あらすじ
絢爛たる栄華を誇った豊臣秀吉の天下がかたむきはじめた。かれに老耄の翳がさし、跡継ぎの秀頼はなお幼年の域を出ない。諸大名を掌握し、じりじりと擡頭してくる徳川家康に対して、秀吉は防戦にまわった。かれが死をむかえれば大波瀾はまぬがれぬであろう……。伊右衛門・千代の夫婦は二人して将来への道を必死に探し求める。
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Posted by ブクログ
絢爛たる栄華を誇った豊臣秀吉の天下がかたむきはじめた。かれに老耄の翳がさし、跡継ぎの秀頼はなお幼年の域を出ない。諸大名を掌握し、じりじりと擡頭してくる徳川家康に対して、秀吉は防戦にまわった。かれが死をむかえれば大波瀾はまぬがれぬであろう…。伊右衛門・千代の夫婦は二人して将来への道を必死に探し求める。
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秀吉が死に、次の天下を誰が取るのかで全国が揺れる。いよいよ関ヶ原の戦いへと向かう。山内一豊は鋭い才智は持ち合わせていないが、それでも百戦錬磨の武士として、もはや小物ではなくなっている。
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「ホホホ…鬼婆あ」平穏な時代になるとどこからかポッと権力者が湧いてきて千代は北政所派と淀派との権力争いに巻き込まれる。機転を利かしてひらりひらりと回避していく様はさすが。さて頑固で馬鹿正直で律義な伊右衛門は千代から側室を入れるのを打診されたが、逆上して手を上げてしまう。初夜での約束を守るためとはいえ、伊右衛門は千代のことが大好きなんだなと夫婦愛を感じた。「このおれを男らしからぬと申すか」能力は平凡であれど、戦場での場数は誰よりも踏んでいて歴戦の勇士なんだね。胸が熱くなった。確かにもはや小物ではない。秀吉が死に時代が動く。徳川家康につくことを決意した伊右衛門。ここからは女大名・軍師?千代の外交を駆使した軍略・政治的センスで困難を回避し、家康の信頼を得る。男であったならどれ程の大名になるのだろう。細川ガラシャにも少し触れてあった。なんとも悲しい結末。
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絢爛たる栄華を誇った豊臣秀吉の天下が傾き始めた。老耄の翳がさした豊臣家。じりじりと台頭してくる徳川家康に諸大名は近づき始める。更に北政所と淀殿の間にも派閥の対立が。秀吉の死後、上杉景勝討伐に東征する家康の留守を狙い挙兵する石田三成。
悪役で伊右衛門の立場を引っ掻き回す立場なのかと思った六平太が、千代の前ではちょっと可愛らしい感じで面白い。関ヶ原へ向かう伊右衛門の見所の直前まで。
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晩年の秀吉の老醜ぶりはともかく、この作品が書かれたころは、多分秀吉が庶民のヒーローだったような気がする。
草履とりから出発して天下を取った秀吉は、頑張れば出世が約束されるような夢と希望のシンボルだっただろう。
だから、司馬遼太郎の家康の書きっぷりの冷淡さは、個人的な好悪なのか時代のせいなのか、よく考えないといけない。
まあ、両方なのだろうと思うけれど。
作者は秀吉の創造力に比べて家康の凡庸さを書くが、秀吉が創造力を発揮したのは、築城の早さと遊びの派手さであって、この国の根幹にかかわる何かを新しく作り出したというのはないのではないか。
それに比べて、織田信長の非凡さに比べると地味だけれど、家康の国造りの元である行政制度の組織改革や法整備、江戸という町のインフラ整備は決して凡庸なものではないと思う。
伊右衛門と千代が豊臣ではなく、徳川につくことを決めたのは、山内家(家臣団も含めて)を任せるに足るのはどちらなのかという判断。
これは決して長期的な視野ではなく、この時点での判断ではあるけれど、それは当時の武士としては当たり前のこと。
豊臣家がそっぽを向かれたのは、ひとえに旧来の家臣を大切にしなかったから、家禄を任せることの安心感を与えなかったからにつきる。
伊右衛門と千代が抜きんでていたのは、外様の誰よりも早く、徳川につくことの旗幟を鮮明にしたことだ。
出来過ぎだなあと思うけれども、多分この辺りは史実に沿っているのだろう。
だから上を見るには賢明な夫婦だったのだと思う。
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秀吉の晩年と、その後狡猾に動く家康の話。
日本史ほんとに知らないから、たまに知ってる名前が出てくると「うわぁっ」となる(笑)
板垣退助キター!みたいな(笑)
秀吉の晩年は、なんとも切ない。天下を取ると人は変わるんだなー。
にしても、家康の堅実さよ。小者っぽいのにその後あの江戸幕府を作るんだから、人って、歴史って面白い。
一豊と千代の夫婦愛にもほっこりしつつ、最終巻に参ります。
Posted by ブクログ
秀吉が老いていく様がなんとも哀しい。
『晩年の秀吉には物事の見さかいがゆるみはてて、臣下の女房もまた自分のものというように錯覚するところがあった。』って一体・・・。
関ヶ原の戦いの前の緊迫感、すごいです。
Posted by ブクログ
千代の知恵があれだけ発揮されたのは、伊右衛門が頭が良くなかったから。知恵者はいつも、人徳あるリーダーの影にいる。黒田官兵衛しかり、諸葛亮孔明しかり。・・・といったが、伊右衛門にそこまでの人望があったのか、疑問。w
メモ。
関ヶ原の戦いの勝因の1つに、千代とガラシャがいる。徳川方についた武将の懸念は、大阪にいる妻子の安否。秀吉時代の政策で、大名たちは自らの妻子を京都においていた。体のいい人質。さらに、大阪城内の部屋に参内するよう求める。それを、ガラシャの自殺、千代の家に積み上げたわらで家事を起こすと脅す。それで妻子を人質に取りづらくなった大阪側。武将たちは、安心して、戦いに挑んだとさ。