あらすじ
昭和21年11月、太宰は三鷹の旧居に帰ってきた。当時ジャーナリズムは、未曽有の賑わいを呈していた。太宰はジャーナリズムの寵児として華やかな脚光を浴びたが、けっして濫作はしなかった。1日の執筆量はほぼ5枚、ひとつひとつの作品に精魂を打ち込み、太宰文学を代表する幾多の名作がこの時期に生まれた。母 父 女神 フォスフォレッスセンス 朝 斜陽 おさん 犯人 饗応夫人 酒の追憶 美男子と煙草 眉山 女類 渡り鳥 桜桃 家庭の幸福 人間失格 グッド・バイ
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Posted by ブクログ
自分でお話を書き始めてから、周囲の書き手さんが読まれているらしいと気が付いた太宰治を、自分も読んでみたいと思って買った全集の9巻。
この年になるまで、読んだことがなかったのもなかなか恥ずかしいことかもしれないけれど、この年にならないと読んでも分からなかっただろうから、いい時期に読んだのだろうと思う。
巻を進むにつれて、「生きることのつらさ」が実感として痛みに変わっていく。9巻はそれが特に強くて、ついに「死んでいく人は美しい」がはっきりと現れてきた印象がした。
人間失格は有名で、その一文にある、
(それは世間がゆるさない)
(せけんじゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
が、とても私には衝撃的だった。今も昔も、そしてこれからも、世間とは個人なのだ。
死が美しいといったのちに、「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎていきます」
これが真理だと、彼にとって自殺は革命だったのだろうか。
なんて、小難しいことは私には分からない。
生きづらさはあるのだけれど、私のそれは今のところ、太宰とは違うものだから。
でもいずれ行きつく先は一緒なのか?
行きつくのかどうかも分からないんだけれど。
とりあえずお気に入りの文を。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬るのはあなたでしょう?)