【感想・ネタバレ】庶民烈伝のレビュー

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Posted by ブクログ

すぐれた小説の条件とは何だろう。
まず、「機械仕掛けの神」を作品に仕掛けるようではダメだ、と言ってみよう。
その神は、いろんなことを解決したり先送りしてしまったりするのだが、
所詮、作者の作った機械による仕掛けにすぎないのだ。
これに対して、深沢七郎の小説は、「神が仕掛けられた機械」そのものである。
作者ですら、その神の意図はわからない、という形をとるのだ。
これは、文学でしか表現できない、ということもできる。

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2014年01月19日

Posted by ブクログ


んー、面白い。
別に唸る様な仕掛けも美しい表現も綺麗な締まりないが、表題通りの、当時の“庶民”の苛烈な生活がつらつらと描かれている。
序章の、“庶民”の定義を巡った作者と知人とのちょっとおバカっぽい掛け合いも、気が利いていて良い滑走路になっていた。

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2022年12月15日

Posted by ブクログ

深沢七郎のこの本を読みたいなあと思っていたら、ちょうど中公文庫が出してくれた。ありがとう。これからも深沢七郎出して下さい。
最初の「序章」と「おくま嘘歌」はちくま文庫の『深沢七郎コレクション 転』にも掲載されていたので再読。
「序章」は「インテリ」や庶民あがりの金持ちとの談話で「庶民とは○○だ」という可笑しい議論を繰り広げるのだが、よく読むと、作者本人とおぼしき「私」が最後の方で自分は庶民なのか、庶民でないのかと自問する場面がある。
「庶民」ばかりが横溢する小説を書いた深沢は「庶民」だったろうか? ふつうの意味での「文学者」たちとは一線を画した彼はやはりどちらかというと「庶民」の方にいるのだが、しかし庶民は「庶民」などという言葉を使わない。彼は庶民と「共に」ありながら、庶民を語る「語り部」のような、内在的な外部の存在なのだろう。バルガス=リョサの小説『密林の語り部』に登場した「語り部」のように、彼は共同体の内側にいると共に、異人でもあるという両義的存在なのだ。
「安芸のやぐも唄」という短い作品は、どうやらヒロシマで被爆した老女の話である。家族はみな原爆で死んでしまったにもかかわらず、彼女は原爆の「雲」を回想しつつ、
「雲の中には一人で生きることを教えてくれた不動明王のような神が住んでいるのだ」
と考える。このくだりは実に深沢的である。
深沢のえがく「庶民」たちは、文明的なしきたりからときとして外れ、「すさまじい」言動を繰り出すのだが、この「すさまじさ」は、純朴でひたすらな生の、ストレートな発現によるものだろう。
彼らは決して体制や政治やイデオロギーを批判したりしない。彼らはディスクールからは遠くにいる。ただひたすら、懸命に生きようとするだけだ。そこにディスクールは不要なのだ。
いまではインターネットなどという無用な空間に庶民は解き放たれ、愚にもつかない言明や他者批判を繰り広げており、醜悪きわまりない様相を呈しているけれど、深沢的「庶民」はこういうところにはもはや存在しない。
庶民は語らない。
いや、語ることの無意味さ・無用さを本能的に知っているのだ。深沢七郎も。

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2013年02月11日

Posted by ブクログ

面白い。
序は、まるで『果てしない物語』のよう。

カフェに置いてあって、まだ少ししか読めていないけど、手元に置いておきたい本。

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2021年08月13日

Posted by ブクログ

描かれている情景は 宮本常一の「忘れられた日本人」な感じ。近代の日本人というより、山奥で原始的な暮らしをする庶民の滑稽で、哀しい日常を描いている

見ようによっては 神話に見える。庶民の哀しい現実に 自然調和や社会構造が働いているように見える。庶民の本質として 虚栄心ではない 強情さ を見いだせる

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2016年12月14日

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