政治の話題が多いように感じます
アクティブラーニングが、全体主義、ファシズムにつながるという著者の危惧を強く感じました。日本のアクティブラーニングで扱うのは、政治と道徳だけなのでしょうか?
主体的対話的な学習については、何をもって主体的対話的とするのかを、幅を広げればいいのではないでしょうか。自分との対話も対話ですし。アクティブラーニングの定義を狭くして、わざわざ極端な実践例を並べて持論を展開しているという印象を受けました。
アクティブラーニングを絶賛するのも単純ですし、負の面を並べて政治的な意見を潜り混ませるのも、あまりいいやり方ではないように思います。