真崎義博の作品一覧
「真崎義博」の「アルゴ」「暗殺のジャムセッション」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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「真崎義博」の「アルゴ」「暗殺のジャムセッション」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
明治大学文学部英米文学科卒。『ポアロ登場』(アガサ・クリスティー)、『ピアニストを撃て』(デイヴィット・グーディス)、『森の生活』(ヘンリー・D・ソロー)、『アルゴ』(アントニオ・メンデス、マット・バグリオ)など多くに作品の翻訳を手がける。
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黒人も白人も子供も女も殺される
Sクレイグ・ザラー(Sはスティーブンの略)氏は映画監督兼脚本家兼小説家兼漫画家兼音楽家のユダヤ教徒である、本作は日本で彼の映画が公開される前に邦訳出版されていたので先取りし過ぎ
自分は氏の映画はなるべく観た読者なので氏の作品の愛好者には楽しめる作風なのだ
ザラー氏の映画は彼自身が脚本や原作を執筆して制作される事が殆どなので
映画を観ながらもどういった形で脚本になっているかすら想像が出来る仕上がりで、本作を読むと逆に映像化されるとどういった場面にされるかも思い浮かぶのだ
ザラー氏の映画と本作は、執拗に繰り広げられていく暴力描写が共通している事でも同じ作家の作品だなと実感できる
黒人だろうと白人だろうと黄人だろうと、子供だろうと女だろうと、猫だろうと犬だろうと鳩だろうと身体が欠損して殺されていく
身体欠損と人体損壊描写に事欠かない小説なのだ
本作の主役ジュールズ・ベティンガーは黒人の警官である 大学院まで出ている刑事であり頭がハゲかかった髭面の50歳の妻子持ちである
47歳の黒人の妻とティーンエイジャーの兄妹と暮らしている
ベティンガーのセックスの場面が何度も克明に描写されているのはあまり有難くない
映画化の話はレオナルド・ディカプリオ氏の名前が出ていたというがどの役を想定したのだろう
並んでジェイミー・フォックスの名前も挙がっていたのでこちらには納得
感想としてはサスペンスを超えてホラー小説である
ジュールズは口が悪い性分で口癖が「Christs Uncle(キリストおじさん)」であり
黒人娼婦にカモにされた白人男性に「詐欺に遭ったと認めろ、そして今吐いたゲロ袋は自分で片付けろ」という事を言った所為で白人男性が警官から銃を奪って自殺した責任で
ミズーリ州の架空の町ビクトリーに左遷させられケチが付き始める
黒人は黒人に対してニガーと連呼する
同性愛の事を皆で馬鹿にする
動物は轢き殺され背骨を折られて転がされる
心休まる事が無い
最後まで読み終わって、きっとジュールズ一家は今後苦しみ続けるだろうと苦味が残る
愛好者である自分も、途中までゲラゲラ笑いながら読んだが子供が殺されてからは頁を繰る速度が遅くなる
敵役がビクトリー勤務の警官の男性器を切除すると5万$+1人追加2万5千$で婦人警官の卵巣は1人追加1万8千5百$を支払うと
殺し屋たちを雇ってるのは笑わせに来てるのか
本書はジャック・ケッチャムの小説のような異色傑作である
Posted by ブクログ
当時フロイトらを中心とした精神分析が学術界を覆っていた中で、人類学的な長期間の参与観察に基づいた共時的な研究において、真っ向からエディプス・コンプレックスに挑もうとしたマリノフスキの名著である。
フロイトらの精神分析論は、西洋社会を基礎に置いて展開された理論であるために、非西洋社会にそのまま理論を当てはめることはできないことを論証した。尚且つ、西洋社会においても上流階級と中流、下流階級の生活や社会的な様相は異なることが想定され、フロイトらの理論は西洋上流階級を基盤に置いたものであるため、そもそも同地域においても若干の齟齬が見られるのではないかと、鋭い指摘をしているのは印象的である。
マリノフスキが後世に名を残すことになる数々の名著を生み出すうえで、そのフィールドの中心となったトロブリアンド諸島では、西洋社会とは異なる母系制社会によって生活が営まれている。そこでは父親は、エディプス・コンプレックスに見られるような殺害の対象ではなく、生涯に渡って仲のいい遊人的ポジションに位置している。その代わり、母系制社会において権力を発揮するのは母親の兄弟であり、子どもからするとオジに当たる人が西洋社会の父親と似たポジションだということになる。しかし、夫方居住婚であるためにオジとの物理的距離は遠いなど、母系制社会における中核コンプレックスは一概にエディプス・コンプレックスとの対比によって導き出せるようなものでもないことは、注意しなければならない。
そのような社会では、母親に対するタブーではなく、(男性中心的な研究であったために一視点に偏っている点は批判に値するが)同じ家族の姉妹へのタブー意識が強いことが確認されている。それは、神話やからかい、冗談、夢といった、様々な要素における現地民たちの語りから明らかとなっている。
マリノフスキの試みとしては、エディプス・コンプレックス批判にあることは確かだが、そのなかで「エディプス・コンプレックス」という言葉を軸にトロブリアンドの社会を論じてしまうことへの抵抗感を感じている。そこで、マリノフスキは「情操」という言葉を使用して、当該社会の性質について論じようとする。これは、エディプス・コンプレックスという言葉を使用することを避ける試みであるほか、マリノフスキが機能主義人類学にて心理的側面に注視したという、教科書などで度々目にする説明の該当部分に当たるものだ。
マリノフスキは、心理学における「情操」という用語を使用し、レヴィ=ストロースが論証したことで有名な「近親相姦」の問題についても、見解を述べている。彼によると、近親相姦をするということは教育という側面において育まれてきた家族の絆としての情操を破壊してしまうことに繋がるため、避けられていると主張する。レヴィ=ストロースのインセストタブーは誰しもが知っているかもしれないが、数十年前に既にマリノフスキが論じていたという事実はさほど知られていないのではないだろうか。
また、フロイトらがトーテミズムから文化を論じようとしていたことも恥ずかしながら初めて知ることになった。文化や精神、情操といった問題は当時の学問領域における中心的な問いであり、その中でも実証的な研究によってそれを導き出そうとしたマリノフスキの姿勢は、(現代に生きる我々からすると数々の問題点は指摘されうることは承知の上で)人類学を学ぶ者からすると尊敬に値する。