無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで200万冊以上配信中!
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
「笛吹川」「千秋楽」などと同様に、延々と流れ続ける無窮の川のような趣の、深沢七郎作品。
土俗的な「庶民」の生活をたいした起伏もなく描き続けるが、つまらないわけではない。退屈はしない。しかしクライマックスとか、見事着地、といった感の結末もない。
冒頭、笛吹川岸辺に住む貧乏家族の徳次郎がアメリカへの出稼ぎを決意しているところから、徳次郎が主人公で、彼の視点から語られていくのかと思ったら、彼がアメリカに行ったとたん、視点は彼の母親(オカア)に切り替わる。アメリカでの出稼ぎ生活が具体的にどんなものなのか、最後まで謎のままだ。
そしてアメリカから徳次郎が戻ってくると、まもなく彼の視点に語りの座は移り、またふらふらとオカアに戻って、終わる。
ここに生きているのは底辺にちかい辺りの「庶民」で、戦争が起こると「お国のために死ぬなら仕方がない」などというように、決して権力への抵抗を見せない。彼らには理念も主張もない。論理構造は無化されており、「生活」のひたすらな実感だけが、ある。
こうした泥まみれの「生」のリアルな質感が、直視されているのであり、それは「意味」を拒絶しつつ、大地の上での死をめざして淡々と歩むだけだ。
川村湊氏が「『時間』の流れのない小説」という題で解説を書いているが、これはもちろん、歴史家の語るような「歴史」という観念世界が存在しないことを言うのであって、この小説には「時間の流れ」は存在すると思う。むしろ、延々と変節を繰り返してゆく生の「時間」が主人公となっているのだ、とも言えるだろう。
この「生の時間」は無限の反復のように繰り広げられるかもしれない。それは輪廻転生によって、ふたたび何度も何度もやってくるのかもしれない。これが深沢小説の「不気味さ」だ。
それは「意味」の意匠をまとわない、生という川の流れの、不気味なうごめきそのものなのだ。
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸
小説・文芸