あらすじ
昭和21年11月、太宰は三鷹の旧居に帰ってきた。当時ジャーナリズムは、未曽有の賑わいを呈していた。太宰はジャーナリズムの寵児として華やかな脚光を浴びたが、けっして濫作はしなかった。1日の執筆量はほぼ5枚、ひとつひとつの作品に精魂を打ち込み、太宰文学を代表する幾多の名作がこの時期に生まれた。母 父 女神 フォスフォレッスセンス 朝 斜陽 おさん 犯人 饗応夫人 酒の追憶 美男子と煙草 眉山 女類 渡り鳥 桜桃 家庭の幸福 人間失格 グッド・バイ
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Posted by ブクログ
何作かは再読
大好きな人間失格も斜陽も収録されてて最高
自分の話以外もだいたい本人がモデルか?っていう感じの酒の誘惑に弱くちゃっかりしていてそんな自分に嫌悪感抱いてる外見はいいクズ男みたいなのが多くてふふってなっちゃう。
そして晩年よりの作品集だからか登場人物が死んじゃう話が多い。
✳︎グッド・バイ(絶筆)
編集社で働く傍ら、闇稼業で儲けている34歳の男の田島周二が、愛人15人との関係を解消しようと闇稼業で知り合った絶世の美人(ただし最低の鴉声、大食い、怪力)を連れて別離の行進をする。
「人生足別離」の一句があり私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。まことに、相逢った時のよろこびは、つかのまに消えるものだけれども、別離の傷心は深く、私たちは常に惜別の情の中に生きているといっても過言ではあるまい。
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母、父、女神、フォスフォレッスセンス、朝、斜陽、おさん、犯人、饗応夫人、酒の追憶、美男子と煙草、眉山、女類、渡り鳥、桜桃、家庭の幸福、人間失格、グッドバイ
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「傑作を書きます。大傑作を書きます。日本の『桜の園』を書くつもりです。没落階級の悲劇です。もう題名は決めてある。『斜陽』。斜めの陽。『斜陽』です。どうです、いい題名でしょう。」
この言葉の通り、『斜陽』は大傑作となり「斜陽族」という流行語を生み、太宰治は一躍流行作家になりました。美しい滅亡に向けたかず子、お母さま、直治、上原二郎4人の力強くもはかない物語。気持ち悪いほど完成された作品のように思います。発表されて60年以上たった今でもまったく色褪せません。
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母、父、女神、フォスフォレッスセンス、朝、斜陽、おさん、犯人、饗応夫人、酒の追憶、美男子と煙草、眉山、女類、渡り鳥、桜桃、家庭の幸福、人間失格、グッド・バイ収録。
斜陽、犯人、饗応夫人、眉山、桜桃、家庭の幸福、人間失格が好き。
人間失格は中学校の頃読んだと思ったが、全く内容を覚えていなかった。
この記憶力の無さ!
しかし、最後に出てきた「ただ、一さいは過ぎて行きます。」の一文は妙に心に残っていたらしく、これまで頭をよぎることしばしば。
そうか、人間失格の一文やったか、とメカラウロコでした。
Posted by ブクログ
太宰文学が最高に精錬された終期の作品集。
「人間失格」「斜陽」はもちろん、短編の完成度は「眩しい」とさえ感じるわ。
とくに「おさん」と「フォスフォレッスセンス」は神!
07.12.17
Posted by ブクログ
無糖のホットチョコレートみたいな1冊。苦さに苦さを重ねる中にほろりと甘く感じる一瞬があり、すっと溶けていく文体の滑らかさになぜだかほっとする。
マイチェホフの狂気を「斜陽」で思い出し、真の革命の意義を「おさん」で学び、「眉山」でやるせなさに涙して、待望の「人間失格」に取り掛かる。
人を針金入りのモールだとする。人を取り巻く社会(世間?)は常に渦を巻いていて、モールの体をうまく曲げれば、別のモールとひっかかることを繰り返し、渦の中心でずっと回り続ける事ができる。だけど自分が曲がらない、もしくは曲げる方向を間違ってしまえば、渦の外側へと容易に弾き飛ばされてしまう、そんなもんだと思う。
葉蔵は、道化を演じ自分を無理に曲げてまで渦の中心にいることを辞めて真っ直ぐになった結果、ひっかかりがどんどん外れ、すんでのところで渦の外に弾き飛ばされるのをひたすら耐えるような生活を送る。弾き飛ばされまいとなんとか新たに体を曲げてみるも、曲げる方向がわからず間違ってしまい、逆にひっかかりを外してしまう。弾き飛ばされる途中で何かにしがみつくことを繰り返しながら、苦しく陰惨な半生を葉蔵は生き抜いていったわけだけど、人間失格はその「自分を曲げる」ことへのアンチテーゼと、渦を巻く社会構造そのものを批判しているように感じる。
自分を曲げることは間違いで、嘘で、虚栄で、だから人は間違いで、嘘で、虚栄だと。まあ確かになぁ……ひっかかってないと俺なんか不安で不安で仕方がないから延々と渦の中心にいたいけども、そんな自分は嘘なのかなぁ…うーむ
Posted by ブクログ
自分でお話を書き始めてから、周囲の書き手さんが読まれているらしいと気が付いた太宰治を、自分も読んでみたいと思って買った全集の9巻。
この年になるまで、読んだことがなかったのもなかなか恥ずかしいことかもしれないけれど、この年にならないと読んでも分からなかっただろうから、いい時期に読んだのだろうと思う。
巻を進むにつれて、「生きることのつらさ」が実感として痛みに変わっていく。9巻はそれが特に強くて、ついに「死んでいく人は美しい」がはっきりと現れてきた印象がした。
人間失格は有名で、その一文にある、
(それは世間がゆるさない)
(せけんじゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
が、とても私には衝撃的だった。今も昔も、そしてこれからも、世間とは個人なのだ。
死が美しいといったのちに、「いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎていきます」
これが真理だと、彼にとって自殺は革命だったのだろうか。
なんて、小難しいことは私には分からない。
生きづらさはあるのだけれど、私のそれは今のところ、太宰とは違うものだから。
でもいずれ行きつく先は一緒なのか?
行きつくのかどうかも分からないんだけれど。
とりあえずお気に入りの文を。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬るのはあなたでしょう?)
Posted by ブクログ
『グッドバイ』めちゃくちゃ面白くなりそうなとこで終わってた。『人間失格』あの生きづらさは少しリンクするようなところがあったり。やっと読めた。好きだなぁ。