深沢七郎の作品一覧
「深沢七郎」の「言わなければよかったのに日記」「言わなければよかったのに日記/書かなければよかったのに日記(合本)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「深沢七郎」の「言わなければよかったのに日記」「言わなければよかったのに日記/書かなければよかったのに日記(合本)」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
旧制日川中学校(現山梨県立日川高等学校)卒。1956年『楢山節考』で第1回中央公論新人賞受賞。同作はTVドラマ化や映画化もされた。『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を受賞。その他『風流夢譚』、『極楽まくらおとし図』などの作品を手がける。1973年、ギタリストとしてレコードて『ギター独奏集・祖母の昔語り』も発表した。1987年73歳で死去。
小説・文芸
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Posted by ブクログ
やっぱり深沢七郎には得体の知れないおそろしさがある。
表題作「みちのくの人形たち」は「みちのくのしのぶもぢずりたれゆゑに…」の「もぢずり」という植物を見にきてくださいと誘われ、ひょこひょこ東北の旅に出かけるところから物語ははじまる。もぢずりに関する説明が結構続くので、この植物が物語のキーワード、テーマになるのかと思いきや全くならない。そして話は子殺しの因習へと着地する。このちぐはぐにつなぎ合わされたようないびつなパッチワークが、読後、異様な生々しさをもって脳裏に焼きついてはなれない。
原罪や業を引きずりながらも生きる人間の根本的な哀しさと、呑気な明るさがある。
Posted by ブクログ
学生の頃にどハマり、というかもはや心酔していた深沢七郎、20年ぶりくらいの再読。やっぱりグッとくるが、これは思い出補正と言われるもの…?全くフラットには読めていないことは確か。
試食会でお二人が「田舎の子は澁澤に憧れて、都会の子は深沢みたいなんを好きになったりする」というようなことをおっしゃってたのを思い出した。笑
都会の子といえるほどの出自でもないんですが、土着的なもの、前近代的なものへの憧れはかなり強いので「おっしゃる通りです…」となった。
どれも好きだが、特に「お燈明の姉妹」と「べえべえぶし」はあっけらかんとした人生の哀しさにみちていてジーンとくる。
Posted by ブクログ
多分、最初に読んだのは中学生の頃だと思う。
きょう、奈良の「ふうせんかずら」で発見して嬉しくなったので、即決で入手した。
冒頭の正宗白鳥先生との思い出が、とにかく面白い。
名前が白鳥だけど庭に池がないとか、同時代に活躍中の作家について「その人は今生きている人ですか」と尋ねて先生に教わったりといろいろ(本人的には)まずいこといっちゃったなあという思い出が淡々とつづられている。
読んでいると、深沢さんという人は、自分も含めて周囲の人をみんな好ましく思っていて、とにかく人間が好きなんだな、と思う。
新潮社のサイトでプロフィールをみると、戦前から活躍するギタリストでもあり、1960年に『風流夢譚』がテロ事件を誘発し、放浪生活をしばらくしていたようでもある。
文庫版あとがきにもその放浪が北海道まで及び、浜辺でハマナスの花びらをむしっていたという文章が別の作品になっていると紹介されていた。
それを知って読むと、単に面白いというだけでは足りない、何かを感じるような気がする。
後半のポルカという題名の短編集が独特な味わいだった。文章にリズムがあり、まさにポルカ。
Posted by ブクログ
また中公文庫で深沢七郎の本が出たから買った。こうやって出てくるものをどんどん買っていくと重複も多く、この随筆集の巻頭「流浪の手記」は結構まえに読んだちくま文庫『深沢七郎コレクション 転』にも入っていた。
しかし読み終えてからやっと気づいたのだった。深沢七郎の随筆は完全に「話体」であり、読んでいる最中はおもしろく読むけれど、流れゆく川のようなもので、あまり強い記憶を残さない。そのように流転し続ける自然の河川のようなイメージが、作家・深沢七郎の本質でもあるだろう。
本書の中では、クラシック音楽について言及したところが興味深かった。
「クラシック音楽は音を楽しむのではなく音楽に思想だとか、感情だとか、空想だとかをのせようとしたもので音楽とはちがった道だと思う。・・・音楽はリズムで表すより外に方法はないはずである。」(「渡り鳥のように」P147)
「若い時は好きだったが今は嫌いなのはベートーヴェンのように音楽に思想を盛り込もうとすることは音楽の邪道であると思うからだ。・・・やはり、土人の太鼓や日本のでは鼓が好きだ。だからボクはマンボやロカビリーが好きなのだ。」(「買わなければよかったのに日記」P170)
深沢七郎自身、作家業より音楽が好きで(ロクに本も読んでなかったように思われる)、ギターをかき鳴らしつつ、シンガーソングライターのように歌を作って弾き語りもしていたらしい。その彼が、音楽の原初の姿として「太鼓」に行き着いたというところが面白い。
それより何より、一番印象的だったのは、「白鳥の死」という一編だ。これは、私の知る限り深沢七郎の文学世界における白眉というか、異様な作品と言って良いかもしれない。ふだん「生きているのはひまつぶし」とか「生きていることは屁と同じ」などとふざけたような無ー価値観を展開している深沢だが、この一文においては、正宗白鳥という尊敬すべき先輩作家の死に際して、死生観を裸形のままに吐露し、これまで彼にはあり得なかったような真面目な?人生論を吐くのである。「(俺も、ぜったい、自分の道を)」(P236)
この文章では何故か彼の諧謔調という皮膜が破れてしまっている。
「昨日まで「正宗先生」と言っていたのだが、「センセイ」とか「サマ」などという敬称は、いらないのだ。どんな賢い者も、どんな阿呆の者でも、どんな美しい者も醜い者でも、どんなに地位があっても、権力があっても死ねば誰でも同じ物になるのだから、私はほっとするのである。」(P210)
そこでこの文章では「白鳥」と呼び捨てにされており、回想シーンの中で正宗白鳥の病床の脇に立ちながら「(弱音を吐いたか、白鳥)」などと心の中で言ったりしている。・・・いやいや、その時点ではまだ死骸になってないから。
そうして先輩作家を呼び捨てにしながら、この瀕死の病人を冷酷なまなざしで見つめている、深沢の不気味な目が出現する。
そういえば、深沢の何か得体の知れないような、一見バカのようにふるまいながらもときおり何やら怖くなってくるような気にさせる語りの水面下/亀裂、それは即物的な死のただ中から生を逆照射するような視線のたちあらわれではないのだろうか。
この文章での深沢はあまりにも残酷だ。
しかも、そうした読者を凍り付かせるような語りの果てに、死に対峙する生ある人間として、「俺も、ぜったい、この道を」という指標が浮上してきたような気がする。
この興味尽きない不思議な作家、やはり非常に面白いと思う。いろいろ既に重複してしまっているけれど、古本で揃いがあれば『深沢七郎集』全10巻、買ってみようかなあ、と思い至った。