あらすじ
不運と思うな。誰しもがつらい時間と遭遇しているのが人生だ。それでも懸命に生きていけば必ず、君に光を与えてくれる。その時、あの時間が不運だとは思わないはずだ。――愛する人と別れ、大切な家族をなくし、夢破れ、道を失っても、人はまたいつか、ちがう幸せを手にする。生きる勇気が湧いてくる。感動の1冊、ベストセラーシリーズ待望の第6弾!
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このシリーズ読むたびに、男の中の男だと思う。今の時代には、流行らないけど、私は好き。
かっこいい。
厳しいこと書いてあるけど、事実そうだと思う。
そして優しい文章。
P20
不運と考えた瞬間から生きる力が停滞する。もっと辛い人は世の中にゴマンといる。今その苦しい時間が必ず君を成長させる。世間、社会、他人を見る目が広く深くなる。
P121
不幸の最中にはいかなる声をかけても哀しみを救える適切な言葉はない。
時間だけがそれをやわらげる。子を失った親の哀しみは生涯続く。親子とはそういうものだ。しかし哀しみに寄り添うことはできる。たとえ哀しみの淵にいても誰かに手を差し伸べてもらえたことは、その人たちをささやかではあるが、救っていることは事実だ。
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2016年、42冊目です。
このシリーズも6冊目になります。
毎回、読んでいますが、必ず、いくつか私の琴線にふれる文章がある。
最近、伊集院静が小説家になる時に、6年間のホテル住まいをしていた「なぎさホテル」という作品を読んだが、こんなに苛烈な前半生を生きた人なんだと改めて思いました。その上で、このシリーズ6冊目を読後見返してみると、その言葉に重厚感を感じてしまう。男尊女卑の考えとか、前時代的とか、いろいろ非難めいた評価をされる作家ではあるけど、私は彼の考え方が好きだし共感できる。
なぜかな?私が時代遅れの価値観を持つ人がんだからかもしれないね。多分間違いないな。それはいつどこで育まれたのか?そういう教育を公的に受けた記憶はあまりないで、父親をはじめとする家庭の影響を強く受けていたのだろ。伊集院静の考え方にも厳格な父親、人生の本質を見極めたような母親の教えが反映されていると推察できます。
本書は、「不運な人生などない」「切ない時がすぎて」「生きた証」「君が去った後で」の4章からなっています。
根底には、”人様の前で、”みっともない”ことをするものじゃない”という考えが、あると思います。
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有難いことに自分のとても近しい存在が亡くなったという経験がそれほどない。
祖父母の死には直面したが、それなりの歳だったこともあり、その哀しみはしばらくして癒えた。
出逢った以上、別離の心構えはしておかないといけないなと感じた。明日が保証されていないという現実が非現実的で、これまで考えてこなかった。この本はそういう人としての心構えを教えてくれます。
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#不運と思うな
#伊集院静
#2016年64冊目
Posted by ブクログ
1.著者;伊集院氏は、小説家・作詞家。電通のCMディレクター。松任谷由実や松田聖子のツアー演出を手掛けた。『小説現代』に「皐月」を発表し作家デビュー。「乳房」で吉川英治文学新人賞、「受け月」で直木賞、「機関車先生」で柴田錬三郎賞、「ごろごろ」で吉川英治文学賞を受賞。また、伊達歩の名で作詞家としても活躍。「愚か者」で日本レコード大賞受賞。マルチな才能を発揮。2023年11月没(73歳)。
2.本書;大人の流儀第6弾。伊集院氏の数々の含蓄ある言葉。「誰しもが辛い時間と遭遇しているのが人生だ。幸せだけの人生などない。それでも懸命に生きて行けば、必ず光がさす。私は知っている。不運な人生などない」。四章37項の構成。第一章;不運な人生などない(9項)、第二章;切ない時間がすぎて、(9項)第三章;生きた証し(9項)、第四章;君が去った後で(10項)。
3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り感想を付記);
(1)『第一章第1項;哀しい理由』から、『【恩師の言葉】「(弟の葬儀後)君と同じ立場の人が世の中に何人もいて、その哀しみを乗り越えて生きている事を忘れないで欲しい」「人には苦しい、辛い時が必ずあります。そこから逃げずに歩き続けなさい。苦しい時、辛い時間はのちに君に何かをくれているものです」。・・・カントの話をする先生の横顔と愛嬌のある目が浮かんでくる』
●感想⇒人生を振返ると、私は楽しかった時よりも苦しく辛い時の方をよく覚えています。中でも、あるプロジェクトのリーダーとして働いていた時の事です。プロジェクトが大詰めを迎えた頃にメンバーの一人が倒れ、帰らぬ人になりました。妻子を残しての死。かける言葉がありませんでした。後から知ったのですが、持病があったとの事。そうは言っても、私の配慮不足は否めません。ご両親の言葉、『ある日、出勤後早々に帰宅したので、何かあったのと聞いたところ、リーダーが「昨日は遅かったので、今日は帰りなさい」と言われたそうです。「リーダーも最後まで一緒に仕事をしていたのに」と言っていました』。加えて、「生前中は大変お世話になりました」と言われ、涙腺に歯止めがかかりませんでした。プロジェクトは、関係者の了解を得られ成功でした。しかし、辛かったです。今でも、同僚の不遇の死を鮮明に記憶しており、事ある毎に思い出します。冥福を祈るのみ。蛇足です。カントは、❝近代哲学の祖❞と言われ、「純粋理性批判」等、3つの批判書が有名です。❝批判❞とは、否定的に語るという事ではなく、❝徹底的に考える❞事だそうです。物事を判断する際のキーワードであり、先生の人柄に納得です。
(2)『第一章第7項;そんな顔をするな』から、「東日本大震災での直後のニュースをまとめてビデオで見たが、大津波の事を、映画のワンシーンのような、と表現した若いアナウンサーがいた。他人事なのである。キャスター、アナウンサー、コメンテーターだけではない。地震学者も、災害の専門家も、皆他人事なのである。それは彼等の言葉、表情を見聞していればすぐにわかる。どれほど殊勝な顔をしていても、伝わって来る。それは逆に、そういう顔をすればするほど伝わってしまう。・・・これが地獄かというものか、とう実感を持つはずもない。・・・忌まわしい出来事をどういう言葉で、どう伝えていくか、同じ人間として考え直さねばならない」
●感想⇒「大津波の事を、映画のワンシーンのような、と表現した若いアナウンサーがいた」。この人は、仕事をしているだけで他人事なのでしょう。実際に震災にあわなければ、その状況や地獄絵図は実感できないのも止むを得ない部分もあると思います。しかし、「映画のワンシーンのような」という表現は良くないと思います。アナウンサーという鎧を取りはずし、素直なコメント、例えば「私は、皆さんのような事を経験した事がありませんが、映像で見る限り、かける言葉がありません。少しでもお役に立てるように出来る限り協力しますので、皆で頑張りましょう」とか。伊集院氏が言うように、「忌まわしい出来事をどういう言葉で、どう伝えていくか、同じ人間として考え直さねばならない」は難しいものの、人間学をもっと学び、経験を積んで、自分自身の言葉を見つけるしかないでしょう。
(3)『第四章第3項;悔やんだ時には』から、『社会にはルールがある。そのルールは学校の教科書には載っていない。親から子供へ、年配者から後輩へ伝える、男のルールと女のルール、子供のルールがある。・・・電車の中で化粧したり直したりしてはならないのは、女たちが娘へ教えるルールだ。「何故そうしちゃいけないの?」みっともないからだ。みっともないという行為は、その人の生きる姿勢にかかわる。・・・みっともない行為を平然とやっていれば、他のみっともない行為を平然とやる人間になってしまうという事だ。・・・親に恥をかかせる事はしてはいけない。これは基本中の基本である』
●感想⇒「みっともない」とは、ある調査によれば、「①公共の場で、自分を抑えられない ②「いい歳をして…」年齢に合った大人の振るまいができない ③人から見た自分と、自己認識にズレがある」・・・だそうです。私達は社会の一員なので、「公共ルールが守れない・道徳心が無い」行為が最も良くないと思います。老若男女が集う場で❝大声で騒ぐ❞行為、車に高齢者マークをつけているのに交通ルールを守らない行為(横断歩道で歩行者を優先しない・スピード違反等)・・・上げたらきりがありません。これはその人自身に問題があるかも知れませんが、学校というよりも家庭教育がきちんとされなかったのも一因と思います。❝三つ子の魂百まで❞というように、3歳までに人格の基礎が形成されると言います。伊集院氏が言うように、「社会にはルールがある。そのルールは学校の教科書には載っていない」。だからこそ、教える側も、人間・社会とは何かを、日々自分で追求しなければならないと思うのです。
4.まとめ;「大人の流儀」は、苦難や哀しみに心が折れそうになった時に、大人としてどう振舞えば良いかというヒントを与えてくれるシリーズ本です。2018年までに170万部超えのベストセラー。私は、気取らない軽妙な語りと事実を訴える、このシリーズが好きです。中でも本書(不運と思うな)は、一番のヒット作品と言われています。伊集院氏は、弟と妻の死や大震災等の言葉に表せられない辛い体験を経験したからこそ、言葉に説得力があり、心に響きます。「美しいものと酷いものが隣り合わせているのが私達の生命としたら、決して不運などとは考えずに今日から美しいものを信じて、自分の足で歩き続けよう」。人生の迷いを払拭する、力強い言葉です。逝去されて、1年過ぎました。残念です。(以上)
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普段、あまりエッセイは読まないのだが、
何かで紹介されていて読んだ。
何歳の方か、存じ上げないのだか、
多分かなり年配の方で、ご存命なのかな?
古いタイプの人間と言ってしまえばそれま
でだが、人生訓を読んでるみたいだった。
読み終わった感想は…
一言で言うと、
「不運と思うな」
どんなに悲しいことがあっても、
不運だと思わず、自分だけが不幸だなんて
顔をせずに前を向いて歩くこと。
題名の言葉は、そういう意味なんだろう。
「不運と思うな!」
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2016年初版。著者に対する知識は、夏目雅子さんの夫だった方・篠ひろ子のご主人であること。ギャンブル・お酒が、大好き。きっと女性にもモテる方なんだろうと言うだけです。先日、亡くなられたと言うこともあり、読んでみました。読後感としては、私の先入観どおりの方だなあと認識しました。今は死語かもしれませんが無頼な生涯を全うされたのかなあと思えました。今は、こんな生き方をする方は、あまりいないのかなあ。今後も、あまりいないのかなあと思います。私は若い頃、憧れていた生き方です。全然違う生き方をしていますが。無頼な生き方をした方のようですが、文章の端々に優しさやユーモラスな部分も溢れています。こういう大人は記念物のようになるんでしょうね。
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「決して不運と思うなよ。もっと辛い人は世の中にゴマンといる。今、その苦しい時間が必ず君を成長させる。世間、社会、他人を見る目が広く深くなるのだ、と。
説教じみて聞こえたら勘弁してほしい。」
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今回も伊集院節を堪能。ノボだけだなく、兄貴(犬)との交流も良い。「恋」で、ベッキーの話があったが、伊集院さんは、キチンとコメントしてあった。無責任な「シラミや毛」のどうしようもなさと、ベッキーの家族を思いやる心。これこそ正しく「大人の流儀」ではないか。もう何年も前のことだが、やっと溜飲が下がった。
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2016年作品。災害や事故で道半ばにして亡くなられた人々への鎮魂のメッセージが溢れる1冊。亡くなられた人々が不運だったと考えてはいけない。それは私たちの人生をも否定することになる。彼らの人生にもまた喜びがあり、悲しみがあり、四季があり、様々なことを乗り越えて生きた人生だったのだと。そう言い聞かせて生きている。
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このシリーズ卒業と、思っていたのだけど。
手に取って。
読むタイミングよかったからか。
沁みましたぁ。
〜不運などということはこの世にはない。〜
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やはりグッと来る箇所が何ヵ所もあります。
特別にしんみりした文章ではなく、むしろからりとした文体なのに迫って来る。経験の深さ、年月によって深く醸された思い、というようなものを感じます。
「人は泣いてばかりで生きられない。泣いて、笑って、正確には、笑って泣いて笑う、が人の生きる姿である」という一文が、たまらなく染みた。
Posted by ブクログ
20160712 いろいろ世の中が変わっていくように感じてしまう。こんな時にぶれない基準になる本。毎回の感想だが発行期間が丁度良いのかもしれない。
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伊集院さんが昨年鬼籍に入り、なんだか読み惜しみ。こういう小うるさいオジサンってまだまだ必要なのに、刻一刻と時代は変わっていく。
それでも「バカ言いなさんな」は時代を超えて継承されたい、ものの本質。
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「美しいものとむごいものが隣り合わせているのが私たちの生命としたら、決して不運などとは考えずに今日から美しいものを信じて、自分の足で歩き続けよう。」
伊集院さんの自伝的長編「海峡」3部作に登場したお手伝いさんのお話しが良かったです。
「この女性がいなければ、私はただのゴロツキになっていただろう。」
このシリーズが好きな方に「海峡」、おすすめです。
Posted by ブクログ
不運と思うな。口にこそ出さぬが、私は自分より若い人が、辛い、苦しい、哀しい目に遭っているのを見ると胸の底でつぶやく キャスターと言う仕事はつくづく恐ろしいものだ。彼らは磨危険な間は消して現場に行かない。戦争を始めた政治家がけして戦場に行かないのと同じである
Posted by ブクログ
正直、この人の考え方は偏屈だと思うし、古臭く説教くさいと思う。生き方にも特に賛同しない。しかし、この「大人の流儀」シリーズは毎回読んでいる。偏屈な考え方の中にも、ものすごく心に刺さる言葉がときおり混ざっているからだ。若くして弟と前妻(夏目雅子さん)という身近な存在を2人も亡くしている人の言葉は時としてずしりと重い。
わざとらしく「東北一のバカ犬」と言いながら溺愛している犬や、もう一匹飼っている「家人の犬」がいよいよ年を取って弱ってきた話の中で、「君たちが死んだあと、自分たちが悲しみの底に沈むようなことになったら、何のために出会ったのかわからない。だから(死を受け入れる)準備をしておこう。」といった一節があったのだが、このフレーズがとても心に響く。
人は最愛の者を失った時、悲しみの底に落ちるが、いつまでもそこにとどまっていれば、せっかくの共に過ごした素晴らしい時間や想い出がムダになってしまう。だから人は、いつかその悲しみを抱えつつも前を向いて、その想い出を胸に歩いて行かなければならないのだ。
こういう言葉との出逢いがあるだけでも、偏屈なおじさんの書いた本も読む価値がある。