鈴木謙介のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2005-6年頃に話題になった本だと思いますが、2012年現在の今のほうが、本書の指摘する下記の傾向は、より強まっているように感じます。
-----抜粋-----
いわば「共同体」から「共同性」への転換だ。すなわち、ある種の構造を維持していくことではなく、共同性――<繋がりうること>の証左を見いだすこと――をフックにした、瞬発的な盛り上がりこそが、人々の集団への帰属感の源泉となっているのである。
このような瞬発的な盛り上がりこそが、ここでいう「カーニヴァル」にあたる。
(略)
そのもっとも大規模だった例は、おそらく2002年のサッカー・ワールドカップになるだろう。
(略)
コミュニケーショ -
Posted by ブクログ
カーニヴァル化する社会というのは、ジークムント・バウマンの「カーニヴァル型近代」から援用した考えのようです。
ハイ・テンションな自己啓発や、監視社会化の議論をおさえつつ、
カーニヴァル化する社会とは何かに迫ります。
カーニヴァル化する社会という考え方、視点はおもしろいと思います。
祭りというより、カーニヴァル。
内容を伴うというより、一瞬の熱狂に人が集い、夢中になり、そしてそれは消費されていく。
ただただ熱狂によるつながりや生の実感を求めていくというものでしょう。
現実を直視するのではなく、ハイ・テンションな自己啓発によって、ハイになった思考で動き、
現実に直面してはテン -
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Posted by ブクログ
大学のときに読み残した本を消化しようキャンペーン。
ハイテンションな自己啓発―遠大な目標としての「やりたいこと」と現状の自己との間で
躁状態としてのハイテンションな自己啓発とそこから醒めてしまう冷静な鬱状態とが分断されている。
監視社会化、
データベース化
そして
再帰的な近代
個々のテーマや視点は割りと面白く感じた。
以下、気になる点メモ。
「大きな物語」の欠落→遠大な目標としての「やりたいこと」の設定=自己象の分断
→宿命論の台頭(社会の進歩としての近代的革命論との対置)=現状の甘受(カーニヴァル化、動物化)
but
「社会を変える」「社会に役に立つことをしたい」とする -
Posted by ブクログ
タイトルや表紙は自己啓発本だけど、内容は社会学。
日本の戦後の歴史を辿りながら、ポスト消費社会について考察し、提言している。
「経済成長時代」という1階の上に築かれた「2階としての消費時代」。
しかし、1階部分が崩壊したにも関わらず、2階だけがアンバランスなまま存在し続けていた。
いや、もう既に崩落していて、その残骸が「無縁社会」かもしれない。
けれど、「無縁社会」はあくまで「過去の残骸」であって、消費社会を生きた世代の問題である。
今の若い世代が作っている社会はもっと「繋がって」いる。
その繋がりを、世代を超えて広く社会に活かし、身近な助け合いをしようという提言が、本書である。
例えば -
Posted by ブクログ
今までの鈴木氏著作のなかでいっちばん読み易かったです。こんなに解り易く書いてもらっていいんだろうかと本当に不安になる…蛇足ですが最近どの著者のどの本もそうで、ありがたいんだけどなんか、いいのかなって思ってドキドキする…
提示されていることは新しいアイディアというより、いま波として起きつつあるものを明確に描き出して下さった感じで、ほんとに、この感覚/価値観がもっともっと広がれば良いなと思いました。
SQ値はベラボウに高かったですが、だから幸せかと言われると良くわかりません。たぶん、SQ値の高さは相互関係があってこそ活かされるのではないかなーと思いました。 -
Posted by ブクログ
現代社会が、歴史性や本質的理由を欠いた突発的な「祝祭」によって動いているのではないかと指摘する本。
「祝祭」の例は2002年のワールドカップの熱狂的盛り上がりや、2ちゃんねるでしばしば発生する、ある出来事が槍玉に挙げられ、そのスレッドに書き込みが急増する現象=「祭り」といったものである。
その背景には、若者が雇用の流動化や教育カリキュラムの度重なる変更により十分なスキルや経験を積めず、フリーターや派遣社員にならざるを得ない雇用情勢や、「監視社会」が構築されつつあるいう要因がある
また、著者は因果関係が曖昧なのにもかかわらず「携帯電話を持っている若者の方が非行に走りやすい」とい -
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