めて走る」人だと私は分析しています。 なぜランニングによって人は癒されるのか、もう少し詳しく見ていきましょう。 一キロ5~7分くらいのペースでゆっくり走ると、当然、心拍数も上がり汗をかくことができます。まずそれだけで身体はスッキリします。 さらに脳内で癒しのホルモンも分泌されます。 正しいフォームで走ると、抗重力筋を使用することになりますが、この筋肉を使ってランニングのようなリズム運動を一定時間続けると、脳内でホルモンの一種であるセロトニンが大量に分泌されるのです。これがまさに癒しのホルモンなのです。
走っていると、人はストレスから解放されるのです。人間は、頭の中に解決しない問題がずっと残っていてそれが蓄積していくと強いストレスを感じるようになります。
もちろんいくら走っても抱えている問題が解決するわけではありません。 でも、走ることによって一時的にでもその気にかかっていた問題を忘れ、頭の中をリセットすることはできます。走っている間に頭の中が整理されると、懸案事項を冷静に考え直したり、違う方向から捉えたりすることができ、問題解決の糸口を見つけることができるようになるのです。
実はランニングをすると、「仕事が上手くいく」という効果も期待できるの
クリエイティブなアイディアが浮かぶ 第一に、仕事の効率がよくなります。「働く」ということの実際の中身を考えると、「作業」という側面もありますが、基本はクリエイティブなものではないでしょうか。作家やデザイナーの仕事だけがクリエイティブなのではなく、仕事の段取りを考えたり、書類を作ったりするのもクリエイティブです。「今日はどの顧客を訪問し、どんな提案をしてこようか」と考える営業の仕事だってクリエイティブです。言ってみれば、全ての仕事にクリエイティビティが必要です。
そして、不思議なことにランニングをすると、頭の中が整理されて、クリエイティビティにとって大切な新しいアイディアが浮かんでくることが多いのです。走りに集中するうちに、複雑に絡み合っていた問題の糸がほぐれ始め、頭の中がクリアになってくる。そんなとき、フッと仕事のアイディアが浮かんでくる。こんな経験を持つ人は案外多いのではないでしょうか。走り終わったときには、仕事の段取りがほぼ組み上がっていたり、次の企画の切り口が見つかったり、という体験です。 「デキる」ビジネスマンの中には毎朝のランニングを習慣にしている人が多いのですが、そういう人はこの効果を期待している場合が多いと思います。まず、頭の中を整理してから毎日仕事に取りかかっているのです。
実は一人でゆっくりしたペースで行うランニングというのも、ある種の「閉鎖的空間」で「リラックス」できる行為なのです。そこにリズム運動によって脳内にセロトニンが分泌されるのですから、よりアイディアが出やすい状態に自分を持っていくことができるのです。
彼らの仕事そのものがハードだからです。ただしそれは単に肉体的にハードというより、時間に追われ、神経をすり減らすような精神面でのハードさを伴うものです。
そうした生活を続けていくと、肉体を使うことは少ないので体力はどんどん落ちていく一方で、精神面での消耗が続きます。これが長期間にわたると、病気になってしまいます。 ランニングは、神経疲労を取り去りストレス解消にもなりますし、そもそも体力の向上にもつながります。走ることで精神面の消耗を解消し、元気になることができるのです。いわば、走ることによって、心身両面のバランスを取り戻すことができるのです。
少し走っただけでも達成感がある フルマラソンを完走すれば非常に大きな達成感が得られます。ただ不思議なことに、この達成感というのは、ちょっとした距離を走っただけでも得られるのです。これがランニングの面白いところです。
だけど、ランニングをすれば、誰でも簡単に達成感を味わうことができる。これは精神衛生上、とても大きなメリットです。
ストレス解消にお酒を飲んでカラオケで大声を出すという人もいるでしょう。これは達成感を得るのではなくて、ワーッと発散することでスッキリするというストレス解消法です。それも一つの方法ではありますが、お酒の飲みすぎは身体、特に内臓に負担をかけます。それにくらべればランニングはよほど健康的です。
不思議と走りながらネガティブなことを言うことはありませんし、相手に対して攻撃的なことも口にしないのです。
ランニングは、極論してしまえば身体一つでできるシンプルなスポーツです。
みんなが「走る」という共通の行為によって平等に繫がれるのです。
そしてランニングというのは、もっとも簡単に自然の中に入っていくことのできる行為でもあります。頰に風を感じて走るだけで、自分自身が自然の中に入っていけるのです。人間が本来持っている、自然の中に還りたいという本能をすぐに満たすことができるのです。 もちろん山や海辺、あるいは皇居の周りや大きな公園のような場所であれば、その欲求はより満たされるでしょうが、住宅街を走るだけでも十分に自然を感じることはできます。 ランニングマシーンだとそうはいきません。
マシーンでのトレーニングについては、「暑さ・寒さ、天候に左右されない」とか「夜でも危険がなく取り組める」という利点がありますが、「癒し」という面から考えても屋外を実際に走ることをお勧めします。
その人たちが口を揃えて言うのは、「ランニングを始めて本当によかった」ということです。ランニングを始めてから、仕事もはかどるようになったし、瘦せて見た目もよくなった。風邪もひかなくなった。一緒にランニングを始めた会社の仲間との人間関係もよくなった、などさまざまな面での効果を実感しているようです。
つまりランニングというのは、何かを犠牲にすることなく、さまざまな面でメリットを享受することができるスポーツなのです。
自分が専門家だから言うのではありませんが、ランニングは人生を豊かにしてくれます。「走るのは嫌い」と思い込み、敬遠してしまうのは、実にもったいないことなのです。
第一章で「リズム運動によって脳内にセロトニンが分泌される」と述べましたが、実はこのセロトニンはうつ状態を緩和させるのに有効な物質なのです。
これはある医師から聞いたことですが、自殺した人の脳を調べてみたところ、セロトニンがほとんどない状態だったそうです。喜びや癒しという人間らしい感情を全く感じられない状態になった人が、最後に死を選んでしまうというのです。
単なる有酸素運動ではなく、本格的に走ることによって自分自身の壁を乗り越え、達成感を感じてもらう」
こうして、私はうつや躁うつなどの精神疾患を抱える患者さんと向き合うことになったのです。
このように、私には「うつにはジャンプ運動がいい」という持論があります。
ただ、走るのは病院裏の森の中。
実は彼女の人生は、それまで親に言われたコースを忠実になぞる作業の繰り返しだったようなのです。いい大学を出て、いい会社に就職もした。確かにエリートコースなのですが、全てが親の指示通り、自分で何かを決断した経験がまったくと言っていいほどなかったのです。
うつ病でリストカットを繰り返していた人が、ランニングで人生を変えられるということを実証してくれたのです。
「走る」ことは人間の本能に根ざした自然な行動
抗うつ剤は症状の改善や再発の防止には有効ですが、根本的な原因を治すというものではありません。 一方、ランニングという取り組みは、薬に頼るのではなく、自分の身体を動かすことで、精神の病気を治そうというやり方です。
うつ病の場合、投薬治療をしても再発率は七〇パーセント程度あるそうです。
子どもは走り回るのが大好きですが、私はこれはジャンプ運動でセロトニンが分泌されるからだと思っています。だから走っているだけで、楽しく、うきうきした気分になるのです。きっと子どもは本能に従って走り回っているのです。
私たちは、走ることで人間本来の自然な姿に立ち返ることが出来る。自然な姿になれるからこそ、ランニングは心身のバランスを保つことに効果を発揮するのではないかと思うのです。
ランニングはやや負荷が高い運動ですが継続しやすいスポーツです。継続のしやすさからいったらウォーキングでもいいのですが、そこから得られる体力という面を考慮に入れるならば、ウォーキングよりもランニングのほうが健康増進には効果的と言えます。
けれどもランニングには、人間が持つ根源的な力を感じさせる要素がある。「生きている」という実感を走っている本人も、その姿を見ている人も得ることができるのです。
ランニングは見た目の加齢も防ぐことができます。「若く」見えるためには、姿勢や肌つやがいいことが必要ですが、ランニングは姿勢もよくなりますし、新陳代謝もよくなり老廃物が排出されます。ランニングを継続して行っている人は、男性も女性も実年齢より五~一〇歳は若く見えるというのが私の実感です。
私は四二歳のとき大腸がんになり、大きな手術と入院を経験しました。手術直後、体力は以前とは比べものにならないくらい低下しました。退院後は、再発の恐怖に怯えなければなりませんでした。再発を防ぐために抗がん剤治療を続けるのが一般的なセオリーです。 しかし、抗がん剤を続けたら、体力がもっと落ちるでしょう。ランニングを仕事の中心にしている私にとって、それだけは避けなければならないことでした。 がんの再発を防ぐ方法というのは、極論すれば二つに分けられると思います。一つは薬剤による対症療法です。がんを例に取れば、抗がん剤というのは、九九パーセントの細胞は健康であっても、一パーセントのがん細胞を抑えるため、残りの健康な九九パーセントの細胞も痛めつけてしまう治療法です。当然、身体全体へのダメージは大きい。 もう一方のやり方は、免疫力を高めることによって、薬剤に頼らず自分で治してしまう方法です。ランニングで高めた免疫力によって、健康な九九パーセントの細胞をより健康にして、一パーセントのがん細胞がそれ以上大きくならないよう封じ込めるという考え方です。
退院後、私は、抗がん剤治療ではなく、走ることで身体が本来持っている免疫力を高める道を選びました。 いまではがんを患う前よりも元気になりました。だから知人からは「『ステージ Ⅲ』の大腸がんからよく復活したね」とよく言われます。そんなときに私は、冗談まじりに「走って治したんです」と言っています。走ることで免疫力を上げたし、体力も取り戻しているわけですから。
ストレスを上手に解消
ランニングをすることによって、「死の恐怖」という精神的なストレスからも解放されました。
極論すれば病気の大きな原因はストレスです。
肩こりや腰痛が改善
ランニングには、身体バランスを本来自分が持っているものに修正してくれる効果があるのです。だから正しいフォームでランニングをすれば、自然に身体バランスが修正されて、それだけでひどい肩こりや腰痛が改善されるのです。
正しいフォームでランニングを続けていれば、これらの症状の多くは未然に防ぐことができます。
ランニングで背中の筋肉を動かしやすくしておけば、ぎっくり腰にも肩こりにも悩まされにくくなるでしょう。
また私がいつも思うことなのですが、人は走っているときには、その人本来の素に戻っていて、社長もヒラ社員も、イケメンもそうでない人も、老人も若者も関係なく、平等な存在になっているのです。みな、ただのランナーになっているのです。 実際、走りながら他のランナーに「美人ですね」「美男子ですね」と声をかける人はいません。「走り方がかっこいいですね」「ウェアがかわいいですね」と、ランニングに関することは話題になりますが、顔の造作や会社での立場についての話はまず話題に上りません。走っているときは「走る」ことだけに意識が集中して、飾り気のない、素の表情や性格が表に出てくるのです。
女性ランナーは強くかっこいい
三〇歳前後の女性は、会社の中での出世とか結婚とか、人生の大きな岐路に直面する機会が多くあります。そうした節目の年齢を迎えるにあたって、自分に自信をつけるため、次のステップへの自信をつけるために走るという人が多いようなのです。なかなか越えられない、年齢的に越えなければいけないハードルを、フルマラソンを走ることで精神的に越えようとしているのではないでしょうか。 かつて女性ランナーといえば、ダイエットを目的として始める人が多かったのですが、いまはそれだけが目的ではありません。
一方の男性には、そのように走ることで何かにケジメをつけようという意識があまりないようです。しかし、フルマラソンに参加している三〇歳前後の女性の多くは、そこに精神的な成長を求めているような気がしてなりません。
一つはアスリート・グループです。
三つのグループを分けるのはタイムではなく、あくまでメンタリティ。ジョガー・グループでも速い人はいますが、たまたま速いだけで、レースを走るメンタリティは、実は完走だけを目指している、というような人もいるのです。 男性に多いのは中間のランナー・グループです。常にしっかり走りたいと思っている。そして女性に多いのは、ジョガー・グループです。いまのランニングブームを支えているのもこの人たちと言ってもいいかもしれません。
〝癒し〟を実感するジョガー・グループ では、ジョガー・グループの女性たちは、ランニングブームが終わったらもう走らなくなってしまうのでしょうか? 私はあまり心配していません。彼女たちは、この本のテーマでもある〝癒しのランニング〟をすでに体験しています。「なんか、走るといいよね」と感じているうちに、きっと「そうか、これって癒されていたんだ。ランニングに癒しの効果があったんだわ」と気づいているはずです。 いや、むしろ先ほどの三つの分類で言えば、ランニングで一番〝癒し〟を実感することができるのが、ジョガー・グループなのです。
ジョガー・グループは全ての走りが癒しに直結しています。大会に出場してもジョギングのペースで走っていれば癒される、完走すればさらに癒されるわけです。
可能ならば、読者の皆さんもどんな走りでも癒されるようになってほしいと思い
たとえば、「タイムは遅いんだけれど、アスリート的なメンタリティをキープしながら、かつ癒されたい」という人は、思い切って目標を下げてみたらいいと思います。大会で誰かと競い合うのではなく、年齢を重ねるごとに自己記録の目標を設定するのも一つの方法です。「去年は4時間 20 分かかったけれど、今年は一歳年をとったので目標を4時間 30 分にしよう」といったスタイルにすれば、その目標がクリアできたときには十分満足できるのではないでしょうか。
走ることは頑張ることではない
癒しのためのランニングについてもう少し説明すると、「走ること=頑張ること」と捉えている人は全身に力が入りがちになり、癒しになりません。走りきった後は爽快感で癒されるでしょうが、本来は走っている最中にも癒される、それが癒しのためのランニングです。ですから「走ること=頑張ること」ではないのです。
癒しのランニングは、身体に正直にやらなければなりません。
それ以前はというと、女性にはフルマラソンは無理、という意見が大半でした。
日本の女性は粘り強い
もともと大和撫子は粘り強い性格をしています。
自分に自信を持つために走る
それがいまでは、これまでの弱い自分を乗り越えるための〝修行〟とまではいかないでしょうが、フルマラソンを完走する達成感を得るため、自分に自信を持つための一つの手段として走っている人が増えています。
走るということは自分に自信を持つこと、言い換えれば、自分を好きになることにつながります。
女性の場合、「母は強し」という言葉がありますが、母親にならなくてもマラソンをすれば女性は強くなるのです。
ところが、お姉さんと一緒にマラソンを始めてから気持ちが前向きになり、誰とでも話ができるような性格に変わったそうです。
このように、走ることで強い気持ち、前向きな気持ちを培うことができるのです。
ランニングは「かっこいい」
「一日休むと取り戻すのに三日かかる」とか「三日休むと取り戻すのに一週間かかる」などと言われることもありますが、それはレベルの高い人たちの話です。一般のランナーはそんなことを考えずに、ランニングによる癒しを何よりも優先するべきなのです。
学生時代の「走る=辛い」イメージ
言い換えれば、楽しく走ることを許してもらっていないのです。
二〇歳代では走る機会が失われる
走ることで食べるものの好みが変化する
二〇歳代から走る習慣があると、ジャンクフードを食べる気がしなくなります。それは身体が欲しいものを食べるようになるからです。食べるものの好みが明らかによくなるのです。
脂っこいものが食べたいという場合は、口や舌が欲しがっているのだと思います。身体を酷使した後に食べたくなるものは、身体が、もっと言えば筋肉や細胞が欲しがっているものなのです。それは塩分だったり、良質のタンパク質だったり、炭水化物だったり、ビタミンだったりしますが、決して豪華で美味なものというわけではありません。
私は監督やコーチとして、女性ランナーのこともたくさん見てきましたが、強くなる選手とそうでない選手は、食事の取り方が分かれ道になる場合が非常に多いのです。
走るということはそれだけ食事に対する意識を高めてくれます。二〇歳代のころからランニングにひたむきに取り組み、食事に気を配っていれば、生活習慣病とは縁のない中高年になれる可能性は格段に高まるのです。
他にも面白いサービスがあります。ナイキが配信しているiPhone用のアプリ「Nike+Running」がそれです。これはランニングの開始をブロードキャストすると、フェイスブックやPathのページに自動的にそのことが通知されます。
まずハーフマラソンの距離を走る ビギナーならば手始めに5~ 10 キロ程度のレースにエントリーし、完走できたら次はハーフマラソン、という具合に、参加するレースの距離を徐々に延ばしていきましょう、という説明をしました。
30 キロを走り経験値を高める
まれに、 15 キロしか走ったことがないのにフルマラソンを完走してしまうような人がいないわけではありませんが、これはかなり例外的な人と言えます。 こういう人は、もともとマラソン向きの身体を持っている人なのです。
向いているのは、やせ型で、心肺機能が非常に優れている人です。
長距離ランナーとしての才能をあらかじめ持っているのです。
筋肉的な面で言えば、乳酸が溜まりづらい身体を持つ人もマラソンに向いています。
ちなみに乳酸が溜まりやすいかどうかは血液検査をすれば分かり
ストレスは心に溜まった 膿 のようなものです。お酒で一時的に忘れることは出来ても解消にはなっていません。楽しいはずのお酒も、間違った飲み方をすれば毒になります。
そのとき、心に劇的な変化が起きたのです。5分間というのは、フルマラソンを走ったことのある私にとってはごくわずかな時間でした。しかし、久しぶりに行った「走る」という運動そのものが、大きな変化をもたらしてくれたのだと思います。
リアルに感じられる心臓の鼓動と末端まで流れる血流。肺に吸い込まれる空気の温度。そして、ほんの少し顔に感じた風の流れなど、まさに細やかな身体感覚です。心から感動し涙があふれそうになりました。そのときの気持ちよさは生涯忘れないでしょう。 ベッドで悶々と過ごし、生きることに少し自信を失いかけていた心と肉体が、ほんのちょっと走ることで生きる喜びに目覚めた瞬間でした。
しかし、本を読んで得られた知識は心を鎮める要素にはなったものの、肉体には何も与えてはくれませんでした。ところが、ほんの少しでも走ったことが、どんな名薬にも代え難い栄養を心に与えてくれたのです。
十人に一人が走る時代になったいま、
どうやらランニングは私たちの人生を素敵なものにしてくれそうです。
以前「自分は走ることが生き甲斐になっている」と私に言った人がいました。
人生に生き甲斐は大切です。生き甲斐なしに生きることはとても辛いと思います。
人それぞれありますが、それぞれの生き甲斐すべてに共通するのは、義務感ではなくそれ(生き甲斐を感じる行動)をすることで、幸せと満足を感じることだと思います。つまり、なにかを得るための手段ではなく、生き甲斐が持てる行動そのものに喜びを持ち、それをすることが目的になっている。そして、それを成し遂げることにこの上ない満足を感じることだと思います。 ですから、ただお金を稼いだり貯めることが生き甲斐というのは少し変な気がするのです。あくまでもお金は何かを買ったり得たりするための代価ですから。
走ることそのものに達成感と満足を感じるのです。
しかし、普段から週に二~三度のジョギングが日課になり、走ることそのものが生き甲斐になれば、身体が許す限り一生涯続けられることになります。
ランニングをする日常が生き甲斐になれば、ランニングシューズとウェア、そして少しだけの時間があれば、いつでもどこでも達成感や爽快感、そして肉体の健康も得られるのです。
日常から適度なランニングをしている人は、「走った日と走らなかった日で、生活の充実感に違いを感じる」という感覚は理解出来ると思います。 走った日は頭もスッキリした一日になるし、食事もお酒も美味しくいただけます。一方、走らなかった日は、身体がぼーっとして焦点が合わず、頭の中もまとまりがなくなる気がする。特に、朝走った日は仕事の効率にも影響してくるのでよく分かるでしょう。単に頭がクリアになるという以上に、走ることで…
だからといって毎日走ったほうがいいというわけではありません。持っている力以上に走りすぎると過度に疲労し、かえって仕事に支障を来すことがあります。また、体調が悪くても休みなく毎日走るのも同じこと。…
心と身体は常に適度な刺激を受けることで成長します。たとえば心への刺激は、読書したり映画をみたりして感動すること。いろんな人と触れ合って話をすること。知らない土地に旅行すること。大好きな人と触れ合うこと。海や山に行って自然と戯れることなどでしょうか。心の病になった人たちはこれらの行動が出来ず、部屋にずっと閉じこもってしまいます。家で毎日ゲームの世界…
すべてにおいて便利になった現代社会、特に大人は自ら積極的に身体を動かす機会を作らなければ、身体への刺激が心への刺激に比べてかなり少ないのが事実です。 大昔から人間は、そもそも身体を動かさなければ食べ物を得ることは出来ませんでした。しかし、いまは違います。頭さえうまく使えば、ほとんど動かなくても生きていける時代になったのです。便利になったといえばなりましたが、失っていくものもあるでしょう。
いくら人間が進化したとしても、心への刺激と身体への刺激は両方とも必要なはず。双方のバランスが崩れたとき、心と身体のどちらか、あるいは両方とも内側から暴走を始めるのだと思います。
ランニングには心と身体のバランスを整える効果があります。
ランニング以外にも身体を動かせるアクティビティはたくさんあります。なにを選択しても身体を動かさない生活よりはずっといいと思います。
ランニングの持つ奥深さや素晴らしさが頭で分かっていなくても、一度でも走った経験があれば身体は必ず記憶しています。
嫌いだった人もいざ走ってみると、みな口々に「走ると気持ちいい」「走るとスッキリする」と言います。
ランニングの奥深さを知ることで楽しみはさらに広がっていきます。
本書はこれまでのようなランニングのハウツーではなく、少し違った視点からランニングの奥深さを見つめました。