〇女性・女の子を取り巻く今を、性別を問わずとも生きていける社会だからこそ伝える・伝わる、5か国の女の子のストーリー。
第27回手塚治虫文化賞の短編賞を受賞したのでそれをきっかけに再読。
◇サウジアラビア・サッカーボールを蹴飛ばす日
サウジアラビアの首都・リヤドに住むサルマ。パパは木・金曜日にしか帰ってこない。ミサンガを作ったことをパパに報告すると、"遠い親戚"のアミーラに習うことになるが、ママの顔はやや曇る。同じころ、友人のファイの姉が結婚することになるが、結婚式で初めて会う時に結婚がダメになることもあると聞き・・・
あの時の思い出すらも、素顔で再現できないいま。
◇モロッコ・しかめっつらとメガネ
シャマおばさんがやってきた。
ハピーバが住んでいるのはモロッコの首都・ラバト。祖母の古い友人である彼女は、ハピーバのやることなすこと、例えばメガネ、例えば本、例えば笑い声。姉のレイラも背の高いことを批判される。ハピーバとレイラは不服そうにするが、祖母はそれをいなす。そんなとき、ハピーバはシャマの背中にたくさんの傷があることを見かけ・・・
批判の意味は。
◇インド・大きなお家のお嬢さん
カンティはママとともにデリーの新居に引っ越す。それはカブールこと新しい"パパ"ができたからだけど、なぜか"パパ"と呼べないカンティ。そんな中、家庭教師に来てくれていたアーシャが新たな家庭教師先を探していたが、その紹介された先に行った後のアーシャはなぜか元気がなく・・・
理不尽に立ち向かう心は、年齢に関係なく。
◇日本・おばあちゃんとママとパパ
多摩西部に住むまりえ。あまり着ないワンピースを祖母に買ってもらい、でも母は祖母の「女の子らしい」をそれは違うかもしれない、と伝えるのを聞く。友人のなっきーの家では、両親が同じようにパンを焼ける、ということを聞く。母と離婚した父親はきちんと教えてくれるので、なっきーにとってはまりえは幸せ者らしい・・・
幸せを決めるのは。
◇アフガニスタン・はじまりの日
2002年、カブールに住むムルサルとナフィサは戦争が終わり、学校に行けるようになった。
勉強用具をもらって喜ぶ二人。二人はそれをはさんで自分たちの夢を語る。
そして19年後、2021年にカブールに再びタリバンがやってきた―――
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間違いとは何か。
特に、女性がこうしてはいけない、という"間違い"と言われる類のことについては、過去言われたことであればあるほど、いまは受け入れがたい時代になっている。しかしこれは民主主義国が中心の動きであり、民主主義国ですら全国民がそうなっていないばかりか、宗教国ではその宗教で指定されていることが性差を乗り越えていない事例は、この本を読むとつぶさに感じることができる。
どの時代の女の子も、どの世界の女の子も、こういう扱いを受けているよね、という視点から、これからはこういう風に変わっていかないといけないんじゃない?っていうこと。も含めて、書いている。
例えば宗教上そういう風に扱ってきたけど、いまもそういう社会なんだろうか?など。
変わっていかないといけない、というのは、周りの大人が諭して女の子本人にそうさせる場面もあるが、女の子本人に気づかせる・語らせることも多い。いまの時代がなぜこうでなくてはならないのか。純粋な子供時代だからこそ感じることだが、今まで大人がいかにそれを虐げてきたのか。
女の子らしい、女性という性らしいものでくくる。のではなく、もっと多様な考えでもいいのではないか、という提起でこころをつかまれる、「性差を乗り越える」ということに関して言えば初歩の初歩だがとても大事なことを書いている短編だ。
マンガであることでかなり読みやすいので、そのような論調を何となく理解できない、あるいは自らかみ砕けない部分があるという方はぜひ読んでいただきたい!