アクリシオスとまだらの紐
このやや非現実な犯罪者の心理、ああこれが櫻子さんシリーズの特徴だったなぁと思い出す。マムシを凶器に使うことは現実的でない、ならば事故若しくは自殺、では何故少女Aは殺人と主張するのか?それこそが今回の一番の謎。全ては帰らないため。動物は本能で動く、それは人間も変わらない。不可解な行動があれば、その根底にあるのは「生きること」なのだ。覚えておこう。
石油王と本物のシードケーキ
残された者のエピソード。前に進んでいく阿世知や館脇と比べまだ過去を引きずっている鴻上。でも他の二人が前に進んでいるわけではなく、環境が変わったからそう思える部分も多いのかなと思う。シリーズでの鴻上はどこか達観したというか、館脇より大人な考え方のイメージがあった。でもそれは慎重で臆病だったから自分の気持ちを見せない言動しかできなかっただけだったのか。シリーズ初期で触れられたおばあちゃんのエピソードが漸く回収され、鴻上は遂に自分から動き出した。一体どうなるかわからないけれど、鴻上にとって大きな一歩だ。
ラ・ヴォワザン夫人殺人事件
過去に拘る魔女に振り回される女の話。情と憎悪は両立する、か。人間の心は不思議なもんだなぁと思う。憎いけど離れがたい。離れがたいけど憎い。その気持ちを伝えても、それでも魔女は自分の魔女としての生き方のことしか考えない。つくづく娘を愛していなかったんだなぁと可哀想に思えてくる。
これで櫻子さんのシリーズも終了。久しぶりにこのシリーズに触れたけど、この独特の人間模様が癖になる。そんなわけあるかと思う気持ちと、いやあるかもしれないって気持ちとがぐちゃぐちゃになるような人間描写。きっと現実にもあるんだろう。でも、ここまで言語化できる人がそうはいないんだろう。皆どこかおかしいんだ。でもおかしくないって思いながら生きてるんだ。だからこんな風な気持ちになるんだろう。僕はこのシリーズを読み続けて、決して骨がぶれることがない櫻子さんに驚いた。普通こういう変人の探偵は徐々に優しくなっていくものだ。でも櫻子さんはぶれない。「死」についての考えも、「生」についての考えも館脇とどれだけ接してもほぼ影響されない。それでも最初と最後で見方が変わるのは、櫻子さんのことを17+1冊を通して僕が詳しく知ることができたからなのだと思う。人の気持ちを高々数冊で理解することなどできないんだ。これだけの冊数を重ねて漸く人を理解することができる。人の心の奥底を見通すことが、人の骨を見ることがどれだけ大変か。僕はそれをこのシリーズで知った。このことは決して忘れたくない。